Tu-160(ロシア語: Ту-160 トゥー・ストー・シヂスャート)は、ソビエト連邦のツポレフ設計局が開発した可変翼超音速戦略爆撃機である。
ロシア語で「白鳥」の意味。「ベールイ・レーベチ」(Белый лебедьビェールィイ・リェービェチ)の非公式愛称がついており、北大西洋条約機構 (NATO) の用いたNATOコードネームでは「ブラックジャック」(英語: Blackjack)と呼ばれた。その形状からアメリカのB-1 ランサーに対抗して開発されたものとみられている。
航空機70として開発が始められて、その後、試作1号機が1981年12月に初飛行し、1982年2月の試験飛行では音速を超えている。1987年には試作2号機が試験飛行中に墜落したが、この年の5月、最初の実用部隊の第184親衛重爆撃機連隊の2個飛行隊に配備され運用開始する。一方 西側諸国には、1981年11月にラメンスコイエ航空試験センターにあった試作1号機がアメリカの偵察衛星により確認され、最初に撮影された写真には、不鮮明ながらも隣にTu-144が並んで写っていたため、アメリカのB-1よりも一回り大きいことが分った。その後、名称がTu-160と判明、ブラックジャックのNATOコードネームが与えられている。
機体は胴体から主翼まで滑らかに厚さを変化させたブレンデッドウィングボディを採用しており、固定翼部の前縁は角度が大きい後退翼となっている。エンジン配置を含む基本構成はB-1と似ているが機体サイズはB-1より一回り大きく、最大離陸重量はB-1Bの216tに対して27%増の276t、また、搭載するNK-32エンジンはドライ推力でもB-1B搭載のF101のアフターバーナー使用時に匹敵し、アフターバーナー使用時にはさらに80%近く増力する。一回り大きい機体と2倍近いエンジン出力により、最大速度はB-1Bのマッハ1.25に対してB-1Aのマッハ2.2と同等のマッハ2.05、航続距離はB-1Bを16%上回る14,000 km、最大搭載量はB-1Bの34tを17%上回る40tとなっている。 飛行性能はTu-160が上回るが、ステルス性はB-1が優れる。操縦装置は4重のアナログ式フライ・バイ・ワイヤ方式を採用している。機首には、下面に目視照準用のOPB-15前方TVカメラが収められた張り出し窓があり、コックピット前方に引き込み式空中給油用プローブがある。他に、アクティブECM防御装置、レーダー警報受信機、チャフ・フレア・ディスペンサーを搭載する。また、燃料タンクは胴体中央部の左右の固定翼部の前縁、胴体後部、左右の主翼内に5つあり、合計170,000ℓ、燃料を搭載できる。
可変翼である主翼の後退角は20度、35度、65度の三段階から手動で選択する。離着陸においては20度、高速飛行においては65度を使用する。主翼は、前縁のほぼすべてにスラット、後縁最外側にドループ・エルロン、その内側に横に3分割されたダブルスロッテッドフラップ、上部に片側5枚のスポイラーを装備する。垂直尾翼と水平尾翼は全体が可動する全遊動式となっており、垂直尾翼の固定部前縁から胴体背部の主翼後縁部までの間にドーサル・フィンを持つ。
エンジンはB-1同様、逆V字型の空気取入口の中央にスプリッター・プレートを取付けてアフターバーナー付きターボファンエンジン2基に吸気を供給するポッド2基を胴体を挟んで装備しており、計4発搭載している。
ランディング・ギヤ(着陸装置)はB-1と同じ3脚で、主脚はB-1Bより1対多い3輪ボギー式の2重タイヤで6輪、前脚はB-1B同様の2重タイヤとなっている。前脚は後方に引き込まれて収納される。主脚は後方に引き上げた後、ボギー軸を90度捻ってタイヤ軸を機体中心線と平行にしてから収納される。
機首に地形追随機能付きのオブソール-K(NATOコードネーム グラム・パイプ)多モード航法/爆撃レーダーを搭載し、地上からの一定間隔を保ったままの超低空飛行を可能としている。
コックピットは4人乗りで、並列に2人ずつの座席があり、前列にパイロットとコパイロット、後列にシステム操作員2名が搭乗する。コックピット計器はグラスコックピットやヘッド・アップ・ディスプレイなどはなく、通常のアナログ計器で、中央に文字などを表示できるアナウンシエーター・パネル2基を配置している。 機体のローリングとピッチング制御には大型機で通常使用する操作輪ではなく操縦桿を装備する。操縦桿は根元部分が固定されグリップ部分だけが動く方式となっている。 操縦席にはK-36Dゼロ・ゼロ式射出座席を装備、緊急時にはコックピット天井部を吹き飛ばした後に射出する。 乗員は前脚収納部にある搭乗口から乗り降りする。上部に扇風機がある。
