高松宮記念杯競輪(たかまつのみやきねんはいけいりん)は、毎年6月に開催される、競輪のGI競走である。
概要 | |
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開催時期 | 6月 |
開催地域 | 持ち回り |
愛称 | 宮杯 |
分野 | 競輪 |
カテゴリー | GI |
形態 | 6日間トーナメント |
主催者 | 滋賀県または大津市 - 1988年まで 大津市 - 2010年まで 持ち回り - 2011年以降 |
歴史 | |
初回開催年 | 1950年 |
初代優勝者 | 山本清治 |
最多優勝者 | 滝澤正光(5回) |
直近優勝者 | 古性優作(2023年) |
当大会は、1950年の第1回大会から2010年の第61回大会まで開催された大津びわこ競輪場を開設するにあたり、その選定地が近江神宮の外苑であったことから、近江神宮に縁のある高松宮宣仁親王に賜杯の下賜を請願し、承諾を得たことに由来する。
1963年の第14回大会までは『高松宮同妃賜杯競輪』として、1964年の第15回大会から1972年の第23回大会までは『高松宮賜杯競輪』として、1973年の第24回大会から1997年の第48回大会までは『高松宮杯競輪』としてそれぞれ行われ、1998年の第49回大会より現在の名称で行われている。
ファン・選手・関係者の間では親しみを込めて「宮杯(みやはい)」という略称で呼ばれる。また、例年6月という梅雨の時期に開催されることから「雨の宮杯」と呼ばれることもある。
当大会は「東西対抗戦」が謳われており、出場選手を東日本地区・西日本地区でそれぞれ分けた上で各地区ごとに予選を行うことが特徴である。かつては最終日の前日に東日本・西日本それぞれで決勝戦(他のGIでは準決勝戦に該当)を行い、それぞれ1 - 4着8名と5着のうちいずれか1名が最終日の決勝戦に勝ち上がる方式であった(レース後は1着選手が東日本王者または西日本王者として表彰された)。現在では5日目に東日本・西日本とも準決勝戦を2レースずつ行い、それぞれ1 - 2着8名と3着のうちいずれか1名が最終日の決勝戦に勝ち上がることになっている。
1992年の第43回大会限りで引退した中野浩一(同大会決勝戦2着)がグランドスラムに王手をかけながら唯一タイトルを獲得出来なかった特別競輪(GI)としても知られる。また、2004年の第55回大会に優勝した松本整や、2006年の第57回大会の内林久徳が大会直後や大会中に引退発表したレースでもある。
開催時期については、大津びわこ競輪場での固定開催であった時期は5月下旬〜6月上旬の間に開催されることが多かったが、持ち回りとなって以降、特に2012年の第63回大会以降は6月中旬(最終日は日曜日)での開催が続いている。
なお、第1回から第5回までは記念競輪(現在のGIII相当)として、第6回から第13回までは特殊競輪(現在のGII相当)として、それぞれ開催されており、特別競輪(現在のGI相当)として正式に認定されたのは1963年の第14回大会からであるが、第1回からほぼ6日間連続通しで開催されていたこともあり、現在では過去全ての優勝者を特別競輪を制覇した者として扱っている。
以下は、近年の決勝戦における各着順の賞金額。( )内は副賞(1〜3着に授与)を含んだ金額。
大会(年) | 1着 | 2着 | 3着 | 4着 | 5着 | 6着 | 7着 | 8着 | 9着 |
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第73回(2022年) | 3,442万円(3,532万円) | 1,771万円(1,811万円) | 1,156万円(1,180万円) | 837.2万円 | 688.9万円 | 577.3万円 | 466.9万円 | 430.1万円 | 406.0万円 |
第74回(2023年) | 4,500万円(4,590万円) | 2,208万円(2,320.8万円) | 1,490万円(1,514.7万円) | 1,088.1万円 | 870.5万円 | 713.5万円 | 594.6万円 | 555.4万円 | 527.6万円 |
