荒井 退造(あらい たいぞう、1900年9月22日 - 1945年6月26日?)は、日本の警察官僚。沖縄戦時、沖縄県警察部長として県民の避難・保護に尽力した。
栃木県芳賀郡清原村(現在の宇都宮市上籠谷町)に農家の次男として出生。鐺山尋常小学校、清原尋常高等小学校、栃木県立宇都宮中学校と進み、その後上京し高千穂高等商業学校(現高千穂大学)に進学した後、巡査をしながら明治大学夜間部を卒業、1927年高等試験に合格、同年内務省に入省した苦学力行の人物。長男は、亡父の遺志を継ぎ、戦後東京大学法学部を卒業して旧自治省に入省、行政局長・国土庁審議官を歴任した荒井紀雄。
1943年7月1日、福井県官房長から沖縄県警察部長に就任。
1944年7月7日、沖縄県民の県外疎開が閣議決定されたのを受け、警察部長として先頭に立ち県民の疎開を促進する。
1945年1月31日、島田叡が沖縄県知事に着任すると、島田を支え、県民の県外・北部疎開や軍との交渉などに当たる。同年6月26日、島田と摩文仁の軍医部壕を出たのを最後に消息不明となり、現在もその遺体は未発見である。島田と共に県民の避難・保護に尽力し、合わせて約20万人の命を救ったとされる。
2007年、荒井の遺品と見られる碁石と万年筆が県庁警察部壕内で発見された。万年筆については、後に沖縄県平和祈念資料館に寄贈された。
2013年、母校である宇都宮高校の同窓会報に荒井に関する寄稿が掲載されたことを契機に、栃木県内で顕彰の動きが活発化する。
2016年、宇都宮市上籠谷町にある生家に顕彰碑と記念館が設置された。
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