東京大学 駒場寮(とうきょうだいがく こまばりょう)は、東京大学駒場Iキャンパス東部にかつて存在した学生自治寮である。建設当初から1950年の学制改革による改組までは旧制第一高等学校の駒場寄宿寮だった。東大紛争などで急進派学生の拠点の一つになった。
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駒場Iキャンパス再整備計画の一環として1991年から廃寮が進められていたが、2001年8月22日に強制執行が行われるまで大学と自治会の間で建物の明け渡しについて争われた。廃寮後跡地に駒場コミュニケーション・プラザが建てられた。
1935年に建設された。旧制高校寄宿舎の多くが木造なのと異なり鉄筋コンクリート構造。3階建て。設計者は内田祥三。
3つのほぼ同じ建物(北寮、中寮及び明寮)が平行に並んでいたが、1つの建物(明寮)だけは長手方向が短くなっている点が異なる。いずれの建物も3階建て。各階の構造はほぼ同一であり、建物の長手方向に長い廊下が設置されている。
1部屋は約24畳の板張りが基本で、各部屋にはスチームヒーターが備えられている。「1部屋に8人から11人が入る大部屋式」とする資料もあるが、実際には廊下を挟んで向かい合わせの2部屋を1セットとし、北側を居住スペース、南側を勉強部屋として利用する運用が行われた。当初は6人で1セットを使っていたが、後にこのセット運用は廃止され、1980年代以降は1部屋3人が基本となる。
長らく男子寮だったが、1990年代後半に学生自治会が女子の入寮を認め、女子寮生部屋が設置された。
携帯電話が普及する前の時代であるが、各部屋に固定電話はなく、電話は取り次ぎであった。駒場寮を出て、目の前に公衆電話があった。
放置されていた「寮食堂北ホール」を1976年に野田秀樹らの夢の遊眠社が改装して、使用料は無料、約300人収容可能な演劇スペースとし、「駒場小劇場」とした。略称「駒小」。如月小春、堤泰之、宮城聰などがこの劇場で活動した。駒場寮廃寮後は「駒場小空間」が代替となった。
寮食堂が平日及び週末に朝食、昼食及び夕食を提供した。駒場寮の寮生に限られず、誰でも寮食堂を利用することができた。
寮食堂の建物は、北寮、中寮及び明寮の建物と別個に構築されていた。
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