第75回(2024年) | 4,700万円 | 2,372万円 | 1,550万円 | 1,131.6万円 | 905.3万円 | 742.0万円 | 618.4万円 | 577.6万円 | 548.7万円 |
1950年の大津びわこ競輪場開設記念開催となる第1回の『高松宮同妃賜杯競輪』では、高松宮が宮妃と共に決勝日に訪れ、賜杯となる優勝トロフィーを優勝者に自ら渡した。以降も高松宮は幾度も決勝日に来場し、決勝の表彰式に臨席するのが恒例となった。以後、1963年の第14回大会まで同名称で開催された。
1964年第15回大会から1972年第23回大会までは『高松宮賜杯競輪』の名称で開催され、1973年第24回大会から長らく『高松宮杯競輪』として開催されてきたが、1997年第48回大会の直前に皇室経済法等の規定により高松宮家から「下賜を取りやめたい」という申し出がなされたため、一時は高松宮杯競輪の開催が危ぶまれるという事態に陥った。最終的に同年はそのまま「高松宮杯競輪」として開催されたが、翌1998年第49回大会からは『高松宮記念杯競輪』と改称することで落ち着いた。
1999年第50回大会からはそれまでの6日制から4日制へと改められ、2002年第53回からそれまでの特別競輪という呼称に代わりグレード制が採用されたためGI競走に格付けされた。
2010年第61回大会では総売上が目標額(133億円)に達しなかっただけでなく、大津市が競輪事業の存廃の分岐点と定めた110億円をも下回る107億4605万1900円に留まったことから、大津市は2010年度末(2011年3月末)をもって競輪事業と大津びわこ競輪場の廃止を決定した。このため高松宮記念杯自体の存続も議論されたが開催は継続されることになり、2011年度以降は他の特別競輪同様に開催を希望する競輪場での持ち回りで実施されることになり、現在に至っている。ただ、持ち回りとなって以降は、大津びわこ競輪場と同じ近畿の岸和田競輪場が積極的に誘致しており、2011年以降2023年までで通算8回開催しており、それ以降も開催地が決定している2025年まで5年連続して開催予定(通算10回目となる開催予定)である。
2020年の第71回大会はCOVID-19の流行と感染拡大の防止の観点から、競輪のGI競走としては初めての無観客開催として開催が行われた。 2021年の第72回大会は、緊急事態宣言の期間延長及び大阪府からの要請を受けて、前半2日間(6月17日・18日)は入場制限あり(事前申し込みはなし)の有観客での開催で、後半2日間(19日・20日)は無観客での開催で、それぞれ行われた。
2023年の第74回大会からは、4日制から25年ぶりに6日制へと再び戻された。その上で、ガールズケイリンによる東西対抗のトーナメントが組み込まれ、のちそのレースがガールズケイリン初のGI『パールカップ』として行われること、大阪・関西万博に協賛することも併せて発表された。また、4年ぶりに入場制限も撤廃された。
2024年の第75回大会は、令和6年能登半島地震を受け、令和6年能登半島地震復興支援競輪として実施される。
高松宮記念杯競輪の出場選手は、東西対抗の趣旨に則り、東地区と西地区に分かれて選抜される。
毎回若干変更・修正されるものの、概ね以下の資格順位により正選手108名(東西54名ずつ)、補欠選手10名(東西5名ずつ)を選抜する。
なお、補欠選手は正選手を除く平均競走得点上位者から東西別にさらに順次選抜される。
この大会は、他のどの競輪開催とも異なり、『高松宮杯競輪』となった1973年第24回大会以降は「東西対抗戦」の形式をとっているのが特徴である。
これは、準決勝までの勝ち上がり戦について、東日本(競輪の地区でいう北日本・関東・南関東、したがって静岡・長野・新潟以東)、西日本(中部・近畿・中国・四国・九州、したがって愛知、岐阜、富山以西)で分かれてレースを行い、準決勝を勝ち抜いた東西各4名及びワイルドカードとなる1名によって決勝戦が行われるというものである。
2023年の第74回大会より、それまでの4日制から6日制に拡張され、それに合わせた番組体系となった。一次予選は競輪祭・オールスター競輪と同じく2走合計でのポイント制となり、競輪祭と同じく一次予選においては特別選抜が廃止され全員フラットな条件からスタート。前半3日間のうち2走で獲得したポイントにより東西各36名の二次予選進出者を決定し、そのうち上位の東西各9名が4日目に行われる優秀競走(二次予選特別選抜)として白虎賞(西日本)・青龍賞(東日本)に進出する。5日目の準決勝は、東日本・西日本それぞれ2レースずつ行われ、すなわち合わせて4レース行われるのは全競輪の開催の中で唯一であり、決勝進出が確約される着順が2着以上となるのも特別競輪の中で唯一となっている。
