『平家納経』(へいけのうきょう)は、古代日本の装飾経(装飾を凝らした写経)の一つ。平安時代に平家一門がその繁栄を願って厳島神社に奉納した一品経であり、装飾経および附属物の総称である。『厳島納経(いつくしま - )』「厳島経」ともいう。
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『法華経』30巻、『阿弥陀経』1巻、『般若心経』1巻、平清盛自筆の願文1巻と、経箱・唐櫃からなる。清盛の願文に「善を尽くし、美を尽くし」とあるように経典に施された装飾は絢爛豪華で、平家の栄華を今に伝えている。平安時代の装飾経の代表作で、当時の工芸を現代に伝える一級史料でもある。
現在は厳島神社が所蔵しており、複製が厳島神社宝物館で一部が公開されている。
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清盛が一門の現当二世(現在と未来)に亘る繁栄を祈って発願した。経典を筆写したのは平家の一族で、清盛・重盛・頼盛・教盛などが名を連ね、それぞれが一巻を分担する形で筆写した。長寛2年(1164年)9月、厳島神社に一部が奉納されたが、各巻の奥書を参照すると全体の完成には仁安2年(1167年)までかかったことが分かる。
安土桃山時代末の慶長7年(1602年)には、戦国大名・福島正則が願主となって一部が修理されている。蔦蒔絵唐櫃はこの際に献納された。見返し絵3巻は俵屋宗達風に新写修補されており、宗達による最も早期の作品と推定されている。
江戸時代初期にあたる慶安元年(1648年)には、浅野長晟が『平家納経』を重修しており、唐櫃の蓋の裏に銘がある。
江戸時代後期の天保13年(1842年)に刊行された『厳島宝物図会』では『平家納経』の装飾について紹介されている。
1882年(明治15年)10月に東京で第1回内国絵画共進会が開催されると、出展目録「廣島縣下安芸國 嚴島神社出品(= 広島県下安芸国 厳島神社出品)」に「古寫經及ヒ願文 丗三巻(= 古写経及び願文 二十三巻)」名義で『平家納経』も含まれた。この機会を捉えて『平家納経』は博物館で模写されている。現在それは東京国立博物館の収蔵品となっており、「平家納経模本」第1号(管理番号:A-6917)と呼ばれている。この時の模写は当年から1884年(明治17年)にかけて行われており、長命晏春(ちょうめい あんしゅん)ら帝室技芸員の手になる仕事であった。東京国立博物館での管理名称は「厳島経巻模本」。
1914年(大正3年)、高山昇が厳島神社の宮司に就任すると、千畳閣の修復工事に着手した。これを無事にやり終えた高山は、1920年(大正9年)2月、『平家納経』の保存状態を憂慮しながらも資金不足で打つ手が無かったことから、古社寺保存会委員(cf. 古社寺保存法)の文学博士である福井利吉郎に相談し、同年4月18日の大師会に機会を得、著名な文化人であった高橋義雄と益田孝に対して副本の制作を依頼した。高山が訴える『平家納経』の貴重さと副本制作事業の緊要性に得心した高橋・益田両名はその場にいる財界人や数寄者から資金を募り、幸運にも当時は好景気の頂点にあったことも手伝って、2、3時間も経たないうちに30名余りの寄進者が出揃い、十分な資金が調達できた。これを受けて制作に当たったのは「神工鬼手」と謳われた日本美術技能者で日本美術研究家・日本画家・書家の田中親美であった。田中は1923年(大正12年)の関東大震災を間に挟みながら5年半をかけて2組を制作し、1925年(大正14年)に精巧な副本を完成させた。なお、国宝(※当時は旧国宝)の中でも最貴重品である『平家納経』に関しては、文部省から高橋・益田・田中らに万全の保管責任が命じられていた。そこで彼らは、不測の事態に備え、文部省から益田が原本を10巻単位で借り受けて管理万全な品川御殿山の益田家宝庫に保管しておき、そこから田中の必要に応じて2、3巻だけ取り出して模写するという方法を執っていた。そのため、大震災による被害を免れることができた。激しい揺れに襲われるなか、田中は原本数巻を抱き締めて守ったという。1925年11月18日にまず経巻のみが厳島神社に奉納され、その後、全33巻1組が奉納された。残りの1組は田中が手元で保管し、これを基にして制作された副本が、益田家に1組、主要な寄進者であった大倉家(大倉喜八郎家)に1組納められた。その後、やはり主要な寄進者であった安田財閥(現・安田家)と松永家(松永安左エ門家)にも納められた。それぞれを「益田本」「大倉本」「安田本」「松永本」という。現在、益田本と松永本は寄贈先の東京国立博物館が所蔵、大倉本は大倉集古館所蔵となっている。安田本は安田文庫の収蔵品となっていたが、2代目安田善次郎の時代に安田文庫は東京大空襲で焼失しており、副本がどの程度現存しているのかは不明である。
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