オートボルタ共和国(仏: République de Haute-Volta)は、ブルキナファソ共和国のかつての国名である。フランス植民地からの独立(1960年8月5日)から革命家サンカラによる国号変更の日の前日(1984年8月3日)まで、この国名が使用された。
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(国旗) | (国章) |
公用語 | フランス語 |
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首都 | ワガドゥグー |
通貨 | West African CFA franc |
のちにオートボルタ共和国の領土となる地域は、かつては行政的にはコートジボワール植民地の一部であったが、1919年にオートボルタ植民地として単独の植民地となった。しかし1933年にオートボルタは分割され、象牙海岸植民地、スーダン植民地およびニジェール植民地の一部となる。1947年9月4日に、もとの境界線にてオートボルタ植民地が再設置される。1958年12月11日にフランス領アフリカ共同体(La Communauté Franco-Africaine)の自治共和国のひとつとして独自の政府が設置された。「アフリカの年」1960年の8月5日に「オートボルタ共和国」として独立した。
独立後のオートボルタでは、政治危機が発生するたびに、軍部が介入した。選挙で選ばれた初代大統領のモーリス・ヤメオゴは、1966年にサングレ・ラミザナ大尉率いる軍部のクーデタにより追放された。ラミザナ政権は1980年11月にセイェ・ゼルボ大佐の率いるクーデタにより倒された。ゼルボ政権は短く、1982年11月に軍部下士官の反乱で終わった。下士官らはジャンバティスト・ウエドラオゴを大統領に選んだが、政権はすぐに保守派と急進派に分裂した。急進派が1983年8月4日に共和国の実権を握り、トーマス・サンカラを首班とする国民革命評議会(CNR)を設立した。サンカラは権力を握って1年後の1984年8月4日に国名を「オートボルタ」から「ブルキナファソ」に変更した。新国名の「ブルキナファソ」Burkina Faso は「汚職をしない人々の国」ないし「高潔な人々の国」を意味する。サンカラは自分自身を含めすべての政府高官に、銀行口座を人民が精査できるようにすることを命令した。
以後の歴史や国の詳細に関しては「ブルキナファソ」の項を参照されたし。
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