イストミア大祭(イストミアたいさい、英語:Isthmian Games、古代ギリシア語:Ἴσθμια)は古代ギリシア四大競技会のひとつで、開催地であるコリントス地峡(古代名:イストモス)に因んで名前が名付けられた。開催は2年に一度、古代オリンピックの前後の年(オリンピアードの2年目と4年目)に開催されていた。なお、オリンピアードの3年目にはピューティア大祭が開催されたため、1回のオリンピアードの期間中は、毎年何かしらの四大競技会が開催されていたことになる。
この大祭はメリケルテースの慰霊祭として、シーシュポスが始めたといわれている。彼はコリントスの創建者にして王でもあり、メリケルテースの遺体をコリントス地峡に埋葬した人物とも言われている。ローマ時代には、メリケルテースはこの地域で崇拝される存在となった。
古代アテナイの伝説の王であるテーセウスは、それまで閉鎖的な夜の儀式に過ぎなかったこのメリケルテース慰霊祭を、ポセイドンに捧げる本格的なアスレチック競技会へと発展させた。この大会はギリシア全土に開かれたものとなり、その発展と人気はヘーラクレースにより創設されたオリュンピア大祭に匹敵するほどとなった。また、テーセウスはアテナイからの来賓には前列席の特権を与えることも取り決めた (prohedria、古代ギリシア語:προεδρία)。そのほかに変更された点は、紀元前7世紀のコリントスの僭主であるキュプセロスが、この大会を昔の栄華ある姿へと立ち返らせたことである。
もし、最初のオリンピックが紀元前776年に始まったという説を支持するのであれば、イストミア大祭は紀元前582年に始まったと考えることができる。
少なくとも紀元前5世紀(ピンダロスの存命時)までは、イストミア大祭の勝者に贈られる花冠にはセロリが使用されていたが、後にこれは松に変更された。勝者には、この他にも像あるいは祝勝歌が贈られた。また、アテネ人が勝者であった場合、アテネでは更に100ドラクマの賞金も与えられた。
紀元前228年または紀元前229年以降はローマ人も参加することを許された。
196年に行われた大会は、ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスが、マケドニア王国の支配からのギリシアの解放を宣言する場としても利用された。アッピアノスの記載によると:
When he had arranged these things with them he went to the Isthmian games, and, the stadium being full of people, he commanded silence by trumpet and directed the herald to make this proclamation, "The Roman people and Senate, and Flamininus, their general, having vanquished the Macedonians and Philip, their king, order that Greece shall be free from foreign garrisons, not subject to tribute, and shall live under her own customs and laws." Thereupon there was great shouting and rejoicing and a scene of rapturous tumult; and groups here and there called the herald back in order that he might repeat his words for them. They threw crowns and fillets upon the general and voted statues for him in their cities. They sent ambassadors with golden crowns to the Capitol at Rome to express their gratitude, and inscribed themselves as allies of the Roman people. Such was the end of the second war between the Romans and Philip.
大会の開始以降、コリントスが常に大会を支配していた。紀元前146年にローマ帝国によってコリントスが滅ぼされても、この大会は継続されたが、管理はシキオンが行った。その後、コリントスは紀元前44年にカエサルにより再建された。以降、テオドシウス1世が異教の儀式であるとして弾圧するまでの間、大会は大いに栄えた。
出典
古代オリンピックと同等と見なされていた競技:
紀元前216年、テーバイのCleitomachus(1日の間にレスリング、ボクシング、パンクラチオンで優勝した)。
大会前には、選手が安全にギリシアを通行できるよう、休戦が宣言された。紀元前412年、当時アテネとコリントスは戦争状態にあったにもかかわらず、例年通りアテネの選手を大会に招待したという記録もある。
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