桂 由美(かつら ゆみ、1930年4月24日 - 2024年4月26日)は、ウエディングドレスデザイナー、実業家。本名:結城 由美(旧姓:満生)。株式会社ユミカツラインターナショナル社長、株式会社桂由美ウエディングシステム社長、一般社団法人全日本ブライダル協会会長、全米ブライダルコンサルタント協会名誉会員、アジアブライダル協会連合会会長、NPO法人地域活性化支援センター理事、アジア・クチュール協会創立メンバー。
かつら ゆみ 桂 由美 | |
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桂由美ブライダルハウス(乃木坂) | |
生誕 | 1930年4月24日 日本 東京府(現・東京都) |
死没 | 2024年4月26日(94歳没) |
出身校 | 共立女子大学 |
職業 | ウエディングドレスデザイナー、実業家 |
配偶者 | 結城義人(1972年 - 1990年、死別) |
1930年4月24日東京府南葛飾郡小岩町(現在の東京都葛飾区小岩)生まれ。共立女子中学校・高等学校、共立女子大学卒業後、フランスへ留学。
1964年、日本初のブライダル専門店をオープン。ブライダルファッションデザイナーとして活動開始。
1972年、元大蔵省官僚の結城義人と結婚。当時結城53歳、桂42歳と晩婚だった。
1976年、日本フォーマルウエア協会(現・日本フォーマル協会)設立。会長に就任。
1999年、東洋人として初めてイタリアファッション協会の正会員となる。
2003年、春夏パリ・オートクチュールコレクションに初参加。以降毎年パリでコレクションを発表。
2005年、パリ・カンボン通りのシャネル本店前に、パリ店をオープン。2011年、千葉商科大学サービス創造学部の特命教授に就任。
日本会議のメンバーでもあり、同会議の関連団体である「日本女性の会」代表委員、「皇室の伝統を守る国民の会」代表発起人、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」代表発起人の役員を務めていた。
2024年4月26日に死去。94歳没。
父は旧郵政省の官吏、母は洋裁学校(現在の東京文化デザイン専門学校)を立ち上げた人物で長女である由美を跡継ぎとしたかった。幼少期はおとぎ話や絵本が好きで、戦時中でも白馬の王子様や美しいお城が現れる世界が頭の中を占めていたという。共立女子中学校・高等学校を経て、母の意向で共立女子大学家政学部被服学科に入学するも浴衣も縫えないほど縫製が苦手だった。
共立女子学園では軍国少女が海軍派と陸軍派に分かれており、桂は海軍派のリーダーであった。特攻隊員に憧れ、「私たち女性も飛行機に乗れるようにして下さい。特攻隊は男だけではありません。」という血書を書いて海軍省に送ったこともあったという。在学中は学生委員を務め、当時の学長・鳩山薫(鳩山一郎の妻)との接点も多く選挙の手伝いもした。
子供の頃から好きだった演劇部の部長も務めるなど、一時期演劇にのめりこむが才能の限界を感じるようになり(大学1年のとき文学座の研究生となり1年過ごした。俳優ではなくプロデューサー志望だった。)芥川比呂志の言葉もあって大学で学び続けることを決意。やがてファッション業界に身を置く決心を固める。大学後半は文化服装学院の夜間部にも通っていた。大学を卒業後、パリに1年留学。クチュール技術を学ぶ。帰国後は母が経営する洋裁学校で教鞭をとる。その中で「日本ではまだ誰もやっていない婚礼衣装をやろう」と決意。学生の卒業制作にウェディングドレスを出し、生徒と共に生地探しを行っていた。
1964年、日本初のウエディングドレス専門店をオープンしブライダルファッションデザイナーとして活動開始。
1987年1月、パリにおいてグランドコレクションを挙行。
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