ピーター・ウタカ(Peter Utaka)ことピーター・マドゥアブチ・ウタカ(英: Peter Maduabuci Utaka、1984年2月12日 - )は、ナイジェリア・エヌグ州エヌグ出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ヴァンフォーレ甲府所属。ポジションはフォワード(FW)。元ナイジェリア代表。
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名前 | ||||||
本名 | ピーター・マドゥアブチ・ウタカ Peter Maduabuci Utaka | |||||
愛称 | ピーちゃん、ウタカ、ウタ | |||||
カタカナ | ピーター ウタカ | |||||
ラテン文字 | Peter Utaka | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ナイジェリア ベルギー | |||||
生年月日 | 1984年2月12日(40歳) | |||||
出身地 | ナイジェリア・エヌグ州エヌグ | |||||
身長 | 179cm | |||||
体重 | 79kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ヴァンフォーレ甲府 | |||||
ポジション | FW | |||||
背番号 | 99 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1997 | UNTHナイジェリア | |||||
1999-2000 | NKディナモ・ザグレブ | |||||
2000-2004 | UNTHナイジェリア | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2003-2004 | パトロ・アイスデン・マースメヘレン | 35 | (17) | |||
2004-2007 | KVCウェステルロー | 73 | (12) | |||
2007-2008 | ロイヤル・アントワープFC | 46 | (26) | |||
2008-2012 | オーデンセBK | 108 | (52) | |||
2012-2013 | 大連阿爾濱 | 43 | (27) | |||
2013-2014 | 北京国安 | 25 | (8) | |||
2014 | → 上海申鑫(loan) | 12 | (2) | |||
2015-2016 | 清水エスパルス | 28 | (9) | |||
2016 | → サンフレッチェ広島(loan) | 33 | (19) | |||
2017 | サンフレッチェ広島 | 0 | (0) | |||
2017 | → FC東京(loan) | 25 | (8) | |||
2018 | ヴェイレBK | 6 | (0) | |||
2018 | 徳島ヴォルティス | 18 | (6) | |||
2019 | ヴァンフォーレ甲府 | 40 | (20) | |||
2020-2022 | 京都サンガF.C. | 109 | (52) | |||
2023- | ヴァンフォーレ甲府 | 40 | (12) | |||
代表歴2 | ||||||
2010-2012 | ナイジェリア | 9 | (3) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月30日現在。 2. 2019年12月28日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
2007-08シーズンのベルギー2部リーグ得点王(22得点)。2009-10シーズンのデンマーク1部リーグ得点王(18得点)。2016年のJ1リーグ得点王(19得点)および2020年のJ2リーグ得点王(22得点)。
AFCチャンピオンズリーグ最年長得点記録(39歳10ヶ月0日)保持者。
1984年にナイジェリア・エヌグで生まれたウタカは、1997年に地元の大学病院・UNTHナイジェリア(University of Nigeria Teaching Hospital)でキャリアを始めた。兄のジョン・ウタカと共にプレーすることになるが、程なくして兄がエジプトのアラブ・コントラクターズSCと契約すると、その後を追うように同じ町を拠点とするアル・イスマイリーSCのトライアルに参加。その後、ヨーロッパでプレーしたい想いから、兄と兄の代理人の助けを借り、1999年の16歳の時にクロアチアのNKディナモ・ザグレブの下部組織に入団。ディナモでは、後にクロアチア代表でプレーすることになるエドゥアルドとクラブが提供するアパートで共に生活をしたことから親交を結び、エドゥアルドがアーセナルFCへ移籍してからも連絡を取る仲になった。それから1年後に古巣へ戻り2003年まで在籍した。
2003年にベルギー・セカンドディビジョンのパトロ・アイスデン・マースメヘレンと契約。マースメヘレンでの活躍が認められ、1部のKVCウェステルローに引き抜かれた。2007年1月に2部のロイヤル・アントワープFCに加入するとすぐさま主力となり、翌シーズンは22得点で得点王となる活躍を見せ、チームをプレーオフ圏内の2位へ導いた。