兵装類は、胴体中央の縦に2分割されたタンデム配置の兵器倉に収納し、機外には搭載しない。通常爆弾の最大積載量は18,000kgまでだが、ミサイルを含めた攻撃兵器類を搭載した場合の最大積載量は40,000 kg。ミサイルはKh-55(AS-15A)またはRKV-500B(AS-15B)核巡航ミサイルを6発ずつ装着した回転式ランチャーを1つの兵器倉に各1基搭載し最大12発、Kh-15P(AS-16)短距離攻撃ミサイルを1つの兵器倉に12発搭載し最大24発を携行できる。
アメリカはTu-160はB-1を模倣していると批判したが、ソビエトは「同じコンセプトを目指した結果、同じ形になった」と反論した。このような機体の類似性に関するやりとりは当時の宇宙往還機「ブラン」や各国の超音速輸送機(ソ連ではTu-144)においても発生している。
当初はTu-95を置き換える予定であったといわれているが、製造途中でソ連が崩壊してしまい、試作機8機を含むわずか35機しか生産されなかった。2015年頃より再生産が模索され、既存機への近代化と合わせ50機程度の新造機Tu-160M2を購入する見込みである。この再生産の一環か2019年2月12日にプーチン大統領は超音速旅客機への改装案を提案・発表しているが、ロシア産業貿易大臣のデニス・マントゥロフはこれを否定している。
ロシア共和国以外の地域に配備されていたTu-160はそれぞれ所属基地のある旧ソ連構成諸国に引き取られ、特にウクライナは19機を保有していた。しかしながら、Tu-160は極めて複雑な構造のためこれらの旧構成諸国での運用は困難で、全く運用されず放置されていた。そのため、1990年代中期から2000年前後にかけ、ロシア連邦が買い戻し交渉により8機程度を入手したほかは解体処分となり、ウクライナの保有機は2006年までに全機が退役している。
2005年8月16日にはロシアのプーチン大統領がTu-160に搭乗して軍を電撃視察した。そして2007年8月17日、1992年以降中止していた戦略爆撃機による海外への長距離訓練飛行(パトロール飛行)を再開したと表明。また、2008年5月9日に赤の広場で挙行された軍事パレードにおいて展示飛行がなされている。さらに同年、製造工場に残っていた予備部品を組み立てて、1機のTu-160を取得した。加えて9月10日にはロシア国防省は2機のTu-160が同日、南米ベネズエラの軍事基地に到着したことを明らかにした。グルジアへの人道支援を名目に、ロシアが勢力圏と見なす黒海へ軍艦を派遣した米国を牽制する狙いとみられる。ベネズエラへの飛行は、2018年12月にも行われた。
2015年11月には、シリア内戦でのアサド政権軍を支援するため、他の戦略爆撃機とともにISILに対して巡航ミサイル攻撃を加え、初めて実戦投入された。
2018年8月、Tu-160 2機、Tu-95MS戦略爆撃機、IL-78空中給油機など多数のロシア軍機が、長距離戦術飛行演習の一環として、初めて極東ロシアに投入され、サラトフ州の本拠地からチュクチまで7,000kmの無着陸飛行を行った。訓練中、乗組員はコミ試験場で巡航ミサイルの戦闘使用訓練、空中給油を行った。
2018年11月、近代化されたTu-160Mは、コミ共和国北東地域のペンボイ試験場で12発のKh-101巡航ミサイルの発射試験を実施した。
2018年12月10日、An-124貨物機とIl-62旅客機を伴ったTu-160の2機が、ベネズエラのマイケティア空港に着陸した。
2019年10月23日、両国の関係強化の一環として南アフリカを訪問。An-124とIl-62を伴ったのTu-160の2機が、カスピ海、アラビア海、インド洋を13時間ノンストップで飛行し、空中給油をしながら11,000kmを飛行し南アフリカのウォータークルーフ空軍基地に着陸した。Tu-160のアフリカ大陸への最初の訪問である。
2020年9月19日、Tu-160の2機が、このクラスの航空機のノンストップ飛行の航続距離と時間の世界記録を樹立した。飛行時間は、25時間以上で20,000km以上を飛行し、北極海と太平洋中央部の中立海域、およびカラ海、ラプテフ海、東シベリア海、チュクチ海、バレント海の上空を飛行した。
2021年11月11日、ベラルーシ国防省は、ロシアのTu-160の2機が、ベラルーシ空軍のスホーイSu-30と並んで、ベラルーシ上空の訓練任務で飛行したと発表した。
