藤原 亮子(ふじわら りょうこ、1917年3月1日 - 1974年1月27日)は昭和期の歌手。
藤原 亮子 | |
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基本情報 | |
出生名 | 藤原 亮 |
生誕 | 1917年3月1日 |
出身地 | 日本・山口県萩市 |
死没 | 1974年1月27日(56歳没) |
学歴 | 東洋音楽学校 |
活動期間 | 1937年 - 1974年 |
レーベル | ビクターレコード |
1937年(昭和12年)、「泣いて居る」でビクターレコードからデビュー。
柴田睦陸との「朝だ元気で」、小畑実との「勘太郎月夜唄」、「婦系図の歌(湯島の白梅)」、「小太刀を使う女」、竹山逸郎との「誰か夢なき」、「月よりの使者」など、男性歌手とのデュエットでヒットを飛ばす。
生涯独身で、晩年は横浜で暮らした。
昭和40年代の懐メロブームの際に再登場し、テレビ番組などで自身のヒット曲を披露していた。その際は、ソロで披露することが多く、特に不仲だったとされる竹山逸郎とは、決してデュエットしなかった。
1974年1月27日、脳出血で死去。56歳没。
2008年8月27日に発売されたビクター・レコーディングズ②にて、彼女にしては非常に珍しい ソロの作品「矢車草の歌」が収録されている。
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