クライド・オースティン・ドレクスラー (Clyde Austin Drexler, 1962年6月22日 - ) は、アメリカ合衆国・ルイジアナ州ニューオーリンズ出身の元プロバスケットボール選手で元指導者。現在は3on3バスケットボールリーグ「Big3(英語版)」のコミッショナーである。「Clyde the Glide (クライド・ザ・グライド) 」の愛称で親しまれ、全米プロバスケットボール協会 (NBA) で15シーズンプレーし、キャリアの大半をポートランド・トレイルブレイザーズで過ごした後、ヒューストン・ロケッツで現役生活を終えた。ドレクスラーは、史上最高のシューティングガードの一人として評されている。
ヒューストン大学でのドレクスラー | |||||||||||||||||||||
引退 | |||||||||||||||||||||
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愛称 | Clyde the Glide | ||||||||||||||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | ||||||||||||||||||||
生年月日 | 1962年6月22日(61歳) | ||||||||||||||||||||
出身地 | ルイジアナ州ニューオーリンズ | ||||||||||||||||||||
身長(現役時) | 200 cm (6 ft 7 in) | ||||||||||||||||||||
体重(現役時) | 95 kg (209 lb) | ||||||||||||||||||||
キャリア情報 | |||||||||||||||||||||
高校 | スターリング高等学校 | ||||||||||||||||||||
大学 | ヒューストン大学 | ||||||||||||||||||||
NBAドラフト | 1983年 / 1巡目 / 全体14位[1] | ||||||||||||||||||||
プロ選手期間 | 1983年–1998年 | ||||||||||||||||||||
ポジション | SG | ||||||||||||||||||||
背番号歴 | 22 | ||||||||||||||||||||
永久欠番 | トレイルブレイザーズ 22 ロケッツ 22 | ||||||||||||||||||||
指導者期間 | 1998年–2002年 | ||||||||||||||||||||
経歴 | |||||||||||||||||||||
選手時代: | |||||||||||||||||||||
1983–1995 | ポートランド・トレイルブレイザーズ | ||||||||||||||||||||
1995–1998 | ヒューストン・ロケッツ | ||||||||||||||||||||
コーチ時代: | |||||||||||||||||||||
1998–2000 | ヒューストン大学 | ||||||||||||||||||||
受賞歴 | |||||||||||||||||||||
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NBA通算成績 | |||||||||||||||||||||
得点数 | 22,195 (20.4 ppg) | ||||||||||||||||||||
リバウンド数 | 6,677 (6.1 rpg) | ||||||||||||||||||||
アシスト数 | 6,125 (5.6 apg) | ||||||||||||||||||||
Stats Basketball-Reference.com | |||||||||||||||||||||
バスケットボール殿堂入り選手 (詳細) | |||||||||||||||||||||
カレッジバスケットボール殿堂入り (2006年) | |||||||||||||||||||||
代表歴 | |||||||||||||||||||||
キャップ | アメリカ合衆国 1992 | ||||||||||||||||||||
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1992年バルセロナオリンピックバスケットボール代表に選出され、金メダリストとなる。オールNBA1stチームに1回(1992年)、同2ndチームに2回(1988年、1991年)、同3rdチームに2回(1990年、1995年)選出されている。NBA優勝経験1回。1996年には、NBA50周年を記念した「50人の偉大な選手」の一人に選ばれた。1998年に引退、2004年にバスケットボール殿堂入りを果たした。選手生活の平均得点は20.4点、通算得点は22,195点。身長201cm。
高校時代、それほど目立たなかったドレクスラーが名門ヒューストン大学に入学できたのは理由があった。当時既に大学で注目を集めていたマイケル・ヤング(後にボストン・セルティックスに1巡目24番目指名)による「高校時代最も手強かった相手」との言葉を聞いた大学幹部が獲得に動いた為だ。
ヤングの言葉通りドレクスラーは、1年目から頭角を現しチームに欠かせない選手となり、2年目にはすでにNBAも注目する大スター選手へと成長を遂げていた。当時のヒューストン大学は「ファイ・スラマ・ジャマー」(Phi Slama Jama)と呼ばれるダンク集団であり、その中心にいたのが元NBA屈指の名センター、アキーム・オラジュワンとドレクスラーだった。名ダンカーがひしめくチーム内においてもドレクスラーの滞空時間の長いダンクは特に際立っていた。
