カチン新民主軍(カチンしんみんしゅぐん、ビルマ語: ကချင်ဒီမိုကရေစီသစ် တပ်မတော်、英語: New Democratic Army – Kachin、 略称: NDA-K)は1989年から2009年まで存在したカチン族の武装勢力である。2009年以降は国境警備隊としてその勢力を保っている。本記事では「カチン系国境警備隊」と呼称し、これについても記述する。
カチン新民主軍 | |
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ကချင်ဒီမိုကရေစီသစ် တပ်မတော် ミャンマー内戦に参加 | |
カチン新民主軍の旗 | |
活動期間 | 1989年 2009年11月8日 – 現在(カチン系国境警備隊として) | – 2009年11月8日 (カチン新民主軍として)
活動目的 | カチン民族主義 |
指導者 | ザクン・ティンイン |
本部 | カチン州チプウェ郡区パンワ |
活動地域 | カチン州第1特区(カチン州の一部) 中緬国境 |
兵力 | 200–300; 700 (BGF改編前後) |
前身 | ビルマ共産党101軍区 |
分裂 | 反乱抵抗軍(ラワン民兵) ソロー民兵 |
関連勢力 | |
敵対勢力 | カチン独立軍 |
戦闘 |
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1969年5月、ザクン・ティンインとゼルムは400人の兵士を率いてカチン独立機構(KIO)から離脱し、ビルマ共産党に加わった。この部隊はビルマ共産党101軍区となった。
1989年にビルマ共産党が崩壊すると、旧101軍区はビルマ共産党派、カチン独立機構派、新政党派に分裂していた。同年10月にティンイン率いる旧101軍区は人民解放戦線(People’s Liberation Front: PLF)として独立した。人民解放戦線はカチン独立軍と同盟関係を結び、実質的にカチン独立軍の一部となっていた。PLFは中国の圧力により、同年12月に国家法秩序回復評議会 (SLORC)と停戦条約を結び、カチン新民主軍(NDA-K)と改名した。NDA-K支配地域はカチン州第1特区として自治が認められた。その後、ワ州連合軍などの旧ビルマ共産党系武装組織の同盟である平和民主戦線に加盟した。
NDA-Kは政府から予算、食糧、配給などを受け取った。さらに、兵士600人は警察の一部として給与が支払われた。しかし麻薬問題の影響で2000年に援助は停止した。
NDA-Kは軍事政権と良好な関係を保ち、カチン族の代表として国民大会に出席することが認められた。
ティンインはカトリック教徒であり、NDA-K支配地域自体もクリスチャンが多い地域であるが、軍事政権と良好な関係を築くためにパンワにパゴダを建設することを承認した。
2004年にはティンインの暗殺未遂が、2005年にはゼルムらによるクーデター未遂が発生した。2005年のクーデター未遂ではゼルムが捕らえられ、ラウワゾンコン(Lauwa Zawng Hkawng)は脱走した。これらの事件はティンインが仲間の幹部に利益を分配しなかったことに端を発するとみられている。
2009年11月、NDA-Kは国境警備隊(BGF)に改編された最初のグループとなった。第1001大隊はチプウィ、第1002大隊パンワのルピ、第1003大隊はカンバイティのシンチャクに置かれた。BGF改編前の兵力は800人ほどであったが、500人近くがBGFへの改編を嫌ってNDA-Kから脱走した。残されたのは250人程度であり、そこから3個大隊を結成した。
2011年以降、カチン独立軍(KIA)とミャンマー軍の戦闘が勃発したが、カチン系BGFは2012年と2013年にミャンマー軍側で戦った。2012年にはKIAにより一時的にパンワが占領された。
ティンインはカチン州進歩党(KSPP)からの2010年総選挙の出馬を見込んでいたが、無所属でカチン州5区から当選し、2011年から2015年まで上院議員を務めた。
2015年9月、ティンインはカチン系BGF支配地域内での国民民主連盟(NLD)の選挙活動を禁止した。カチン州議会議員である息子インサウの対抗馬がNLD所属であることが原因だと見られている。同年10月にはインサウの対抗馬であるNLD所属のチョーウー氏らがカチン系BGF関係者と思わしき集団により襲撃された。ティンインは2015年総選挙で当選したが、翌年当選を取り消された(後述)。
NDA-Kから分派した民兵組織はRRF/ラワン人民民兵とソロー(Tsawlaw)民兵がある。
ラワン族のタングータン(別名: アタン、ビルマ語: တန်ဂူးတန်)は2006年にミャンマー陸軍北部軍区司令官オーンミン(Ohn Myint)少将の支持のもとNDA-Kから分派して反乱抵抗軍(Rebellion Resistance Force: RRF)を立ち上げ、プタオ郡区コンランプーに拠点を置いた。2009年にRRFはラワン民兵となった。RRFはミャンマー軍とカレン民族同盟との戦いでミャンマー軍側で参加した。また、RRFは2007年9月、サフラン革命前に300人以上のラワン族の若者を徴兵し、軍事訓練のためにネピドーに送った。その後、ラワン族の若者の殆どはミャンマー軍に徴兵され、RRFに戻れたのは数人であった。このため、RRFの兵士は本部から脱走し、RRFには100人程度の兵力しか残されていない。
