「無季俳句」の検索結果 - Wiki 無季俳句
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無季俳句(むきはいく)は、季語を持たない俳句のこと。また季語はあっても季感(季節の感じ)を持たない俳句や、季語の有無を問わず詩感(ポエジー)を第一義とする俳句を含めることもある。「無季」に対し、句が季語・季感を持つことは「有季」(ゆうき)という。 無季の問題は江戸期、松尾芭蕉の時代から議論されてきた… |
俳句(はいく)は、句に季節感を与える季語を含み(有季)、五・七・五の十七音の型で作る(定型)事を基本とする日本の定型詩。ただし、季語を持たないもの(無季)や定型に従わないもの(自由律)も俳句として許容する場合もあり、何を俳句とみなすのかという定義は俳人協会、現代俳句協会、日本伝統俳句協会など各団体で統一されていない。… |
に短歌的表現を取り入れるなど、新鮮な句作を行った。しかし、虚子流の客観写生とは合わず、俳句誌「馬酔木」を主宰、叙情の回復を図った。これに呼応して新興俳句運動が起き、無季俳句容認の道を開いたが、秋桜子自身は無季俳句には批判的であった。 東京府東京市神田区猿楽町(現・東京都千代田区神田猿楽町)に代々産… |
季語 (カテゴリ 俳句) 明治時代に俳句の近代化を行った正岡子規は、十七字という俳句の短さに対して、季語によって起こる四季の連想が重要な役割を果たすと考えた(『俳諧大要』)。子規の考えを受け継いだ高濱虚子は、俳句の主題は四季を反映した自然(ならびにそれを反映した人事・生活)であるべきことを説き(花鳥諷詠)、無季俳句… |
都会的素材や連作俳句は新興俳句運動において後進に波及し、その中から無季俳句を作る流れも出てくるが、秋桜子と同様誓子も無季俳句からは距離を置いた。 新興俳句は誓子作品の文体に強い影響を受けており、例えば「京大俳句」の俳人たちは誓子の「スケートリンク」連作発表直後か… |
この新運動は連作俳句に積極的に取り組み、河東碧梧桐に私淑した金児杜鵑花(「俳句月刊」主幹)によって、「新興俳句」の名称を与えられたとされるが、「新興俳句」の言葉の成立は、時期的には、前述の碧梧桐や地蔵尊の方が早い。なお、連作俳句中の個と全、季語の有無が問題となり、無季や超季… |
誌を統合し、「旗艦」を創刊・主宰。「ホトトギス」除名後は無季俳句を積極的に唱導、自らもエロティシズムや無季の句をつくり新興俳句の主導的役割を担う。戦後の1946年に肺結核を発症、1949年に退職して以後の10数年は病床にあり、これまでの新興俳句とは別種の静謐な句をつくった。1949年「青玄」創刊、主… |
「天の川」と「傘火」を拠点にして新興俳句運動の一翼に参じた。花鳥諷詠に終始する俳句を否定し、俳句に何より必要な物は詩魂のはばたきであるとして無季俳句を推進。代表句「しんしんと肺碧きまで海の旅」(1934年)は無季俳句の存在と可能性を俳壇に知らしめた先駆的作品で、有季派であった水原秋桜子をして鳳作を無季… |
俳句運動の中心誌として無季俳句や戦争俳句が多く載った。しかし反戦的な内容から、1940年2月から8月にかけて静塔、白文地、白泉、辰之助、三鬼ら編集関与者14名が治安維持法違反として次々特高警察によって検挙される(新興俳句弾圧事件)。これによって同年2月、『京大俳句』は終刊を余儀なくされ、新興俳句運動は急速に終焉に向かった。… |
1969年1月30日)は、東京出身の俳人。本名威徳(たけのり)。 昭和初期の新興俳句運動において無季派(超季派)の俳人として活躍。「戦争が廊下の奥に立つてゐた」など、戦争の本質を鋭く突いた「銃後俳句」と呼ばれる無季俳句が特に知られる。 東京市赤坂区青山(現・港区)生。本籍地は山梨県で、父は同地の地… |