彼の在籍した間チームはすばらしい成績を収める。1981年にはNCAAファイナル4、1982年FINAL進出、1983年もファイナル4と快進撃を続ける。 しかし優勝には縁遠く1981年はマイケル・ジョーダンを擁するノースカロライナ大学に敗北。優勝候補の筆頭だった1982年にはノースカロライナ州立大学に番狂わせの敗北、1983年には後のニューヨーク・ニックスの名センター、パトリック・ユーイング率いるジョージタウン大学に敗北。 しかしながらヒューストン大にとってドレクスラー、オラジュワンの在籍していた時期はまさに輝ける時代となった。
ポートランド・トレイルブレイザーズから1983年全体14番目に指名されNBAに入団(当時はビッグマンの方が上位指名されやすかった。)。1年目はジム・パクソン、カルヴィン・ナット、ラファイエット・リーバーが多く出場していたため、出場時間平均は17分台にとどまり、彼の高いパフォーマンスを披露する機会に恵まれなかった。平均スコアも7.7点に留まり、NBAルーキーチームの一員にも選出されることはなかった。しかし若返りを図ったチームの方針もあり出場機会が十分に与えられた2年目の1984-85年シーズンから次第に存在感を示し始め、シーズン中盤になるとチームは彼を中心とするゲームメイクをするようになる。プレイオフ進出の原動力となり、平均スコアは前年の倍以上(17.2点)に跳ね上がり彼の名前を世間に知らしめることとなる。デビュー2年目の1984年から10年間ドレクスラーは得点ランキング上位の常連となった。
「クライド・ザ・グライド」華麗なダンクでNBAファンを唸らせ、ルーキーの頃からスラムダンクコンテスト出場を果し、NBA屈指のダンカーとなった。1984年、1985年、1987年、1988年、1989年の5回の出場はNBA最多。滞空時間が長く、美しいフォームのダンクだが当時のライバル、マイケル・ジョーダン、ケニー・ウォーカー、ドミニク・ウィルキンズの豪快なダンクを比べると多少インパクトが少なかったのだろうか、1987年はジョーダンと激戦のうえ敗退、1989年は地元でもあるヒューストンで観客の声援を受けながら決勝に進んだが、ケニー・ウォーカーのパワフルなダンクに敗北を喫し、念願であったスラムダンクチャンピオンの称号を手にすることはなかった。しかしNBA史上最も華麗なダンカーの一人である事は多くの人が認めるところである。
略称説明 | |||||
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GP | 出場試合数 | GS | 先発出場試合数 | MPG | 平均出場時間 |
FG% | フィールドゴール成功率 | 3P% | スリーポイント成功率 | FT% | フリースロー成功率 |
RPG | 平均リバウンド数 | APG | 平均アシスト数 | SPG | 平均スティール数 |
BPG | 平均ブロック数 | TO | 平均ターンオーバー数 | PPG | 平均得点 |
太字 | キャリアハイ | * | リーグリーダー | † | 優勝シーズン |
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | TO | PPG |
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1983–84 | ポートランド | 82 | 3 | 17.2 | .451 | .250 | .728 | 2.9 | 1.9 | 1.3 | .4 | 1.5 | 7.7 |
1984–85 | ポートランド | 80 | 43 | 31.9 | .494 | .216 | .759 | 6.0 | 5.5 | 2.2 | .9 | 2.8 | 17.2 |
1985–86 | ポートランド | 75 | 58 | 34.3 | .475 | .200 | .769 | 5.6 | 8.0 | 2.6 | .6 | 3.8 | 18.5 |
1986–87 | ポートランド | 82 | 82 | 38.0 | .502 | .234 | .760 | 6.3 | 6.9 | 2.5 | .9 | 3.1 | 21.7 |
1987–88 | ポートランド | 81 | 80 | 37.8 | .506 | .212 | .811 | 6.6 | 5.8 | 2.5 | .6 | 2.9 | 27.0 |
1988–89 | ポートランド | 78 | 78 | 39.3 | .496 | .260 | .799 | 7.9 | 5.8 | 2.7 | .7 | 3.2 | 27.2 |
1989–90 | ポートランド | 73 | 73 | 36.8 | .494 | .283 | .774 | 6.9 | 5.9 | 2.0 | .7 | 2.6 | 23.3 |
1990–91 | ポートランド | 82 | 82 | 34.8 | .482 | .319 | .794 | 6.7 | 6.0 | 1.8 | .7 | 2.8 | 21.5 |
1991–92 | ポートランド | 76 | 76 | 36.2 | .470 | .337 | .794 | 6.6 | 6.7 | 1.8 | .9 | 3.2 | 25.0 |