なお、敗者戦は東西関係なく番組編成される。
2001年の第52回大会までは予選(一次予選、二次予選)と準決勝は東日本(関東・南関東以東)と西日本(中部以西)に分かれてそれぞれで勝ち上がりを行い、決勝では東西の各準決勝(東・西王座決定戦)の1〜4着4人ずつと5着2名の中から競走得点上位1名が進出するという体裁だった。
2002年の第53回大会から番組が変更となり、東西対抗戦のタイトルこそ残しているものの、その前哨戦として2月に「東西王座戦」(GII)と題してそれぞれの地区でトライアル競走を開催し、その成績を基に本戦の出場を争う形となった。なお本戦はこれまでの東西の地区分けをせず他のGI競走と同じように勝ち上がりを行っていたが、2004年第55回大会からは一次予選および初日の特別選抜予選のみ東西地区分けが行われ、二日目以降は東西混合戦という形になった。
2013年の第64回大会から東西王座戦の廃止に伴いさらに番組が変更となり、初日の選抜予選が廃止され、二次予選もA・Bの分割予選がなくなり、勝ち上がり条件を3着までとする統一的な予選として行われることになった。なお、選抜予選の廃止により一次予選の勝ち上がり条件も緩和されている。
2017年の第68回大会では、「東西対抗戦」をより明確に打ち出し、準決勝まで東西の選手が分かれる番組へと変更(2001年の第52回大会までの番組体系を復活)し、2日目は二次予選のみで優秀競走は廃止された。3日目の準決勝は2個レースとなり、これらの準決勝はそれぞれ、東王座戦・西王座戦と位置付けられることになった。
2018年の第69回大会からは、準決勝が4個レースとなった。また、一次予選の1着選手が2日目の優秀競走へ進出することができるようになった。
従来、青龍賞(東日本)・白虎賞(西日本)は初日の特別選抜予選だったが、2日目の優秀競走(2016年の第67回大会までは龍虎賞、2006年の第57回大会まではマザーレークカップという名称で1個レース)の位置付けになった。
初日 | 2日目 | 3日目 | 4日目 | 5日目 | 最終日 | |
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東 | 一次予選1(東) (4)(2) | |||||
一次予選2(東) (2)(4) | 二次予選(東) (3) | |||||
青龍賞(1) | 準決勝(東)(2) | |||||
優秀 | 決勝(1) | |||||
西 | 白虎賞(1) | 準決勝(西)(2) | ||||
一次予選2(西) (2)(4) | 二次予選(西) (3) | |||||
一次予選1(西) (4)(2) | ||||||
敗者戦 | - | (4) | (8) | (11) |
ポイント | 1着 | 2着 | 3着 | 4着 | 5着 | 6着 | 7着 | 8着 | 9着 | 棄権 |
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一次予1 | 10 | 9 | 8 | 7 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
一次予2 | 13 | 11 | 9 |
5日目までの勝ち上がり戦については全て、西暦下1ケタが奇数の年は、奇数のレースでは西日本、偶数のレースでは東日本、それぞれのレースが交互に行われる。一方、西暦下1ケタが偶数の年は、奇数のレースでは東日本、偶数のレースでは西日本、それぞれレースが交互に行われる。
一次予選では特別選抜競走がないため、出場選手全員が同じ条件で開催を迎える。また強制帰郷はないため、失格・途中欠場がなければ全員最終日に出走できる。
4日日ともに12レース制 。
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初日〜3日目は12レース、4日目(最終日)のみ11レースが行われる。