2022年2月24日より開始されたロシア軍によるウクライナ侵攻において、本機およびTu-95MSが搭載する巡航ミサイル、Kh-555、Kh-101がウクライナ領内を飛翔する様子が目撃され、また着弾地点で見つかった当該のミサイルの残骸から、本機の投入が示唆されている。
2022年3月6日、ウクライナの情報筋によると、Tu-160がTu-95MS戦略爆撃機とともにKh-101と推定される巡航ミサイル8発を黒海地域からヴィーンヌィツャ国際空港に向けて発射した。
2022年6月26日、ウクライナ空軍のスポークスマン、ユリイ・イナトは、4~6発のKh-101巡航ミサイルが、Tu-160およびTu-95MS爆撃機によってカスピ海地域からキーウに向けて発射されたと報告した。
2022年、退役空軍大将のアヌープ・ラハは、インドがTu-160の購入に関心を持っているとの質問に答えて明らかにした。インドがロシアからTu-160を6機を購入する交渉を行っているとの報告が浮上し、これにより米国、ロシア、中国以外で戦略爆撃機を運用する唯一の国となる可能性がある。
3つの原型機はモスクワ機械製造工場「オープィト」(ММЗ "ОПЫТ")にて組み立てられ、試験用機体と量産機はカザン航空機製造合同(КАПО)が生産を担当している。КАПОにおける製造工程と試験が完了後、機体はジュコーフスキー空港を擁するM・M・グロモフ記念航空研究所(Лётно-исследовательскийинститутимениМ.М.Громова, ЛИИ)へ移送され、国家試験を完了したのちに国防省へと引き渡される。ソ連が崩壊後、運用者がロシア空軍(航空宇宙軍)となってからは、各々の機体は第二次大戦時の空軍指揮官や爆撃任務における優秀なパイロット、過去の遠距離航空コマンド司令官、ソ連・ロシアの航空産業に著しい成果をもたらした人物の名前を機首に冠した固有の機体となっている。生産時期と運用開始が国家の移行期と重なっており、加えて前述の通りウクライナから売却された機体が修復、改修を終えた時期も考慮すると、各機体の移管と部隊配備、最後に改修を施された日時については正確な情報が不足している。現在稼働状態にある機体は全て、遠距離航空コマンド隷下の第6950ドンバス親衛航空基地、第1航空群に配備されている。
p/n:Product Number、型番 c/n:Construction Number、製造番号
p/n | 機体番号 | c/n | 生産年 | 納入 | 配備基地 | 運用状況 | 機種とテイルコード | 機体名 | 補足 |
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70-01 | 18 242(1996-) | ММЗ "ОПЫТ" | 1977 | グロモフ飛行研究所 LIDBツポレフ(96-) | 破棄(2014-???) | Tu-160 | 原型初号機で、1981年8月18日にロールアウトし、同年12月18日に初飛行した。 | ||
70-02 | ММЗ "ОПЫТ" | 1977 | ММЗ "ОПЫТ" | 破棄(1990) | Tu-160 | 1982年に完成した強度試験用機体。2番目の原型機 | |||
70-03 | 29 | ММЗ "ОПЫТ" / 84401923 | 1977 | グロモフ飛行研究所(-1996,2003) LIDBツポレフ(1996-2009) КАПО(-2017) | 破棄(-2017) | Tu-160 | 1984年6月10日初飛行した原型3号機で、1989年まで使用された。1992年、93年、95年のMAKSにて展示飛行した。 | ||
1-01 | 30 | КАПО / 83401517 | 1981.12 | グロモフ飛行研究所(1984-2013) | 分解(2013) 破棄(2019.02) | Tu-160 | 1984年10月10日に初飛行した最初の評価試験機体。1989年まで試験運用された後はグロモフ飛行研究所で保管されていた。 | ||
1-02 | 56 | КАПО / 84401923 | 1981.12 | グロモフ飛行研究所(1984-1987) | 喪失(1987) | Tu-160 | 2機目の評価試験機体で、1985年3月16日、もしくは4月16日に初飛行した。後に墜落して失われた。搭乗員は生還した。 | ||
