ロバート・レッキー(Robert Leckie、1920年12月18日 - 2001年12月24日)は、アメリカ合衆国の海兵隊員、作家。青年期にアメリカ海兵隊第1海兵師団に所属し、第二次世界大戦に参加した。機関銃手および情報部隊員として、ガダルカナルの戦いを始めとする戦闘に参加し、その経験は後の著作活動に大きく影響した。
ロバート・レッキー | |
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1920年12月18日 - 2001年12月24日(81歳没) | |
渾名 | Lucky |
生誕 | ペンシルベニア州フィラデルフィア |
軍歴 | 1941–1944 |
最終階級 | 一等兵 |
戦闘 | |
勲章 | 名誉負傷章 海軍・海兵隊功績章 w/ Combat V |
除隊後 | 作家 |
ロバート・レッキーは1920年12月18日にペンシルベニア州フィラデルフィアで、アイルランド系カトリック教徒一家の8人の子供の1人として生まれた。彼はニュージャージー州ラザフォードで成長し、16歳の時にハッケンサックのバーゲン・イブニング・レコード紙のスポーツ記者としてプロの文筆生活を始めた。
1941年、真珠湾攻撃の後にレッキーはアメリカ海兵隊に入隊した。彼は第1海兵師団で偵察要員および機関銃手として太平洋戦線に従軍した。第1海兵師団の主要な戦闘に参加したが、沖縄戦には参加しなかった。レッキーはペリリューの戦いにおいて爆風による負傷のため帰国し、その戦闘経歴は終了した。
戦後レッキーはAP通信、バッファロー・クーリエ=エクスプレス紙、ニューヨーク・ジャーナル・アメリカン紙、ニューヨーク・デイリーニューズ紙、ザ・スター・レッジャー紙などの特派員として働いた。彼は幼少時から隣家に住むヴェラ・ケラーと結婚し、3人の子供 - デヴィッド、ジェフ、ジョアン - をもうけた。妻のヴェラによると、1951年にブロードウェイで『南太平洋』を観劇したとき、彼は途中退席し、「私は本当は何があったのかを話さなければならない。人々に戦争はミュージカルではなかったのを知らせなければならない。」と語り、回想録の執筆を思い立ったという。彼の最初のベストセラーとなった個人的回想録「Helmet for My Pillow」は1957年に出版された。レッキーはアメリカ合衆国の戦史に関する著書を40冊以上著し、その範囲は18世紀のフレンチ・インディアン戦争から1991年の湾岸戦争まで及んだ。ロバート・レッキーは長期にわたるアルツハイマー症との闘病生活の後、2001年に死去した。
レッキーの回想録「Helmet for My Pillow」は、ユージーン・スレッジの「ペリリュー・沖縄戦記」と共に2010年のHBOのテレビシリーズ「ザ・パシフィック」の原作となった。レッキー役はジェームズ・バッジ・デールが演じた。
海軍・海兵隊功績章 with Combat V | |
名誉負傷章 | |
海軍大統領感状 with 4 stars | |
太平洋戦従軍章 with 5 service stars | |
第二次世界大戦戦勝章 |
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