爆笑問題のオモスルドロイカ帝国(ばくしょうもんだいのオモスルドロイカていこく)は、1990年4月9日から1991年4月4日まで、ニッポン放送で放送されていたラジオ番組。
爆笑問題のオモスルドロイカ帝国 | |
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ジャンル | バラエティ番組 |
放送期間 | 1990年4月9日 - 1991年4月4日 |
放送時間 | 月曜 21:00 - 21:50 →月曜 - 木曜 21:00 - 21:50 |
放送局 | ニッポン放送 |
制作 | ニッポン放送 |
ネットワーク | 無し |
パーソナリティ | 爆笑問題 (太田光・田中裕二) |
出演 | まじかるず 前田日明 |
メインパーソナリティの爆笑問題は、1990年3月まで『腹よじれAGOHAZUSHI連盟』の『大笑い腹よじれクラブ』コーナーの月曜レギュラーとして6か月間出演していたが、そこから当番組に抜擢される形となった。爆笑問題にとって、当番組が初めてメインでパーソナリティを務めたラジオ番組である。なお、「オモスルドロイカ」とは、ニッポン放送の1990年度のキャッチコピー及び編成コンセプトであり、一説には、これは人々を幸せにする一種のおまじないの言葉とされている。爆笑問題が1990年度の“局の顔”となってキャッチコピーを背負うことになった番組でもある。
最初は週1回、ニッポン放送ショウアップナイターの中継カードが無い月曜日の放送で、ナイターオフ期に入った1990年10月からは月曜日から木曜日まで毎日放送される帯番組となった。
当番組の構成を務めていたのは藤井青銅。この時爆笑問題は藤井と知り合って世話になり、今でも恩人としているという。
その後、爆笑問題はTBSラジオをメインにラジオ番組を持つようになったため、ニッポン放送でのレギュラー番組は2021年現在、この番組が最後となっている。
1990年4月23日放送。ゴールデンウィークに休みも満足に取れないサラリーマンが多い中、この間海外で過ごすOLも多いということで、そのようなOL達を番組に招き、爆笑問題の二人がこれについて鋭く追及した。そして番組内で、爆笑問題の二人が先頭に立って「そんなゴールデンウィーク無くなってしまえ!」と言った署名運動を行った。
当番組は当初、ニッポン放送の1990年度のトータルコンセプト『オモスルドロイカ』関連の告知が多かったが、その中で毎月『オモスルドロイカ人間コンテスト』が開催されていた。募集内容は「世の中に魔法をかけ、様々なラッキームーブメントを仕掛けている人」であり、選考基準は
というもので、以上の基準に合った人の中から毎月数人を決定して翌月に表彰、その中から月間大賞に選ばれた人には表彰状とオリジナルトロフィー、そしてその人にふさわしい「オモスルドロイ賞品」が贈られるというものだった。これらの詳細な告知は当番組で行われていた。1990年4月29日には第1回の『オモスルドロイカ人間コンテスト』が開催された。
ニッポン放送 平日ナイターオフ期間(月曜 - 木曜)21:00 - 21:50 枠 (1990年10月 - 1991年4月) | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
1990年度 爆笑問題のオモスルドロイカ帝国 |
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