201 | 86 | КАПО / 82502618 | 1982 | グロモフ飛行研究所(-2013.08) | Tu-160 | 3番目の評価試験機体で、1985年にロールアウトし、同年12月に初飛行した。87年から89年の間に国家統合試験「B」段階の試験を完了した。1998年まで運用された後は2017年までグロモフ飛行研究所にて保管された。 | |||
202 | 87 19(2006-) | КАПО / 84502324 | 1982 | 1986.02.24 | グロモフ飛行研究所(-1998) КАПО(2000-2006) エンゲリス(2006-) | 第121親衛重爆撃機航空連隊(2006-2009) 第6950ドンバス親衛航空基地(第1航空群,2009-) | Tu-160M2/RF-94113 (2012.08-) | Валентин Близнюк(ヴァレンティン・ブリズニュク、本機の主任設計者) | 4番目の評価試験機体で、1986年8月15日に初飛行した。2000年から2006年の間に修理、Tu-160Mへ改修された。2015年にロシア軍によるシリア内戦への軍事介入の際に投入された。2023年10月、Tu-160M2への改修が確認された。 |
203 | 30 | КАПО / 84602438 | 1982 | 1987.03.26 | グロモフ飛行研究所 プリルキ(1987.04-2000) | 第184親衛重爆撃機航空連隊(-2000) 破棄(2000.03.31) | Tu-160 | 5番目の評価試験機体で、1986年8月15日にロールアウトし、1987年に初飛行した。 | |
301 | 31 | КАПО / 84603712 | 1982-1986 | 1987.03.12 | プリルキ(1987.04.23-) | 第184親衛重爆撃機航空連隊(-2000) 破棄(2000.04.25) | Tu-160 | 最初に生産された2機の量産機のうちの初号機である。1987年初飛行した。 | |
302 | 32 | КАПО / 82703629 | 1985-1987 | 1987.09.30 | プリルキ(1991-2000) | 第184親衛重爆撃機航空連隊(1991-2000) 破棄(2001.02.01) | Tu-160 | 量産機として生産され、1987年初飛行し、9月30日に引き渡された。 | |
303 | КАПО | 1985-1987 | Tu-160 | 強度試験用の機体 | |||||
304 | 33 14 | КАПО / 83703845 | 1986-1987 | 1987.12.31 | プリルキ(1991-2000) | 第184親衛重爆撃機航空連隊(1991-2000) 破棄(2000.06.07) | Tu-160 | 量産機として生産され、初飛行は1988年-1989年のいずれかの日時に行われている。 | |
305 | 25 | КАПО / 84703453 | 1986-1987 | 1988.01.28 | プリルキ(1991-2000) | 第184親衛重爆撃機航空連隊(-2000) 破棄(2000.12.01) | Tu-160 | 1988年に初飛行した量産機。 | |
401 | 63(-95) 342(95-) 09(2022-) | КАПО / 84704217 | 1986-1987 | 1988.03.16 | グロモフ飛行研究所 КАПО(????-2022) | ツポレフ設計局 | Tu-160M2/RF-94444 (2021-) | Борис Веремей(ボリス・ヴェレメイ、本機のテストパイロット、ソ連邦英雄。2005.08-) | 1988年3月22日に初飛行した量産機。ツポレフ設計局の試験機体として運用され、MAKS95、MAKS97にTu-160SKのデモンストレーション機体として参加した。後にTu-160M2の試作機として改修され、2021年9月17日に飛行試験が行われた。改修後の国籍記号はRF-94444となっている。2022年2月4日、機体番号09を付与された本機がカザン航空機製造合同でTu-160M2の量産機として作業中である。 |
402 | 26 | КАПО / 81804921 | 1986-1987 | 1988.06.30 | プリルキ(1991-2000) | 第184親衛重爆撃機航空連隊(1991-2000) ポルタヴァ重爆撃機博物館(展示中,2000.11.13-) | Tu-160 | 1988年11月に初飛行した。総飛行時間430時間。 | |
