眞木 準(まき じゅん、1948年10月20日 - 2009年6月22日)は日本のコピーライター。愛知県知多市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。
眞木 準 | |
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2007年撮影 | |
生誕 | 1948年10月20日 日本・愛知県知多市 |
死没 | 2009年6月22日(60歳没) |
職業 | コピーライター |
1971年に博報堂に入社。同社の制作室クリエイティブチームに在籍し、全日空やサントリー、キヤノンなどの企業の広告コピーを12年に渡って書き続けた。
1983年に博報堂を退社し、フリーに転じた後は伊勢丹、資生堂、三陽商会などの企業のコピーを手掛ける一方で、1988年に朝日新聞社から刊行された週刊誌『AERA』のネーミング考案などにも携わった。特に伊勢丹のキャンペーン広告は、博報堂在籍時の1978年から手掛けていたが、1984年からは前任者で同じくコピーライターの土屋耕一から引き継ぐ形で、長期間にわたり同キャンペーン広告のコピーを担当した(土屋も1989年まで同キャンペーンのコピーを担当していた)。
東京コピーライターズクラブ副会長、コピーライター養成講座の副校長を歴任。(1つ上の仲畑貴志は会長・校長)
主に駄洒落タイプのコピーが多かったことで知られる。眞木がコピーを書き始めた1970年代当時、こうした駄洒落コピーに対する評価は冷ややかだったが、これを全日空、伊勢丹、サントリーなどの広告に積極的に用い(眞木自身はこれを「ダジャレではなくオシャレ」と言っていた)、駄洒落コピーのスタイルをつくりあげたことで知られる。しかしその一方で、多くの亜流も生んだ。
また自身がネーミング考案に携わった「AERA」の、風刺の一行コピーの選任者の中にも本人がその名を連ねてもいた。
他多数。
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