バーバラ・キュービン(英語: Barbara Cubin、1946年11月30日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。共和党員。ワイオミング州選出としては女性初の連邦下院議員として通算7期の任期を務めた。
バーバラ・キュービン Barbara Cubin | |
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生年月日 | 1946年11月30日(77歳) |
出生地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州サリナス |
出身校 | クレイトン大学(理学学士) |
所属政党 | 共和党 |
配偶者 | フリッツ・キュービン |
在任期間 | 2001年1月3日 - 2003年1月3日 |
大統領 | ジョージ・W・ブッシュ |
選挙区 | ワイオミング州全州選挙区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1995年1月3日 - 2009年1月3日 |
選挙区 | 第29区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1993年1月 - 1995年1月 |
州知事 | マイク・サリヴァン |
選挙区 | ナトロナ郡 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1987年1月 - 1993年1月 |
州知事 | マイク・サリヴァン |
1946年11月30日にカリフォルニア州サリナスにて誕生した。ワイオミング州のキャスパーの高校を卒業した。ネブラスカ州オマハのクレイトン大学で化学の理学士号を取得した。その後、州の労働局と鉄工組合に所属し、マイノリティやベトナム戦争の退役軍人を鉄工職人にするための教育を行った。1974年にはワイオミング・マシナリー社に研究職として入社し、翌年の1975年には医師のフリッツ・キュービンと結婚して夫のオフィスで働くようになり、1979年には不動産業を営み始めた。
夫のフリッツは10年以上に渡って自己免疫疾患と闘病を続けたが、2010年に亡くなった。キュービン自身も健康問題を抱えており、1993年と1995年に胆のうの手術を受けたほか、2005年7月には軽度の心臓発作を起こし、閉塞していた動脈にステントを挿入する手術を受けた。
1986年11月にワイオミング州ナトロナ郡選出の州下院議員として政界入りを果たし、1992年11月には第29選挙区(キャスパー市の一部)の代表としてワイオミング州上院議員に選出された。
1994年11月に共和党現職のクレイグ・トーマスが連邦上院議員に立候補を表明したため、キュービンはワイオミング州全州選挙区をトーマスから引き継いで下院議員選挙に出馬した。予備選挙で他の8人の候補を破り、総選挙では当時著名な弁護士だったボブ・シュスターを破り、初当選を果たした。ワイオミング州で連邦政府の選挙に勝利した初の女性となり、以後2008年選挙に不出馬をするまで7選を果たした。下院時代には、共和党の指導者として、副院長、会議書記、運営委員会のメンバーなどを歴任した他、2000年には全米ライフル協会の理事会メンバーに就任した。
キュービンの投票記録は保守的であり、アメリカ保守連合は2007年のキュービンの投票に100パーセントの評価を付けている。また、キュービンは国境警備のためのフェンス設置や英語の公用語化などの法案に賛成したことなどが評価され、同団体のベスト&ブライテスト賞を受賞した。
超党派の自然保護政治団体である自然保護のための有権者連盟(League of Conservation Voters)は、キュービンの生涯評価を0から100の間で3としている。2006年には0点という最低評価を受けた。
2003年4月9日に議場で「私の息子は25歳と30歳で金髪と青い目をしています。今日の修正案では、薬物治療中の人に対する銃の販売を禁止するものでした。つまり、黒人のコミュニティに行っても、黒人には銃を売ってはいけないということですか?それとも、私の... 」との発言を行った。黒人が薬物依存者という前提にたったかのような発言だったため、民主党黒人議員メルビン・ワットはキュービンの発言を中断させ、撤回を求めた。キュービンは「民主党側の「隣人」を怒らせるつもりはなかった」と述べ、自分の発言は議院規則の範囲内だと主張した。ワットはキュービンの発言を取り消す動議を議会に提出したが、与党共和党が反対したため、227票対195票で否決された。
2006年10月22日に下院議員選挙に立候補したキュービンは、対立候補である民主党のゲイリー・トラウナー候補とリバタリアン党のトーマス・ランキン候補とテレビ討論会を行った。収録後、キュービンは多発性硬化症で車椅子を使用しているランキンに声をかけた。ランキン陣営の発表によれば、キュービンは「あなたがその椅子に座っていなかったら、あなたの顔を叩いていた」と述べたという。ランキンはこの発言を障害者に対する不適切な中傷だとして非難した。
ワイオミング州民主党は、キュービンがトム・ディレイが設立した政治団体「共和党多数派のためのアメリカ人」政治活動委員会(ARMPAC)から受け取った2万2520ドルを返還するよう繰り返し要求している。
2006年7月23日にキャスパー・スター・トリビューン紙は、キュービンが 「元下院議員トム・ディレイの資金調達委員会から受け取ったお金は、その組織が選挙資金違反で罰金を科され、閉鎖されても、そのままにしておく」と報じた。ARMPACは、「財務活動の虚偽記載、債務・義務の報告義務の不履行、連邦口座と非連邦口座間での経費の適切な配分の不履行」を理由に、連邦選挙委員会に罰金を支払うことに合意した。 2006年10月の時点では、キュービンは、ディレイが有罪になったら返金するという立場を取っていた。 ディレイは有罪になったが、2013年にテキサス州の共和党判事によって上告され、有罪が覆された。
アメリカ合衆国下院 | ||
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先代 クレイグ・トーマス | ワイオミング州全州選挙区 選出議員 第21代: 1995年1月3日 – 2009年1月3日 | 次代 シンシア・ルミス |
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