403 | 20 | КАПО / 82804734 | 1986-1988 | 1988.10.14 | プリルキ(1991-1999) | 第184親衛重爆撃機航空連隊(1991-1999) 破棄(1999.11.26) | Tu-160 | 量産機体。1988年に初飛行 | |
404 | 21 | КАПО / 82804547 | 1986-1988 | 1988.12.31 | プリルキ(1991-2000) | 第184親衛重爆撃機航空連隊(1991-2000) 破棄(2000.03.24) | Tu-160 | 1988年12月31日に引き渡された量産機体。1992年に初飛行。 | |
405 | 22 14(2006-) | КАПО / 83804352 | 1986-1988 | 1989.02.14 | プリルキ(1991-1999) エンゲリス(1999-) КАПО(2008-2009,2014-2021.03) グロモフ飛行研究所 (2021.03.10-) | 第6950ドンバス親衛航空基地(第1航空群,2012-2016) | Tu-160M2/RF-94103 (2012.07-) | Игорь Сикорский(イーゴリ・シコールスキイ、ウクライナ人航空機エンジニア。実用ヘリコプターの開発者) | 1989年初飛行。1999年にウクライナから売却されロシアへ移管。2016年よりTu-160Mへの改修を受け、2019年11月に試験開始。2020年2月2日に初飛行した。2020年11月3日、改良されたNK-32-02エンジンを搭載し飛行した。2021年3月、グロモフ飛行研究所へ引き渡された。Tu-160M2に搭載されるアヴィオニクスやエンジンのテストヘッドである。機首の先端にピトー管を装着している。 |
501 | 23 | КАПО / 84805813 | 1986-1988 | 1989.03.15 | プリルキ(1991-2000) | 第184親衛重爆撃機航空連隊(1991-2000) 破棄(2000.10.19) | Tu-160 | ||
502 | 24 | КАПО / 84805425 | 1986-1988 | 1989? | プリルキ(1991-2000) | 第184親衛重爆撃機航空連隊(1991-1998) 破棄(1998.11.16) | Tu-160 | 1989年にロールアウトした量産機。総飛行時間466時間。 | |
503 | 16 | КАПО / 82905836 | 1986-1989 | 1990.06.06 | プリルキ(1991-1999) エンゲリス(1999-2014) КАПО(2014-) | 第184親衛重爆撃機航空連隊(1991-1999) 第121親衛重爆撃機航空連隊(????-2009) 第6950ドンバス親衛航空基地(第1航空群,2009-) | Tu-160M/RF-94107 (2012-) | Алексей Плохов(アレクセイ・プロホフ、空軍パイロット、ソ連邦英雄。2009.04.10-) | 1999年にウクライナから売却されロシアへ移管。2009年4月10日に修復、Tu-160Mへ改修されたのちに復帰した。2014年現在修復中 |
504 | 17 | КАПО / 83905142 | 1986-1989 | 1990.06.29 | プリルキ(1991-1999) エンゲリス(1999-) КАПО(????-2011) | 第184親衛重爆撃機航空連隊(1991-1999) 第121親衛重爆撃機航空連隊(????-2009) 第6950ドンバス親衛航空基地(第1航空群,2009-) | Tu-160M/RF-94110 (2009-) | Прилуки(プリルキ,????-2009) Валерий Чкалов(ヴァレリー・チカロフ。ソ連飛行士、ソ連邦英雄。無着陸飛行の世界記録樹立者,2009-) | 1999年にウクライナから売却されロシアへ移管。2007年から2011年の間に修復、Tu-160Mへの改修を完了した。 |
