柴田 武(しばた たけし、1918年7月14日 - 2007年7月12日)は、日本の言語学者、国語学者。東京大学名誉教授、埼玉大学名誉教授。
人物情報 | |
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生誕 | 1918年7月14日 日本愛知県名古屋市 |
死没 | 2007年7月12日 (88歳) 日本神奈川県横須賀市 |
出身校 | 東京帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 言語学 |
研究機関 | 国立国語研究所、東京外国語大学、東京大学、埼玉大学 |
学位 | 文学博士 |
1918年、愛知県名古屋市で生まれた。1942年、東京帝国大学文学部言語学科を卒業。同年10月、東京帝国大学文学部副手に採用された。1943年7月、中華民国ならびに蒙疆地域に出張。2か月にわたって同地で蒙古語を教えると同時に、民俗学研究所から奨学金を受給して蒙古語、ウイグル語、キルギス語、サラール語、タングート語などを調査。1944年3月、陸軍臨時嘱託として参謀本部にも勤務することとなり、終戦までトルコ語の暗号解読に従事した。1945年4月、東京帝国大学講師助手に昇格。
太平洋戦争終結後、連合国軍の占領下に置かれると、1948年3月より連合軍総司令部民間情報教育部専門技術官を命じられた。その際に、日本語の識字率調査に携わった。1949年、国立国語研究所所員に採用。話しことば研究室に配属されて調査・研究にあたった。
1964年、東京外国語大学教授に就任。1968年、東京大学文学部教授に転じた。1969年、学位論文『言語地理学の方法』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1979、東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は同年4月より埼玉大学教養学部教授として教鞭をとった。1984年、埼玉大学を定年退職して名誉教授となった。2007年7月12日午前7時43分、低酸素症のため浦賀病院(神奈川県横須賀市)で死去。
敗戦時、「日本語は漢字が多いために覚えるのが難しく、識字率が上がりにくいために民主化を遅らせている」という偏見から、GHQのジョン・ペルゼルによる発案で、日本語をローマ字表記にしようとする計画が持ち上がった。そして正確な識字率調査のため、民間情報教育局は国字ローマ字論者の言語学者である柴田に全国的な調査を指示した(統計処理は林知己夫が担当)。 1948年8月、文部省教育研修所(現・国立教育政策研究所)により、15歳から64歳までの約1万7千人の老若男女を対象とした日本初の全国調査「日本人の読み書き能力調査」が実施されたが、その結果は漢字の読み書きができない者は2.1%にとどまり、日本人の識字率が非常に高いことが証明された。柴田はテスト後にペルゼルに呼び出され、「識字率が低い結果でないと困る」と遠回しに言われたが、柴田は「結果は曲げられない」と突っぱね、日本語のローマ字化は撤回された。
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