1992–93 | ポートランド | 49 | 49 | 34.1 | .429 | .233 | .839 | 6.3 | 5.7 | 1.9 | .8 | 2.3 | 19.9 |
1993–94 | ポートランド | 68 | 68 | 34.3 | .428 | .324 | .777 | 6.5 | 4.9 | 1.4 | .5 | 2.5 | 19.2 |
1994–95 | ポートランド | 41 | 41 | 34.8 | .428 | .363 | .835 | 5.7 | 5.1 | 1.8 | .5 | 2.4 | 22.0 |
1994–95† | ヒューストン | 35 | 34 | 37.1 | .506 | .357 | .809 | 7.0 | 4.4 | 1.8 | .7 | 2.5 | 21.4 |
1995–96 | ヒューストン | 52 | 51 | 38.4 | .433 | .332 | .784 | 7.2 | 5.8 | 2.0 | .5 | 2.6 | 19.3 |
1996–97 | ヒューストン | 62 | 62 | 36.6 | .442 | .355 | .750 | 6.0 | 5.7 | 1.9 | .6 | 2.5 | 18.0 |
1997–98 | ヒューストン | 70 | 70 | 35.3 | .427 | .317 | .801 | 4.9 | 5.5 | 1.8 | .6 | 2.7 | 18.4 |
通算 | 1,086 | 950 | 34.6 | .472 | .318 | .788 | 6.1 | 5.6 | 2.0 | .7 | 2.7 | 20.4 | |
オールスター | 9 | 4 | 18.4 | .506 | .286 | 1.000 | 4.9 | 2.6 | 1.3 | .7 | 2.0 | 10.7 |
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | TO | PPG |
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1984 | ポートランド | 5 | — | 17.0 | .429 | .000 | .857 | 3.4 | 1.6 | 1.0 | .2 | 1.4 | 7.2 |
1985 | ポートランド | 9 | 9 | 37.7 | .410 | .286 | .844 | 6.1 | 9.2 | 2.6 | 1.0 | 3.2 | 16.7 |
1986 | ポートランド | 4 | 4 | 36.3 | .456 | .400 | .783 | 6.3 | 6.5 | 1.5 | .8 | 4.8 | 18.0 |
1987 | ポートランド | 4 | 4 | 38.3 | .456 | .250 | .793 | 7.5 | 3.8 | 1.8 | .8 | 1.5 | 24.0 |
1988 | ポートランド | 4 | 4 | 42.5 | .386 | .500 | .724 | 7.0 | 5.3 | 3.0 | .5 | 3.0 | 22.0 |
1989 | ポートランド | 3 | 3 | 42.7 | .493 | .000 | .765 | 6.7 | 8.3 | 2.0 | .7 | 4.0 | 27.7 |
1990 | ポートランド | 21 | 21 | 40.6 | .441 | .220 | .774 | 7.2 | 7.1 | 2.5 | .9 | 3.8 | 21.4 |
1991 | ポートランド | 16 | 16 | 39.6 | .476 | .268 | .776 | 8.1 | 8.1 | 2.1 | 1.0 | 3.2 | 21.7 |
1992 | ポートランド | 21 | 21 | 40.3 | .466 | .235 | .807 | 7.4 | 7.0 | 1.5 | 1.0 | 2.8 | 26.3 |
1993 | ポートランド | 3 | 3 | 38.7 | .419 | .417 | .800 | 6.3 | 4.7 | 1.7 | 1.0 | 1.0 | 19.0 |
1994 | ポートランド | 4 | 4 | 39.3 | .425 | .231 | .826 | 10.3 | 5.5 | 2.0 | .5 | 2.3 | 21.0 |
1995† | ヒューストン | 22 | 22 | 38.6 | .481 | .303 | .786 | 7.0 | 5.0 | 1.5 | .7 | 2.0 | 20.5 |
1996 | ヒューストン | 8 | 8 | 36.5 | .415 | .265 | .765 | 7.8 | 5.0 | 2.6 | .5 | 2.5 | 16.6 |
1997 | ヒューストン | 16 | 16 | 38.9 | .436 | .373 | .778 | 5.6 | 4.8 | 1.6 | .4 | 2.3 | 18.1 |
1998 | ヒューストン | 5 | 5 | 36.4 | .309 | .192 | .757 | 5.4 | 4.6 | 1.6 | .6 | 2.6 | 15.0 |
通算 | 145 | 140 | 38.4 | .447 | .288 | .787 | 6.9 | 6.1 | 1.9 | .7 | 2.7 | 20.4 |
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