スローボールは、野球における球種の1つ。大まかには球速100km/h未満で、大きな山なりの軌道を描くものを指す。英語ではイーファス・ピッチ(Eephus pitch)やブルーパー・ピッチ(blooper pitch)などと呼ばれる。
映像外部リンク | |
---|---|
スローボールの例(動画はメジャーリーグとパ・リーグTVの公式YouTubeチャンネルより) | |
1946 ASG: Ted Williams homers off Sewell's eephus pitch リップ・シーウェル対テッド・ウィリアムズ、1946年7月のMLBオールスターゲーム | |
LaRoche strikes out Thomas on eephus pitch デーブ・ラローシュ対ゴーマン・トーマス、1981年9月のMLB公式戦 | |
A-Rod crushes eephus pitch for home run オーランド・ヘルナンデス対アレックス・ロドリゲス、2002年8月のMLB公式戦 | |
世界一の幻惑投球!? 驚いた松田宣浩はボールを見ず? 多田野数人対松田宣浩、2012年5月のNPB公式戦 | |
51 MPH PITCH! Astros' Zack Greinke lofts slow pitch in for the strike! ザック・グレインキー対レナート・ヌニェス、2021年4月のMLB公式戦 |
スポーツ史研究家でMLB機構の公認歴史家であるジョン・ソーンによると、1890年から1903年までナショナルリーグで活動したビル・フィリップスが最初に投じたとされる。その他、1912年5月18日に選手全員がストライキを図ったフィラデルフィア・アスレチックスの穴埋めで登板した素人同然であるアラン・トラヴァースが監督の指示でスローボールだけを投げたという記録が残っている。"山なりの遅球"という原始的な球種である事からビル・フィリップス以前にもハリー・ライトなどが投げていた可能性も示唆されているが、何れにおいても映像記録や写真は残されておらず、どの様な軌道だったかは定かではない。
明確な記録がある物だと打高投低の傾向があった1940年代のメジャーリーグベースボールにおいて、ピッツバーグ・パイレーツのリップ・シーウェルが投げ始めたのが最初とされている。彼は1941年12月7日にフロリダ州オカラで、狩りをしていた際に仲間から足に誤射を受け、大怪我を負って4週間にわたり入院した。治療の結果、足の切断こそ避けられたものの、右足親指には血流障害が残った。ちょうど12月7日に大日本帝国海軍による真珠湾攻撃が発生し、アメリカ合衆国も第二次世界大戦に参戦することになったが、彼の足の怪我は徴兵検査で不適格とされるほどだった。この怪我によって以前のような投球ができなくなった彼が考え出したのが、山なりの軌道を描くスローボールだった。
翌1942年春、デトロイト・タイガースとのオープン戦に登板した彼は、ディック・ウェイクフィールドを打席に迎えたときにそのスローボールを投げてみた。シーウェルによれば、そのときウェイクフィールドは「バットを振り出したかと思えば止め、また振り出したかと思えば止め、ようやく振り切ったときには空振りの勢いで転びかけていた」そうで、それを見ていた両軍ダグアウトとも笑いに包まれたという。このスローボールを "イーファス・ピッチ" と名付けたのは、チームメイトの外野手モーリス・バン・ローベイスである。彼によれば「『イーファス』に意味はないよ、ありゃそういう球だ」ということでそう名付けたという。シーウェルは1949年まで現役を続けたが、レギュラーシーズンではこのイーファス・ピッチを本塁打にされたことが一度もない。この球を本塁打にされたのはただ一度、1946年のオールスターゲームでテッド・ウィリアムズと対戦したときだけだった。
日本では一般的にスローボール、とりわけ遅いものを超スローボールと呼ぶ。スローボールという名前の球種は1923年に発行された三宅大輔著「野球」に既に登場しているが「5本の指で緩く卵を握る心持ちで」「投げる動作は普通の球を投げるのと同じであるが」と記されている事から現在のチェンジアップに当たる球種であった。1950年代以降になると金田正一、渡辺省三など山なりの遅球を用いる投手が現れ、ファンの間で「超スローボール」と呼ばれるようになった。しかし金田は「超スローカーブ」として、渡辺は「スローナックル」として投じていた。1978年には水島新司の野球漫画「ドカベン」にて登場人物の不知火守が決め球として使用し、作中では「超スローボール」のほか「蝿止まり」と呼ばれる。なお不知火の遅球は速球とフォームが変わらない超スローチェンジアップだった。