その他、2日目以降に予選敗退者を対象とした「特一般」(2日目)、「一般」、「選抜」、「特選」(3日目以降)が開催される。 最終日の競走が全11レースしか設定されないため、3日目「一般」各レースの7〜9着9名が、最終日を待たずに強制的に(失格はなくても)途中帰郷(「お帰り」)させられる。 |
初日〜3日目は12レース、4日目(最終日)のみ11レースが行われる。
その他、2日目以降に予選敗退者を対象とした「特一般」(2日目)、「一般」、「選抜」、「特選」(3日目以降)が開催される。 |
初日〜3日目は12レース、4日目(最終日)のみ11レースが行われる。
その他、2日目以降に予選敗退者を対象とした「特一般」(2日目)、「一般」、「選抜」、「特選」(3日目以降)が開催される。 |
回 | 開催日 | 開催場 | 優勝者 | 府県 | 東西 |
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1 | 1950年(昭和25年) | 大津びわこ | 山本清治 | ( | 大阪)西 |
2 | 1951年(昭和26年) | ||||
3 | 1952年(昭和27年) | 高倉登 | ( | 埼玉)東 | |
4 | 1953年(昭和28年) | 松村憲 | ( | 高知)西 | |
5 | 1954年(昭和29年) | 中井光雄 | ( | 滋賀)||
6 | 1955年(昭和30年) | ||||
7 | 1956年(昭和31年) | ||||
8 | 1957年(昭和32年) | 西村亀 | ( | 山口)||
9 | 1958年(昭和33年) | 加藤晶 | ( | 京都)||
10 | 1959年(昭和34年) | 山本清治 | ( | 大阪)||
11 | 1960年(昭和35年) | 石田雄彦 | ( | 和歌山)||
12 | 1961年(昭和36年) | 笹田伸二 | ( | 徳島)||
13 | 1962年(昭和37年) | ||||
14 | 1963年(昭和38年) | 高原永伍 | ( | 神奈川)東 | |
15 | 1964年(昭和39年) | 戸上守 | ( | 福岡)西 | |
16 | 1965年(昭和40年) | 白鳥伸雄 | ( | 千葉)東 | |
17 | 1966年(昭和41年) | 宮路雄資 | ( | 熊本)西 | |
18 | 1967年(昭和42年) | 平間誠記 | ( | 宮城)東 | |
19 | 1968年(昭和43年) | 吉川多喜夫 | ( | 神奈川)||
20 | 1969年(昭和44年) | 高原永伍 | |||
21 | 1970年(昭和45年) | 田中博 | ( | 群馬)||
22 | 1971年(昭和46年) | 稲村雅士 | |||
23 | 1972年(昭和47年) | 福島正幸 | |||
24 | 1973年(昭和48年) | 太田義夫 | ( | 千葉)||
25 | 1974年(昭和49年) | 荒木実 | ( | 京都)西 | |
26 | 1975年(昭和50年) | 藤巻清志 | ( | 神奈川)東 | |
27 | 1976年(昭和51年) | 荒木実 | ( | 京都)西 | |
28 | 1977年(昭和52年) | 谷津田陽一 | ( | 神奈川)東 | |
29 | 1978年(昭和53年) | 阿部良二 | ( | 岩手)||
30 | 1979年(昭和54年) | 荒川秀之助 | ( | 宮城)||
31 | 1980年(昭和55年) | 藤巻昇 | ( | 北海道)||
32 | 1981年(昭和56年) | 久保千代志 | ( | 愛知)西 | |
33 | 1982年(昭和57年) | 伊藤豊明 | ( | 愛媛)||
34 | 1983年(昭和58年) | 尾崎雅彦 | ( | 東京)東 | |
35 | 1984年(昭和59年) | 佐々木昭彦 | ( | 佐賀)西 | |
36 | 1985年(昭和60年) | 滝澤正光 | ( | 千葉)東 | |
37 | 1986年(昭和61年) | ||||
38 | 1987年(昭和62年) | ||||
39 | 1988年(昭和63年) | 井上茂徳 | ( | 佐賀)西 | |
40 | 1989年(平成元年) | 滝澤正光 | ( | 千葉)東 | |
