大須賀 力(おおすか つとむ、1906年3月26日 - 2009年7月24日)は、日本の彫刻家。1979年、勲四等瑞宝章受章。1994年、千葉県市川市名誉市民。多くの彫刻作品が市川市内施設、千葉県内各地に設置されている 。
大須賀 力 (おおすか つとむ) | |
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千葉県市川市の生涯学習センターに設置された『ママ・・・ご本をよんで』1998年 | |
誕生日 | 1906年3月26日 |
出生地 | 東京都千代田区 |
死没年 | 2009年7月24日(103歳没) |
死没地 | 千葉県市川市 |
国籍 | 日本 |
芸術分野 | 彫刻 |
教育 | 東京高等工芸学校 |
出身校 | 東京美術学校 |
代表作 | 『首飾りの女』『若い女』『或るポーズ』 |
受賞 | 勲四等瑞宝章 |
1923年、東京高等工芸学校彫刻部に入学。1926年、東京美術学校(現:東京芸術大学)彫刻科塑像部に入学。学科は異なるものの、同期には加藤栄三、東山魁夷らがいる。1928年、千葉県市川市に移住。
1930年、東京美術学校に在学中の第11回帝展に初入選し、その後毎回出品する。1931年東京美術学校卒業。建畠大夢に師事。1932年の『首飾りの女』が第13回帝展の特選を受賞。
1950年、東京美術学校昭和6年卒業の有志14人で「六窓会」結成。1958年、社団法人日展が発足し評議員に就任。
1973年、『或るポーズ』が内閣総理大臣賞。1976年、『椅子と女』が千葉県立美術館に買い上げ収蔵され、同年、千葉県文化功労者の表彰を受ける。
その後も精力的に活動を続け、1987年12月、市川市文化会館で市川の作家展シリーズの第1回として 『大須賀力彫刻展』が開催され、2005年、99歳の時に市川市芳澤ガーデンギャラリーにて白寿記念の展覧会が開催される。
2009年7月24日死去。103歳没。
屋外展示されているものを除き、単体の若い裸婦をモチーフにしたものが多い。大須賀本人は「裸婦の美しさに魅せられている」と語っている。抽象的なものはなく具象的で、トルソ、胸像よりも人物全体の作品が多い。
本間正義は「非凡の凡たる表現こそ、目減りすることのない本当の芸術」と評しており、建畠覚造は「非常にストリクト(厳格)な彫刻の骨格は、裸婦を通じて弛みなく続けられる一方、ストリクトな造形に生の息吹を与えてきた」と述べている。
2022年2月現在、独立行政法人国立美術館の所蔵作品検索では「OSUGA, Tsutomu」となっており、Webcat Plusでは「オオスガ ツトム」となっている。
しかしながら、『市川ひと事典』や読売新聞による訃報で「おおすか つとむ」と読みの表記がされていること、および千葉県立博物館の資料データベースに記載された表記、また、市川市内に設置された屋外彫刻に彫られたサインが「Tsu.Ohsuka」「T.OHSUKA」などであることから、本稿では「おおすか」と表記する。
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