俳句の発想を嫌い、切れ字をあまり用いず直叙的な句が多いことを特徴とする。 戦時中は出征経験を持たないまま戦争を詠むいわゆる「戦火想望俳句」の連作を作り、新興俳句の一環として戦争を題材とした無季句の制作を推進したが、戦後は有季… |
『NHK俳句』(エヌエイチケイはいく)は、NHK Eテレ、NHKワールド・プレミアムの俳句番組である。 元々は『NHK俳壇』(エヌエイチケイはいだん)と題して1994年4月8日から放送されたが、2005年4月9日以降は当タイトルに変更された。また2012年4月からは、毎月第4日曜日放送分が初心者向けの俳句… |
俳句は1935年、東京堂の先輩に勧められ社内句会に参加。1936年に「句と評論」「馬酔木」などに投句。1937年渡辺白泉の「風」に参加、白泉に師事し、新興俳句無季派の俳人となる。1938年「広場」同人となり、西東三鬼にも師事。1939年「京大俳句」にも参加するが、新興俳句… |
1929年「ホトトギス」同人。しかし次第に有季定型・花鳥諷詠から離れるようになり、九大俳句会を中心として新興俳句運動に関わるようになったため、1936年に「ホトトギス」を除名。戦後は有季定型・文語俳句と訣別し、口語・自由律・無季俳句を推進、「天の川」は自由律俳句の拠点のひとつとなった。口語俳句… |
天の川 (雑誌) (カテゴリ 俳句雑誌) 1935年(昭和10年)頃より無季俳句を掲載するようになり白虹、篠原鳳作、北垣一柿が活躍し、日野草城の『旗艦』、水原秋櫻子の『馬酔木』と並んで新興俳句運動の三本柱となった。 戦後は自由律俳句も取り入れ、一柿や片山花御史が活躍した。 ^ 天の川とは - コトバンク、2013年1月30日閲覧。… |
季派かどうかを問わず)上の世代の会員の離脱と、彼らによる俳人協会の設立(1961年)が起きた。なお、離脱を先導した一人である中村草田男(当時、幹事長)は、有季絶対派として、無季を容認できないことを理由の一つに挙げた。ちなみに、第1回俳人協会賞は、第9回現代俳句… |
俳句の向上」を創立目的として結成されたのが現代俳句協会である。しかし、無季俳句や前衛俳句を認める派と、伝統俳句を堅持する派との相違が激しくなり、昭和36年に分裂。伝統俳句陣営は社団法人俳人協会を設立した。この他、昭和32年には吉岡禅寺洞らにより口語俳句の一般化を提唱した口語俳句… |
(Series俳句世界2) 『俳句は友だち おぼえておきたい名作80選』編、教育出版、1997 『無季俳句の遠心力』佐佐木幸綱、復本一郎共編、雄山閣出版、1997 (Series俳句世界3) 『歳時記の宇宙』鷹羽狩行、復本一郎共編、雄山閣出版、1997 (Series俳句世界4)… |
句に「鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ」「黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ」など。季語の情緒を嫌い、「風流から生活へ」の詩観から徹底して無季俳句を貫いた。1963年、第11回現代俳句協会賞受賞。1998年死去、73歳。 句集に『風蝕』『幻燈』『林田紀音夫句集』があり、2006年には唯一の弟子である福田基により全句集が刊行されている。… |
マブソン青眼 (カテゴリ 俳諧・俳句研究者) 俳句の手法のこと。伝統的なモチーフにとらわれず、新鮮な言葉の衝突によって新しい情緒を生み出そうとしている。季語を含まない句も多い」としている。 "俳句小説"『遥かなるマルキーズ諸島』について、読売新聞では「(あとがきで)「アニミズム的な作品」と語る通り、壮大な無季… |