『ドナウの水の精』(どなうのみずのせい、ドイツ語: Donaunixe)は、ヨーゼフ・バイヤーが作曲したバレエ音楽。ほとんどがヨハン・シュトラウス2世の楽曲で構成されている(全体の77%)。
1892年5月7日から10月9日まで、ウィーンのプラーターにおいて「国際音楽演劇博覧会」が開催された。この博覧会は、前年に開催されたモーツァルト没後100年記念音楽祭に鼓舞されたパウリーネ・フォン・メッテルニヒ侯爵夫人が企画したものである。
メッテルニヒ侯爵夫人は、博覧会の呼び物のひとつとして『ドナウの水の精』と題したバレエ作品を計画し、ヨハン・シュトラウス2世に作曲を依頼した。すでに博覧会のための新作ワルツ『もろびと手をとり』を侯爵夫人から依頼されていたシュトラウス2世は、このさらなる依頼を断った。シュトラウス2世はジムロックに宛てた3月15日付の書簡のなかで次のように語っている。
メッテルニヒ侯爵夫人が博覧会のための1幕もののバレエを書くように迫ってきて、私は困っている。私に供された題材についていえば、第一に、これに私はまったく興味が持てないし、第二に、ほだされて書きなぐるように慌ただしく作曲するつもりもない。私がバレエを書くとすれば、魅力的で詩的な物語に私が心を動かされる以外にはない。
シュトラウス2世に断られたメッテルニヒ侯爵夫人のこのバレエ作品を、結局ヨーゼフ・バイヤーが引き受けることとなった。バイヤーは相当な勢いで作曲し、当初の初演予定だった9月よりも大幅に早い、7月13日に初演を迎えるに至った。
シュトラウス2世の代わりに引き受けたバイヤーは、全編にシュトラウス2世のメロディーを用いて音楽を構成した。41曲ものシュトラウス音楽のモチーフの引用が確認されており(シュトラウス2世の40曲とシュトラウス1世の『ラデツキー行進曲』)、その比率はバレエ全体の77%にあたる。
以下、引用されたシュトラウス2世の楽曲を列挙する。
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オトン・ブルゴワン男爵が構想を練り、フェリックス・デルマンが韻文形式で書き下した。物語は「前景と4つの情景」に区分される。
時は18世紀末のウィーン。「ドナウの水の精」であるIsa(ドナウの王Isoの娘)は、Schwarzenegg伯爵に恋をした。伯爵にはすでに婚約者Heleneがいたが、Isaは父王から24時間だけ休暇をもらい、伯爵の心をつかんで水底の王国に連れて帰るべく奮闘する。
Isaは、花売り娘、上流婦人、漁師の娘などに身を変えながら幾度も伯爵に接近するが、その都度、婚約者の父であるヴァルブルク伯爵に邪魔されてしまう。水の精たちもIsaを応援するが、結局Isaは伯爵令嬢Heleneに勝つことができず、失意のうちに水の国に戻る。
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