2008年8月30日、デンマークのオーデンセBKに移籍。1年目で得点ランク4位タイとなる12得点を挙げ、2年目は33試合18得点で得点王に輝いた。また、オーデンセの選手としては2004-05シーズンに20得点を挙げたステフン・ホイヤー以来の得点王となった。
2012年1月、中国の大連阿爾濱に移籍。 ハイペースで得点を重ね14節から23節までの10試合で12得点を記録する爆発力をみせた。最終的にチーム得点王となる20得点を挙げる。 2013年もゴールを量産すると同7月には同じく中国の北京国安に完全移籍。この際の移籍金は4億7000万円で、中国リーグ間での移籍金としては史上最高額となった。 しかし2014年は前年までの得点力が影を潜め、同7月に上海申鑫にレンタル移籍となるが、上海でも復調せず同シーズン計25試合で3得点と中国移籍後もっとも低調な年となった。
2015年2月、清水エスパルスへ完全移籍。4月15日、第5節のガンバ大阪戦でJリーグ初ゴールを決めるなど、攻撃の軸として28試合で9得点を記録したが、チームはJ2降格を喫した。
2016年、サンフレッチェ広島へ期限付き移籍。移籍当初はシャドーのポジションでプレーしていたが、佐藤寿人から1トップのレギュラーの座を奪うと得点を量産してリーグ最速の10点を決め、19得点でヴィッセル神戸のレアンドロと共にJ1得点王に輝いた。なお、ベストイレブンには選出されなかった。得点王を獲得しながらも、ベストイレブンに選出されなかったのは、Jリーグでは1994年シーズンのジェフ市原のフランク・オルデネビッツ以来、2人目である。
2017年は得点王を獲得したことで年俸が高騰し、年齢が高いこともあって広島・清水両クラブとも契約更新が難航しており、最終的に所有権を広島に移した上でFC東京に期限付き移籍することとなった。2017年3月15日、ルヴァンカップ第1節のベガルタ仙台戦では移籍後初の途中出場から、PKを含む1得点1アシストの活躍をみせた。3月18日、4節の川崎フロンターレ戦では途中出場から1得点1アシストの活躍でリーグ戦デビューを飾り、2点にからむ活躍を見せた。12月5日、FC東京との期限付き移籍期間が満了。12月30日、広島との来季の契約を結ばないことが発表された。
2018年2月、デンマーク2部のヴェイレBKと2018年夏までの契約を結んだ。だが6試合無得点と結果を残せず、シーズン終了後に退団した。
2018年6月、徳島ヴォルティスへの完全移籍が発表された。半年間で18試合に出場、6ゴールを記録した。
2018年12月、ヴァンフォーレ甲府への完全移籍が発表された。2019年シーズンは40試合に出場、20ゴールを記録した。
2019年12月23日、京都サンガF.C.に完全移籍により加入すると発表された。第2節のジュビロ磐田戦で移籍後初ゴールを含め2ゴールを決めると、第10節のモンテディオ山形戦では一人で4ゴールを決め(日本でのプレーでは初のハットトリック)、4-3での勝利に貢献した。2020年シーズンは22得点を決め、J2リーグ得点王のタイトルを獲得した。
2021年シーズンもレギュラーとして40試合に出場し、21得点を決めて京都の12年ぶりのJ1昇格に貢献。また、リーグ戦21得点はルキアンに1得点差で敗れるも得点ランキング2位の成績であった。
2022年シーズンは9試合終了時点で得点ランキング首位の7得点を奪いシーズン前半のチームの躍進に貢献、後半は失速したが、9得点2アシストを記録。J1昇格プレーオフでは相手のゴール前での決定的なシュートを顔面で防いで、京都のJ1残留に貢献した。
2022年12月30日、甲府に4シーズンぶりに復帰することが発表された。背番号は、2023年シーズンより規定が変更され、新たに52から99までの背番号を自由に選べるようになったため、かつて使用していた背番号「9」を重ねた「99」を選択した。富士フィルムスーパーカップ2023にて復帰後初出場を飾ると、同試合の44分には前年度のJ1王者横浜F・マリノスから同点ゴールを挙げるなどと活躍を見せた。同年のAFCチャンピオンズリーググループステージ最終節のブリーラムとの対戦で2得点を決め、チームの決勝トーナメント進出に貢献した。またこれにより、これまでクリスティアーノ・ロナウドが持っていたACL最年長得点記録を更新した。
2009年9月21日、2010 FIFAワールドカップ・アフリカ予選のモザンビーク戦に向けてシェイブ・アモドゥ監督に初招集されるも出番はなかった。2010年3月3日のコンゴ民主共和国戦でラーシュ・ラーゲルベック監督の下ナイジェリア代表デビュー。ナイジェリア代表初得点となる先制点を挙げ5-2の勝利に貢献した。また、この試合前にナイジェリアサッカー協会はウタカと連絡がつかなかったため、ウタカの母親に連絡をし招集の件を伝えてもらった。
2010年5月、2010 FIFAワールドカップに向け暫定30人のメンバーに兄と共にリスト入りしたが、本大会のメンバーには兄だけが選ばれたため兄弟一緒にプレーすることは叶わなかった。
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