米国では前述の通りイーファス・ピッチと呼ばれており、これに倣い日本でもイーファスと呼ぶことも多い。プロ野球スピリッツシリーズでは『イーファスピッチ』で登録されている。なお、MLBではダルビッシュ有が投じる90~120km/hのスローカーブもイーファスと呼ばれる事があるなど球速差の激しいボール全般をイーファスと呼ぶ傾向がある一方で「非常に山なりの球だけをイーファス・ピッチと呼ぶべきだ」と主張する記者も存在し、意見が割れている。
中国では「小便球」「慢速魔球」と呼び、韓国では代表的な朝鮮民謡「アリランダンス」の踊りになぞらえ아리랑볼(アリラン・ボール)と呼ぶ。
投げる際、通常の投球フォームとは異なるゆっくりした腕の振りになる。投じられた球は回転数が少なく、大きく縦に割れるような変化を伴う(「超スローカーブ」と言う投手もいる)。また投げ方によっては回転がほとんどなくなり、ナックルボールのように揺れながら変化する。
投球フォームが通常と大きく異なるため、打者はスローボールが投じられることを事前に察知することができる。しかし山なりのスローボールを打ちこむ練習はやらないため、打者にとって「分かっていてもなかなか打てない」球種となる。鹿取義隆によれば、山なりの軌道でバットの下に潜り込むように入ってくるためボールの上っ面を叩き、ゴロになりやすいという。
試合の中で投げ続けると打者も球速に慣れてくるため、基本的に多投はされない。打者の打ち気を削ぐなどの心理的な動揺を誘うことが主な狙いである。投手対打者の対戦において、打者側が有利とされる状況で投じられることが多かったためか、投手が打者を打ち取るための配球が組み立てられなくなった(いわゆる「投げる球がない」という状態)際の、窮余の策と解釈されることが多い。 MLBでは敗戦処理で登板した野手や捕手がよく使用する。
軌道が山なりになるほどストライクゾーンに入れることが困難であり、仮にゾーンを通過してもストライク判定をされないという指摘もある。2022年3月、福岡ソフトバンクホークスの岡本直也が教育リーグで中継画面から消えるほど山なりの遅球を投じ話題を呼んだが、高村祐2軍投手コーチに「ストライクゾーンの中に入ってきてもストライク判定され得るボールではない」という事を一因に禁止令が出される一幕があった。
極端に山なりの軌道で球場のスピードガンで計測不能になったり、テレビ中継の画角からはみ出してしまう超スローボールの場合、球速は50~60km/hとされる。スピードガン導入直後の1979年、高橋重行が47km/hを計測した記録が残っている。MLBでは2021年8月7日に本来は野手のブロック・ホルトが敗戦処理で登板した際に最低30mph(約48.3km/h)を計測表示した。日本プロ野球は2024年現在、全ての球場でMLBと同様の計測器「トラックマン」や「ホークアイ」が導入されているが多くの球場で計測不能となる。エスコンフィールドでは計測可能で伊藤大海の遅球を53km/hと計測表示した。
これら計測不能の遅球はリリースからホームベースに届くまでの滞空時間から平均球速を簡易的に計算することが可能だが、一般的に初速を表示するスピードガンの数値とは乖離がある。この計算方法だと平均球速が40km/hを下回る事もあるが、ストライクゾーンに届くまでと仮定した物理的な初速の限界値は26~28mph(約41.8~45.1km/h)とされている。
100km/h弱のスローボールは意図して投げるものではなく、スローカーブなどが変化しなかった失投として扱われる事が多い(いわゆるションベンカーブ)。小宮山悟の開発したシェイクも失投すると変化せず単なるスローボールになっていた。とりわけ金田正一はスローカーブに自信を持っており、非常に山なりの遅球も投じたが超スローボールと呼ばれる事を嫌った。金田は棒球にならない様にリリースの直前に親指の腹でブレーキをかけつつ僅かに回転を与えるように投じており「超スローカーブ」と呼ぶように紙上で求めていた。
This article uses material from the Wikipedia 日本語 article スローボール, which is released under the Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 license ("CC BY-SA 3.0"); additional terms may apply (view authors). コンテンツは、特に記載されていない限り、CC BY-SA 4.0のもとで利用可能です。 Images, videos and audio are available under their respective licenses.
®Wikipedia is a registered trademark of the Wiki Foundation, Inc. Wiki 日本語 (DUHOCTRUNGQUOC.VN) is an independent company and has no affiliation with Wiki Foundation.