505 | 15 | КАПО / 83905953 | 1986-1989 | 1990.08.31 | プリルキ(1991-1999) エンゲリス(1999-) КАПО(????-2013) | 第184親衛重爆撃機航空連隊(1991-1999) 第121親衛重爆撃機航空連隊(1999-2009) 第6950ドンバス親衛航空基地(第1航空群,2009-) | Tu-160M/RF-94108 (2010-) | Владимир Судец(ウラジーミル・スデツ、第17空軍司令官、空軍元帥。遠距離航空コマンド司令官(1955-1962)、ソ連邦英雄) | 1999年にウクライナから売却されロシアへ移管。2010年から2013年にかけて修復・改修が行われた。 |
601 | 10 | КАПО / 84906217 | 1986-1989 | 1990.12.19 | プリルキ(1991-1999) エンゲリス(1999-) КАПО(2007-2008,2012-2016) | 第184親衛重爆撃機航空連隊(1991-1999) 第121親衛重爆撃機航空連隊(1999.06.11-2009) 第6950ドンバス親衛航空基地(第1航空群,2009-) | Tu-160M/RF-94100 (2011-) | Николай Кузнецов(ニコライ・クズネツォフ、エンジン技術者、N・D・クズネツォフ記念サマーラ科学技術複合の前身である第276国営連邦試験工場の主任技師。社会主義労働英雄。2000.08.09-) | 1999年にウクライナから売却されロシアへ移管。2007に修復・改修が行われ、2008年に空軍へ引き渡され運用開始。2012年から再び修復、Tu-160Mへ改修された。2016年8月に試験を完了したのちに復帰。本機はコックピット後方にある2対のペリスコープの位置がやや中央よりとなっている。 |
602 | 11 | КАПО / 84906826 | 1986-1989 | 1990.12.30 | プリルキ(1991.02-1999) エンゲリス(1999-) КАПО(2012-2016.01.28) | 第184親衛重爆撃機航空連隊(1991-1999) 第121親衛重爆撃機航空連隊(2000.02.01-2009) 第6950ドンバス親衛航空基地(第1航空群,2009-) | Tu-160M/RF-94114 (2011-) | Василий Сенько(ヴァシリー・センコ,ソ連空軍大佐、航法士。2度の社会主義労働英雄。2007-) | 1999年にウクライナから売却されロシアへ移管。2012年から2016年の間に修復、Tu-160Mへ改修された。 |
603 | 12 | КАПО / 84906335 | 1986-1989 | 1991.03.30 | プリルキ(1991-1999) エンゲリス(1999-) КАПО(2011-2013) | 第184親衛重爆撃機航空連隊(1991-1999) 第121親衛重爆撃機航空連隊(????-2009) 第6950ドンバス親衛航空基地(第1航空群,2009-) | Tu-160M/RF-94109 (????-) | Александр Новиков(アレクサンドル・ノヴィコフ、ソ連空軍司令官、遠距離航空コマンド司令官(1953-1955)、2度のソ連邦英雄) | 1999年にウクライナから売却されロシアへ移管。2011年から2013年の間に修復、Tu-160Mへの改修を完了した。 |
604 | 14 | КАПО / 81006741 | 1987-1990 | 1991.03 | プリルキ(1991-1999) | 第184親衛重爆撃機航空連隊(1991-1999) 破棄(1999.01.16) | Tu-160 | 総飛行時間100時間未満。 | |
605 | 18 | КАПО / 82006458 | 1987-1990 | 1991.09.30 | プリルキ(1991-2000) エンゲリス(2000.03.21-) КАПО(2003-2014) | 第184親衛重爆撃機航空連隊(1991-2000) 第6950ドンバス親衛航空基地(第1航空群,2014.12-) | Tu-160M/RF-94111 (????-) | Андрей Туполев(アンドレーイ・トゥーポレフ、航空機設計者、ツポレフ設計局の創設者。3度の社会主義労働英雄) | ソ連崩壊前に生産された最後の機体である。2000年3月21日にウクライナから売却されロシアへ移管。2003年から修復のためКАПОに移管され、2013年から2014年の間に修復、Tu-160Mへの改修を受け、2014年12月19日に空軍へ引き渡された。 |
