ヘンリー・スウィート(英語: Henry Sweet, 1845年9月15日 - 1912年4月30日)は、イギリスの文献学者・音声学者・文法学者。ダニエル・ジョーンズによって後に容認発音と呼ばれることになる、ロンドンの教養人が話す英語の発音を体系的に記述した。また現代英語の文法についてはじめて包括的な記述を行った。
人物情報 | |
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生誕 | 1845年9月15日 イギリス ロンドン |
死没 | 1912年4月30日 (66歳) イギリス オックスフォード |
出身校 | ベリオール・カレッジ |
学問 | |
研究分野 | 文献学・言語学(音声学・文法) |
研究機関 | 初期英語文献協会、言語学協会、オックスフォード大学 |
1845年、ロンドンに生まれた。1864年にドイツのハイデルベルク大学に短期間在学し、このときにドイツの言語学についての知識を得た。1869年、24歳でオックスフォード大学ベリオール・カレッジに入り直し、1873年に卒業。在学中の1871年に、グリゴリウス1世の "Cura Pastoralis" のアルフレッド大王による翻訳を注釈つきで発表し、古英語の方言に関する学問の基礎を築いた。
はやくから世界的に名の知られた学者であったが長期にわたって大学に職を得ることができず、1901年になってようやくオックスフォード大学で准教授に就いた。スウィートは論文の中で他の学者を激しく攻撃したため、アイルランドの文学者であるジョージ・バーナード・ショーは、その辛辣さによって職が得られなかったのではないかと『ピグマリオン』の序文に書いている。
文献学会に対する貢献は大きく、1875年~1876年と1877年~1878年の二度にわたって、文献学会の会長をつとめた。国際音声学会の前身であるポール・エドゥアール・パシーの Phonetic Teachers' Association の初期からの会員であり、のちに名誉会長になった。
スウィートの行った英語音声学研究は、英国学派音声学(英語: British School of Phonetics)として、現在でもジョン・クリストファー・ウェルズなどによって引き継がれている。
バーナード・ショーは自作の戯曲『ピグマリオン』の序文においてスウィートについて長々と触れ、主人公であるヒギンズ教授がスウィート自身というわけではなく、性格も異なるが、スウィートに影響された部分があることは認めている。しかしこの序文には疑問もあり、ライデン大学のBeverley CollinsとInger Meesによると、実際にはダニエル・ジョーンズをモデルにしていたが、大学で音声学を教えている実在の人物がモデルであるとわかると不都合なので、序文で故人であるスウィートに言及することでジョーンズに迷惑が及ばないようにしたのだという。
主著および日本語訳のあるもののみを挙げる。
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