RRFは怒江リス族自治州政府森林局の協力のもと、福貢県とコンランプーを結ぶ道路を建設していている。これは鉱物やチーク材を輸出するためのものとみられる。
ラワン民兵は2021年ミャンマークーデター後、カチン独立軍や国民防衛隊に対抗するために住民の軍事訓練を行なった。
タングータンはヒスイや金の採掘により利益を得ており、ミッチーナーにレコーディングスタジオを所有している。
2005年、ゼルムとラウワゾンコンはNDA-K内部のクーデターを実行し、ティンインの追放を画策したが失敗した。2人の死後、クーデターに失敗したグループは非活動的になっていたが、2021年ミャンマークーデター後、2023年11月にソロー国民防衛隊の兵士8人がミャンマー軍側に離反すると、このグループと合流して活発に活動するようになった。指導者がロンウォー(Lhaovo)であるためにロンウォー民兵と呼ばれていたが、ロンウォー伝統文学文化中央委員会がロンウォーの名前をいかなる組織にも使用することを許さないと声明を出したため、ソロー民兵と呼ばれることとなった。2015年選挙に参加したロンウォー民族団結発展党(Lhaovo National Unity and Development Party: LNUDP)の一部党員が関与しているとされる。
ティンインは雲南辺境出身のアチャン族(Ngochang)である。1967年、ティンインはカチン独立軍の使節として中国側と接触した。翌年の1968年、ティンインはゼルムと共にカチン独立軍第3旅団を離脱してビルマ共産党に加わり、101軍区を設立した。
ティンインは2010年ミャンマー総選挙で当選し、2011年から2015年まで連邦議会の上院議員を務めた。2015年ミャンマー総選挙でも再選を果たしたが、選挙期間中に対抗馬を脅迫したことにより2016年に当選を無効とされた。
NDA-Kは停戦後、森林伐採、ヒスイの採掘、金の採掘などの利権を認められた。NDA-Kは事業に注力し、武装シンジケートのように振る舞っていたとされる。ウィキリークスが公開した2005年の米国大使館の電報において、米国の外交官はNDA-Kをビジネスカルテルにしか似ていないと評している。しかしながら、NDA-Kは資源へのアクセスをミャンマー軍に左右されていたために、自治の範囲を狭めることとなった。
NDA-Kはンマイ川(N’mai Hka)東岸で破壊的な森林伐採を行ってきた。NDA-Kは木材の課税によっても収入を得ており、共にエーヤワディー川の支流であるンマイ川とマリ川(Mali Hka)がなす三角地帯はKIAが大部分を支配しているが、そこで伐採される木材は全てNDA-Kが課税する三角峠(Triangle Pass)を通って出荷されている。ローコン地域でンマイ川を越えるチプウェ橋は、NDA-Kが中国企業に発注して建設させたものであり、この橋を通って伐採された木材が輸出されている。NDA-Kは森林の伐採権を支配地域外にも拡大し、カチン独立軍との対立を招いた。
ティンインは、地域の開発のためであるとして森林の伐採を正当化している。また、カチン系BGFは植林計画や開発計画を名目にして森林伐採を行っていることが報告されている。
中国と国境を接するカチン系BGF(NDA-K)支配地域における違法なレアアースの採掘が2021年ミャンマークーデター以降激増している。2021年4月、NDA-K支配地域で100ものレアアース採掘場が見つかった 。中国政府は国内のレアアース採掘を取り締まる一方で、破壊的な採掘をカチン州で行っている 。 2022年 現在[update]、カチン州では、300カ所で2700もの採掘場が見つかっており、これはシンガポールの面積に匹敵する。また、これらは2016年から急激に増加しており、2021年12月には2億ドル分のレアアースが中国に輸出された。
ザクン・ティンインとその息子が取締役を務めるMyanmar Myo Ko Ko社はパンワ地区におけるレアアースの違法採掘に関与していることが明らかとなっており、軍事政権の収入源にもなっている可能性があることが示唆されている。
パンワ周辺ではレアアース採掘による土壌や水の汚染が深刻であると地元住民は話している。鉱山開発に伴う農地の収奪も起きており、これに抗議した村長をカチン系BGFが脅迫するということも起こっている。
NDA-Kは村民の土地を強制的に接収し、中国輸出用のバナナの栽培を行っている。バナナプランテーションの拡大は除草剤、殺虫剤、肥料による水質汚染を引き起こしており、村民の反感を買っている。
2000年代初頭からパンワでは中国マフィアがカジノを運営しており、NDA-Kに利益の十分の一を支払っている。負けたギャンブラーへの拷問は常態化しており、2008年に80人の中国人ギャンブラーが殺害されるか失踪したため、パンワ最大のChang Ying Hkuカジノは中国当局の圧力によって閉鎖された。
2008年にはパンワのカジノで負けて借金を返せなくなった中国人が監禁され、暴行されたという報告がされている。翌年の2009年にはパンワのサインシャインホテル(陽光酒店)紅鑫カジノにて中国人数十人が監禁される事件が発生し、雲南省保山市騰衝市の公安局が監禁された中国人の救出に向かった。
KIA支配地域のマイジャヤンでも同様の事件が起きた結果、中国政府はミャンマーのカジノに行かないよう注意喚起することとなった。
2010年時点でパンワには数十のカジノがあるという。
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