701 | 01 | КАПО / 82007617 | 1989.02.14 | 1991.12.30 | エンゲリス(1992.03.21-2003) | 第1096重爆撃機航空連隊(1992.02.16-1994) 第121親衛重爆撃機航空連隊(1994-2003) | Tu-160 | Михаил Громов(ミハイル・グロモフ、ソ連空軍テストパイロット、長距離飛行記録樹立者、ソ連邦英雄。1999.02.22-) | 1992年に初飛行。2003年9月18日に墜落。総飛行時間537時間 |
702 | 02 | КАПО / 83007526 | 1987-1990 | 1992.06.30 | エンゲリス(1992.05-) КАПО(2008?-2010?,2013?-2017) | 第1096重爆撃機航空連隊(1992.05-1994) 第121親衛重爆撃機航空連隊(1994-2009) 第6950ドンバス親衛航空基地(第1航空群,2009-) | Tu-160M/RF-94102 (2010.06-) | Василий Решетников(ヴァシリー・レシェトニコフ、ソ連空軍戦略爆撃機パイロット、指揮官。遠距離航空コマンド司令官(1969-1980)、ソ連邦英雄,1999.12.23-) | 1992年に初飛行した量産機。2008年から2010年の間に修復と改修を受けた後に再配備、2013年から2017年の間に再度改修され、機体をTu-160Mへ更新した。 |
703 | 03 | КАПО / 83007335 | 1987-1990 | 1992.09.30 | エンゲリス(1992.05-) КАПО(2009-2011) | 第1096重爆撃機航空連隊(1992.05-1994) 第121親衛重爆撃機航空連隊(1994-2009) 第6950ドンバス親衛航空基地(第1航空群,2009-) | Tu-160M/RF-94101 (2010-) | Павел Таран(パヴェル・タラン、ソ連空軍戦略爆撃機パイロット、高級指揮官(中将)。2度のソ連邦英雄,2002.07.31-) | 1992年に初飛行した量産機。2005年8月にウラジーミル・プーチン大統領が搭乗し、飛行した。2009年から2011年の間に修復と改修を受けた後に再配備 |
704 | 04 | КАПО / 84007142 | 1987-1991 | 1992.12.30 | エンゲリス(1993-) КАПО(2009-2010,2017-2018,2020) | 第1096重爆撃機航空連隊(1993-1994) 第121親衛重爆撃機航空連隊(1994-2009) 第6950ドンバス親衛航空基地(第1航空群,2009-) | Tu-160M/RF-94112 (2011-) | Иван Ярыгин(イヴァン・ヤリギン、ソ連/ロシアのレスラー、メダリスト、SSRスポーツマスター。1999.01.06-) | 1993年に初飛行した量産機。2017年から2018年の間に修復とTu-160Mへの改修、2020年4月23日に再び機器を更新した。 |
705 | 05 | КАПО / 84007259 | 1987-1991 | 1993.07.21 | エンゲリス(1993-) КАПО(2010-2012) | 第1096重爆撃機航空連隊(1994) 第121親衛重爆撃機航空連隊(1994-2009) 第6950ドンバス親衛航空基地(第1航空群,2009-) | Tu-160M/RF-94104 (2011-) | Илья Муромец(イリヤ・ムーロメツ、叙事詩の主人公である大英雄。1995-1999) Александр Голованов(アレクサンドル・ゴロヴァノフ、第18空軍司令官、遠距離航空コマンド司令官(1942-1948)、空軍元帥。1999.08.07-) | 1993年-1994年の間に初飛行した量産機。2010年から2012年の間に修復、改修を受けている。 |
801 | 06 | КАПО / 84308216 | ????-1992 | 1994.06.30 | エンゲリス(1993-) КАПО(2008-2009, ????-2023) | 第1096重爆撃機航空連隊(1994) 第121親衛重爆撃機航空連隊(1994-2009) 第6950ドンバス親衛航空基地(第1航空群,2009-) | Tu-160M2/RF-94105 (2011-) | Илья Муромец(イリヤ・ムーロメツ、叙事詩の主人公である大英雄。1995.05.06-) | 1994年に初飛行した量産機。2008年から2009年の間に修復、改修を受けている。2023年12月23日、Tu-160M2への改修を確認。2024年2月22日、ウラジーミル・プーチン大統領をКАПОを視察、本機に搭乗して30分間飛行した。 |
