マウリツィオ・ポリーニ(Maurizio Pollini、1942年1月5日 - 2024年3月23日)は、イタリアのミラノ出身のピアニスト。
マウリツィオ・ポリーニ Maurizio Pollini | |
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基本情報 | |
生誕 | 1942年1月5日 |
出身地 | イタリア王国・ミラノ |
死没 | 2024年3月23日(82歳没) イタリア・ミラノ |
学歴 | ミラノ大学 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト |
活動期間 | 1957年 - 2023年 |
著名な家族 | 父:ジノ・ポリーニ(建築家) |
父親は有名な建築家ジノ・ポリーニであり、また母親レナータ・メロッティ(彫刻家ファウスト・メロッティの妹)は声楽もこなすピアニストである。5歳からカルロ・ロナーティに、ロナーティの死後はカルロ・ヴィドゥッソにピアノを学んだ。現代最高のピアニストの一人として知られた。
1957年、15歳でジュネーブ国際コンクール第2位。1958年の同コンクールで1位なしの第2位。1959年の第1回ポッツォーリ国際ピアノコンクールで優勝。この他にも国際コンクール出場などで、異才ぶりを騒がれていた。
1960年、18歳で第6回ショパン国際ピアノコンクールに審査員全員一致で優勝。審査委員長のアルトゥール・ルービンシュタインが「今ここにいる審査員の中で、彼より巧く弾けるものが果たしているであろうか」と賛辞を述べ、一躍国際的な名声を勝ち取る。このルービンシュタインの発言についてポリーニは「ルービンシュタインは、私が審査員の誰よりも『技術的に』優れた演奏をしたと言っただけだ。彼は同じ審査員の同僚たちを少しからかってみたくてあのようなことを言ったのだと私は度々思う。若いチャンピオンが彼らよりも技術的に優れた演奏をしたと言うのは面白かった。それが理由だったのは確かだ。その後、私の知らないうちに、このルービンシュタインの発言は技術的なことを抜きにして引用されるようになった。褒め言葉がひどく誇張されていた」と回想する。
その後丸8年もの間、国際演奏活動から遠ざかり、国内の様々なコンサート、リサイタルのみに限定出演の形で活動。その理由として、まだ若く、さらに勉強が必要であることをポリーニ自身が自覚しており、直ちに多忙な演奏生活に入ることを避けたというのが有力である。提示されたコンサート出演の数が多すぎたため、ストックの協奏曲の数を増やさなければならなかったことも一因である。
これらについてポリーニは「ショパンコンクールで優勝したあとは苦難に直面した。十分自然だが、優勝者は世界中の音楽社会に演奏を求められる。これはコンクール後にはよくある話だ。私はコンサートを重ねるうちにすぐ『こんなコンサート尽くしの多忙な生活は私にはまだ早い』と悟った。もっと勉強をしてレパートリーを増やしたかった。ベートーヴェン、シューマンやブラームスも勉強したかった。彼らの作品には勿論早くから取り組んではいたのだが、彼らの作品とともにもっと深みを探りたかった。ショパンコンクール後は皆がいつもショパンを弾いてくれと求めてきたが、それもとても自然なことだ。ショパン弾きとラベル付けされるのはとても光栄なことで、ピアニストに起こりうる最も素晴らしいことの一つであると今となっては思うから、(ショパン以外を弾きたいと思うのは)なかなか奇妙だ。しかし18歳のチャンピオンの私はもっと他の音楽的な経験の渦に入ってみたかった。そのため私は一年半はコンサートをキャンセルして、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリのもとへ学びに行った」と語る。この間、ミラノ大学で物理学も学んでいた。
1968年に国際ツアーに復帰し、1971年よりドイツ・グラモフォンから録音作品を発売開始。以後、次々と録音の国際的な賞を奪取した。1974年に初来日し、1976年の再来日時にはピエール・ブーレーズのピアノソナタ第2番の日本初演を行った。
1994年10月には第1回ウンベルト・ミケーリ国際ピアノコンクールの審査委員長に就任し、ブーレーズにピアノ独奏作品を委嘱。1995年、ザルツブルク音楽祭で自身の企画による連続演奏会「ポリーニ・プロジェクト」を開始。2002年、10月と11月に東京でも同プロジェクトとして9夜にわたる連続演奏会を開き、大きな注目を集めた。2005年、11月に同プロジェクト、東京での第2弾。ただし3夜のみで小規模。ポリーニ本人の演奏は1夜のみ。
サルヴァトーレ・シャッリーノにブーレーズ指揮ポリーニ独奏ピアノを想定された「闇のレチタティヴォ」を委嘱後は現代音楽の演奏から離れる。
晩年は体調不良などによりキャンセルが相次いだが、2023年6月23日のピアノリサイタルはアンコールを抜いてこなし、2024年のスケジュールも調整中であった。2023年10月30日のピアノリサイタルが最後の演奏になった。
バッハから現代まで時代を問わないオールラウンダーと呼ばれていたものの、なぜか一切弾かない作曲家もいた。当世最高、ミスター・パーフェクトとまで言われた。
ポリーニが録音を残している代表的な作曲家としては、ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、シューマン、ストラヴィンスキーなどがある。またブーレーズやウェーベルンといった現代音楽にも積極的に取り組んでいる。独奏曲と協奏曲の録音が中心で、室内楽曲はブラームスのピアノ五重奏曲のみで、ほとんど録音しようとしなかった。2000年に入ってからモーツァルトの協奏曲に限り弾き振りの録音も行っていた。ベートーヴェンについては、39年をかけて全ピアノ・ソナタの録音が完了したが、2021年からも新規の再録音を敢行し、世間を驚かせた。
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