コロシアム II(Colosseum II)は、イングランド出身のフュージョン / プログレッシブ・ロックバンド。
コロシアム II Colosseum II | |
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出身地 | イングランド |
ジャンル | プログレッシブ・ロック フュージョン ハードロック ジャズ・ロック |
活動期間 | 1975年 - 1978年 |
レーベル | ブロンズ・レコード MCAレコード |
メンバー | ジョン・ハイズマン (Ds) ゲイリー・ムーア (G) ドン・エイリー (Key) ニール・マーレイ (B) マイク・スターズ (Vo) ジョン・モール (B) キース・エイリー (G) |
元コロシアムのジョン・ハイズマンを中心に、ゲイリー・ムーア、ドン・エイリー、ニール・マーレイといったHR/HM畑のミュージシャンが、若き日に参加していたスーパーグループ。
1975年、元「コロシアム」「テンペスト」のドラマー ジョン・ハイズマンと、ギタリストのゲイリー・ムーアを中心に結成。
1976年、1stアルバム『ストレンジ・ニュー・フレッシュ』をブロンズ・レコードから発表。音楽的にはフュージョンを志向していたが、ゲイリー・ムーアのほか、キーボード奏者にドン・エイリー、ベーシストにニール・マーレイという、後にHR/HMシーンで活躍するミュージシャンが参加していたこともあり、ハードロック色が濃かった。専任ボーカルとしてマイク・スターズも参加するが、短期間でグループを離れる。
レーベル移籍したMCAレコードからの2ndアルバム『エレクトリック・サヴェイジ』でニール・マーレイに代わり、後任ベーシストとしてジョン・モールが加入。必要に応じてゲイリー・ムーアがボーカルを担当するという形態で4人編成となる。半年後、3rdアルバム『ウォーダンス』発表。
1978年初頭、バンドメンバーがセッションに参加した、アンドルー・ロイド・ウェバーのアルバム作品『ヴァリエーションズ』が発表される。これまでの活動で唯一の高収益を上げた仕事であった。 同年8月、ゲイリー・ムーアが「シン・リジィ」に加入するため脱退。後任にドン・エイリーの弟・キース・エイリーが参加するも財政難が慢性化しており、ライブ・ツアー終了後にグループは解散した。
結成当初は「ゴースト」というバンド名が候補だった。しかしレコード会社側が難色を示し、ジョン・ハイズマンのかつてのグループ「コロシアム」に因んだ名を要求してきたため「コロシアムII」と名付けたが、正直不本意だった。ゲイリーの脱退についても理解を示し、「コロシアムIIは、まるで金を稼げなかったからだ。最後はさらに商業的に厳しくなり、解散は必須の状況だった」と、後年にハイズマンが明かしている。
ハイズマンは、短いスパンでアルバムをリリースできたのは「マネージャーがモーガン・スタジオのオーナーだったので、空き時間なら自由にレコーディングできたから」だと説明している。
ゲイリー・ムーアは、「自分のスタイルが確立したのは、コロシアムII時代からだ」と敬意を表し、晩年は元同僚のドン・エイリーとコロシアムIIの再結成ライブを構想していた。しかし、2011年にゲイリー、2018年にハイズマンが亡くなり、叶わぬ夢となっている。
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