黒沢 翁満(くろさわ おきなまろ、1795年(寛政7年)- 1859年5月21日(安政6年4月19日))は、江戸時代後期の国学者、歌人である。名は重札、号は葎居。通称は九蔵後に八左衛門。
伊勢の桑名藩士の子として生まれる。幼年期より父から狂歌や和歌を学んだ。1807年(文化4年)に桑名藩士となり、その傍らで戯作や国学に興味を持ち学んだ。1823年(文政6年)に当時の藩主であった松平忠堯の命により、同藩の拠点が武蔵の忍(現在の埼玉県行田市)に移った。後に再度戯作や狂歌等滑稽な詩文について学び初め、山東京伝らと共に親交を持った。
しかし京伝の推薦により国学に転じ、本居宣長から学んだ。後に賀茂真淵の学問を参考に独学で学んだ。これにより、真淵を「道祖神」と称して毎朝毎晩彼を礼拝したともされている。翁満は後に国学以外にも随筆家として多くの著書を刊行した。後に再度大坂に移り、多くの門人を輩出した。なお翁満が著した著書は随筆や語学、作文等多くの種類に及んだ。没後は大阪府大阪市天王寺区口縄坂にある珊瑚寺に葬られた。
翁満は多くの趣味があり、酒豪であったと伝えられている。
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