カラブラギ: インドの都市

カラブラギ(カンナダ語:ಕಲಬುರಗಿ, Kalaburagi)、旧称グルバルガ(英語:Gulbarga, ಗುಲ್ಬರ್ಗ)は、カルナータカ州にある一都市で、クリシュナ川の北岸、ベンガルールの北方613kmに位置している。現在では、ヴィジャヤプラ、ハイダラーバード、ビーダルを結ぶ道路とデリー、ムンバイと鉄道で結ばれるなど交通の便がよくなっている。

カラブラギ
ಕಲಬುರ್ಗಿ
Gulbarga
Kalaburagi
位置
カラブラギの位置(インド内)
カラブラギ
カラブラギ
カラブラギ (インド)
カラブラギの位置(カルナータカ州内)
カラブラギ
カラブラギ
カラブラギ (カルナータカ州)
座標 : 北緯17度20分 東経76度50分 / 北緯17.333度 東経76.833度 / 17.333; 76.833
行政
インドの旗 インド
  カルナータカ州
 県 カラブラギ県
 市 カラブラギ
地理
面積  
  市域 192 km2
標高 454 m
人口
人口 (2011年現在)
  市域 533,587人
その他
等時帯 インド標準時 (UTC+5:30)
夏時間 なし
Pincode 585101
市外局番 +91 8472
ナンバープレート KA32

歴史

カラブラギは、古来からカンナダ語で「石がごろごろしている地」という意味の「カリブルギ(Kaliburgi)」の名で知られてきた。この地域が歴史上の記録に登場するのは6世紀頃にさかのぼるが、ラーシュトラクータ朝がこの地を支配したことが記録に残る契機になっている。しかし、後期チャールキヤ朝によって短期間で奪還され、200年にわたって支配を受けてきた。

そののち12世紀からカラチュリ朝の支配を受け、12世紀末頃にデーヴァギリのヤーダヴァ朝、ドーラサムドラのホイサラ朝は、後期チャールキヤ朝とカラチュリ朝の優勢をくつがえした。同時期にワランガルカーカティーヤ朝が台頭してきた。現在のカラブラギとライチュール地方は、これらの王朝の支配下で形成されてきた。

1321年にカーカティーヤ朝の支配は、デリー・スルターン朝ハルジー朝)によって打ち破られた。

その後、トゥグルク朝の支配下に引き継がれたが、その地方長官であったアラー・ウッデーン・ハサンが1347年に独立し、グルバルガを首都としてバフマニー朝を建てた。バフマニー朝のスルターンたちは、首都であるグルバルガにすばらしいイスラーム建築を残した。よく知られているのは、フィールーズ・シャー・バフマニーの命で建てられたジャーマ・マスジド(Jama Masjid)であり、インドでは珍しくスペインのコルドバの建築を模したものといわれる。中央に大きなドームをもちそれを囲むように四隅に4つの小さなドームが築かれた。またバフマニー朝の歴代君主の墓が残されている。

バフマニー朝が5つの王国に分裂すると、カラブラギはビーダル王国の支配下にはいった。17世紀には、ムガル帝国のデカン征服によって18世紀のはじめ頃までムガル帝国の支配下にあった。

カラブラギ: 歴史, 脚注, 関連項目 
14世紀後半頃のバフマニー朝とヴィジャナガル朝。

脚注

関連項目

外部リンク

Tags:

カラブラギ 歴史カラブラギ 脚注カラブラギ 関連項目カラブラギ 外部リンクカラブラギカルナータカ州カンナダ語クリシュナ川デリーハイダラーバードビーダルベンガルールムンバイヴィジャヤプラ英語鉄道

🔥 Trending searches on Wiki 日本語:

Z世代2PM荒木遼太郎アーロン・ジャッジ佐藤麻衣ドラゴンボールボイジャー1号転生したらスライムだった件ウィキペディア満島ひかり小野伸二藤井風大王製紙柳沢正史3年B組金八先生の生徒一覧水原一平ネコ小芝風花さや香国際電話番号の一覧平岩紙阿波野秀幸百田尚樹崇禎帝松田悟志結城耕造水木一郎長谷川博己秋元優里中田翔マッシュル-MASHLE-彬子女王山口勝平清野菜名金子貴俊井戸田潤デーブ・ロバーツ (外野手)平野綾魔法科高校の劣等生目黒蓮向井理イチロー岩田達七フォールアウト (ドラマ)花守ゆみりウエストランド織田信長忍たま乱太郎フランツ・リストイップス (テレビドラマ)LAPONEエンタテインメントYahoo! JAPANキム・ジウォン国仲涼子山田楓喜366日 (テレビドラマ)都内某所日本の鉄道事故 (1949年以前)石橋良太山崎育三郎野茂英雄Fallout シリーズILLIT西丸優子三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBEゴールデンカムイBUMP OF CHICKEN吉川赳JO1井上清華石橋静河椎名林檎BABYMONSTERかまど神高岡早紀藤本万梨乃岩田剛典大谷翔平🡆 More