802 | 07 | КАПО / 82408427 | 1992 | 2000.03.21 | エンゲリス(2000.09.05-) КАПО(????-) | 第121親衛重爆撃機航空連隊(2000.09.05-2009) 第6950ドンバス親衛航空基地(第1航空群,2009-) | Tu-160M2/RF-94106 (2012-) | Александр Молодчий(アレクサンドル・モロッチ、ソ連空軍重爆撃機パイロット、指揮官、2度のソ連邦英雄。2000.06.27-) | 1994年に初飛行した量産機。2008年から2009年の間に修復、改修を受けている。2024年2月22日、Tu-160M2への改修を完了した。 |
803 | 08 | КАПО / 84408538 | 1992 | 2008.03.06 | エンゲリス(2008.04.29-) | 第121親衛重爆撃機航空連隊(2008-2009) 第6950ドンバス親衛航空基地(第1航空群,2009-) | Tu-160M/RF-94115 | Виталий Копылов(ヴィタリー・コピロフ、航空機エンジニア、カザン航空機製造合同の最高責任者(1973-1994)、社会主義労働英雄) | 2007年12月28日に初飛行した量産機。Tu-160Mとして生産された。2015年にロシア軍によるシリア内戦への軍事介入の際に投入された。 |
804 | КАПО / 84408538 | 1992 | КАПО(2017-) | Tu-160M | Петр Дейнекин(ピョートル・デイネキン、ソ連/ロシア空軍の最高司令官、空軍元帥、遠距離航空コマンド司令官(1995-1980)、ロシア連邦英雄。2018-) | 2017年11月16日にロールアウトしたTu-160M。2018年1月15日に初飛行した。本機がメディアや関係者にはTu-160M2として認知される場合もあるが統一航空機製造会社のプレスではTu-160Mと呼称されている。 | |||
901 | КАПО / ???? | 2018.12.20 | КАПО(2018-) | Tu-160M2 | Валентина Терешкова(ワレンチナ・テレシコワ、ソ連空軍少将、最初の女性宇宙飛行士。ソ連邦英雄。2023.03.14-) | Tu-160M2として生産された新造の量産初号機。2018年12月20日に製造が開始された。2022年1月12日に初飛行した。 | |||
902(?) | 22 | 2018 | КАПО | Tu-160M2 | 2024年2月22日КАПОにて公開されたTu-160M2の新造機で、ロールアウトに向けて準備段階である。 | ||||
903(?) | 23 | 2018 | КАПО | Tu-160M2/RF-66017 | 2024年2月22日КАПОにて公開されたTu-160M2の新造機で、ロールアウトに向けて準備段階である。 |
機体表面のインシグニアやラウンデルの類については、配備や改修に伴って幾度か変更されている。1980年後期に第184親衛重爆撃機航空連隊へ実戦配備された時は垂直尾翼と主翼にソ連空軍のラウンデルが、垂直尾翼の後端と前脚の収納扉に機体番号がそれぞれ塗装されるのみだった。ソ連崩壊後のロシアに残った機体が第1096重爆撃機連隊への配備を経て、第121親衛重爆撃機航空連隊へと再編成される際には垂直尾翼の翼端に沿って国旗が塗装され、機首の一部にはロシア空軍旗の一部を模った三角形のストライプ模様と、キャノピー後方の側面には機体名が記されるようになった。このうち1995年の大祖国戦争勝利50周年軍事パレードにて赤の広場上空を飛行した機体は垂直尾翼のラウンデルが国章に変更された。その後、Tu-160Mへ改修される際にソ連空軍のラウンデルはロシア航空宇宙軍のものへと変更され、垂直尾翼の国旗は除去されている。さらにその後、2018年以降に既存の機体へTu-160M2に準じた改修が施されると機首の空軍旗は無くなり、側面の窓付近に遠距離航空コマンドの徽章が追加され、キャノピー付近の機体名は縮小された。
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