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ベルギー | リーグ | ― | ベルギー杯 | CL EL | 期間通算 | ||||||||
2003-04 | マースメヘレン | ドゥズィエーム | 35 | 17 | - | - | |||||||
2004-05 | ウェステルロー | 21 | JPL | 24 | 4 | - | |||||||
2005-06 | 9 | 30 | 5 | - | |||||||||
2006-07 | 19 | 3 | - | ||||||||||
2006-07 | Rアントワープ | ドゥズィエーム | 12 | 4 | - | ||||||||
2007-08 | 11 | 24 | 22 | - | |||||||||
デンマーク | リーグ | リーグ杯 | デンマーク杯 | CL EL | 期間通算 | ||||||||
2008-09 | オーデンセBK | 7 | スーペルリーガ | 27 | 12 | - | - | 0 | 0 | - | 27 | 12 | |
2009-10 | 33 | 18 | - | - | 3 | 4 | 3 | 2 | 39 | 24 | |||
2010-11 | 32 | 14 | - | - | 1 | 0 | 10 | 6 | 43 | 20 | |||
2011-12 | 16 | 8 | - | - | 0 | 0 | 9 | 1 | 25 | 9 | |||
中国 | リーグ | リーグ杯 | 中国FAカップ | ACL | 期間通算 | ||||||||
2012 | 大連阿爾濱 | 11 | CSL | 28 | 20 | - | - | 1 | 0 | - | - | 29 | 20 |
2013 | 15 | 7 | - | 0 | 0 | - | 15 | 7 | |||||
北京国安 | 15 | 12 | 7 | - | - | 3 | 4 | 0 | 0 | 15 | 11 | ||
2014 | 13 | 1 | - | - | 0 | 0 | 7 | 3 | 20 | 4 | |||
上海申鑫 | 35 | 12 | 2 | - | - | 1 | 2 | - | 13 | 4 | |||
日本 | リーグ | ルヴァン杯 | 天皇杯 | ACL | 期間通算 | ||||||||
2015 | 清水 | 18 | J1 | 28 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | - | 29 | 9 | |
2016 | 広島 | 9 | 33 | 19 | 2 | 0 | 1 | 1 | 2 | 0 | 38 | 20 | |
2017 | |||||||||||||
FC東京 | 25 | 6 | 2 | 1 | 1 | - | 32 | 11 | |||||
デンマーク | リーグ | リーグ杯 | デンマーク杯 | CL EL | 期間通算 | ||||||||
2017-18 | ヴェイレBK | 9 | 1.Division | 6 | 0 | - | - | 0 | 0 | - | 6 | 0 | |
日本 | リーグ | ルヴァン杯 | 天皇杯 | ACL | 期間通算 | ||||||||
2018 | 徳島 | 50 | J2 | 18 | 6 | - | 0 | 0 | - | 18 | 6 | ||
2019 | 甲府 | 9 | 40 | 20 | - | 0 | 0 | 40 | 20 | ||||
2020 | 京都 | 40 | 22 | - | - | 40 | 22 | ||||||
2021 | 40 | 21 | - | 0 | 0 | 40 | 21 | ||||||
2022 | J1 | 29 | 9 | 2 | 0 | 1 | 0 | 32 | 9 | ||||
2023 | 甲府 | 99 | J2 | 40 | 12 | - | 3 | 0 | 6 | 3 | 50 | 16 | |
合計 | ベルギー2部 | 71 | 43 | ||||||||||
ベルギー1部 | 73 | 12 | |||||||||||
デンマーク1部 | 108 | 52 | 0 | 0 | 4 | 4 | 22 | 9 | 134 | 65 | |||
デンマーク2部 | 6 | 0 | - | - | 0 | 0 | - | - | 6 | 0 | |||
中国 | 80 | 37 | 0 | 0 | 5 | 6 | 7 | 3 | 92 | 46 | |||
J1 | 115 | 45 | 11 | 2 | 3 | 2 | 2 | 0 | 131 | 49 | |||
J2 | 178 | 81 | - | 3 | 0 | - | 188 | 85 | |||||
総通算 | 671 | 286 | 11 | 2 | 15 | 12 | 37 | 15 | 695 | 300 |
その他の公式戦
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