41 | 1990年(平成 2年) | 鈴木誠 | |||
42 | 1991年(平成 3年) | 佐々木昭彦 | ( | 佐賀)西 | |
43 | 1992年(平成 4年) | 滝澤正光 | ( | 千葉)東 | |
44 | 1993年(平成 5年) | 井上茂徳 | ( | 佐賀)西 | |
45 | 1994年(平成 6年) | 神山雄一郎 | ( | 栃木)東 | |
46 | 1995年(平成 7年) | ||||
47 | 1996年(平成 8年) | 吉岡稔真 | ( | 福岡)西 | |
48 | 1997年(平成 9年) | ||||
49 | 1998年(平成10年) | 高木隆弘 | ( | 神奈川)東 | |
50 | 1999年(平成11年) | 太田真一 | ( | 埼玉)||
51 | 2000年(平成12年) | 金子真也 | ( | 群馬)||
52 | 2001年(平成13年) | 高木隆弘 | ( | 神奈川)||
53 | 2002年(平成14年) | 山口富生 | ( | 岐阜)西 | |
54 | 2003年(平成15年) | 小嶋敬二 | ( | 石川)||
55 | 2004年(平成16年) | 松本整 | ( | 京都)||
56 | 2005年(平成17年) | 村本大輔 | ( | 静岡)東 | |
57 | 2006年(平成18年) | 山崎芳仁 | ( | 福島)||
58 | 2007年(平成19年) | 小嶋敬二 | ( | 石川)西 | |
59 | 2008年(平成20年) | 渡邉晴智 | ( | 静岡)東 | |
60 | 2009年(平成21年) | 平原康多 | ( | 埼玉)||
61 | 2010年(平成22年) | ||||
62 | 2011年(平成23年) | 前橋 | 深谷知広 | ( | 愛知)西 |
63 | 2012年(平成24年) | 函館 | 武田豊樹 | ( | 茨城)東 |
64 | 2013年(平成25年) | 岸和田 | 成田和也 | ( | 福島)|
65 | 2014年(平成26年) | 宇都宮 | 稲川翔 | ( | 大阪)西 |
66 | 2015年(平成27年) | 岸和田 | 武田豊樹 | ( | 茨城)東 |
67 | 2016年(平成28年) | 名古屋 | 新田祐大 | ( | 福島)|
68 | 2017年(平成29年) | 岸和田 | |||
69 | 2018年(平成30年) | 三谷竜生 | ( | 奈良)西 | |
70 | 2019年(令和元年) | 中川誠一郎 | ( | 熊本)||
71 | 2020年(令和2年) | 和歌山 | 脇本雄太 | ( | 福井)|
72 | 2021年(令和3年) | 岸和田 | 宿口陽一 | ( | 埼玉)東 |
73 | 2022年(令和4年) | 古性優作 | (大阪) | 西 | |
74 | 2023年(令和5年) |
開催場は全てびわこ競輪場
回 | 開催日 | 優勝者 | 府県 |
---|---|---|---|
1 | 1950年(昭和25年) | 渋谷小夜子 | ( | 神奈川)
2 | 1951年(昭和26年) | ||
3 | 1952年(昭和27年) | ||
4 | 1953年(昭和28年) | 山内寿子 | ( | 長崎)
5 | 1954年(昭和29年) | 田中和子 | ( | 奈良)
6 | 1955年(昭和30年) | ||
7 | 1956年(昭和31年) | ||
8 | 1957年(昭和32年) | ||
9 | 1958年(昭和33年) | 畑田美千代 | ( | 京都)
10 | 1959年(昭和34年) | 松本喜登美 | ( | 山口)
11 | 1960年(昭和35年) | 加古政子 | ( | 群馬)
12 | 1961年(昭和36年) | 中村金子 | ( | 熊本)
13 | 1962年(昭和37年) | 松川光子 | ( | 香川)
14 | 1963年(昭和38年) | 川崎喜登美(旧姓・松本) | ( | 山口)
15 | 1964年(昭和39年) | 石村美千代 |
パールカップ優勝者についてはこちらを参照。
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