「源雅信」の検索結果 - Wiki 源雅信
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源 雅信(みなもと の まさのぶ/まさざね、延喜20年〈920年〉 - 正暦4年〈ユリウス暦993年〉)は、平安時代中期の貴族。宇多源氏、式部卿・敦実親王の三男。官位は従一位・左大臣、贈正一位。一条左大臣又は鷹司左大臣と号した。 朱雀朝の承平6年(936年)臣籍降下して二世王待遇の蔭位により従四位下… |
源姓では清和源氏や嵯峨源氏などと並び称されて名族である。 源氏には祖とする天皇別に21の流派(源氏二十一流)があり、宇多源氏はそのうちの一つで宇多天皇から分かれた氏族である。宇多天皇の皇子のうち、第8皇子敦実親王の3男・雅信王が、承平6年(936年)に臣籍降下して源朝臣の姓を賜い源雅信… |
931年のカレンダー(ユリウス暦) アダルベルト2世、イヴレーア辺境伯、イタリア王 (+ 975年) 曹彬、後周、北宋の軍人 (+ 999年) 藤原穆子、源雅信の正室 (+ 1016年) 穆宗、遼の第4代皇帝 (+ 969年) 劉承祐、五代後漢の第2代皇帝 (+ 950年) 9月3日(承平元年7月19日)… |
胡瑗、北宋の儒学者 (+ 1059年) トゥグリル・ベグ、セルジューク朝の初代スルターン (+ 1063年) 8月19日 (正暦4年7月29日) - 源雅信、平安時代の公卿 (* 920年) ゴドリック・グリフィンドール、ヘルガ・ハッフルパフ、ロウェナ・レイブンクロー、サラザール・スリザリン、ホグワー… |
1872年) 弘化3年(グレゴリオ暦1846年9月19日) - 箕作麟祥、官僚・法学者(+ 1897年) 正暦4年(ユリウス暦993年8月19日) - 源雅信、宇多源氏の祖(* 920年) 治承3年(閏7月)(ユリウス暦1179年9月2日) - 平重盛、武将・平清盛の子(* 1138年) 寛文元年(グレゴリオ暦1661年8月23日)… |
源 倫子(みなもと の りんし/みちこ/ともこ、康保元年(964年)- 天喜元年6月1日(1053年6月19日))は、平安時代中期の貴族女性で、藤原道長の正室。父は左大臣源雅信、母は正室藤原穆子。兄弟に宇多源氏の嫡流源時中、源時通、『枕草子』にたびたび登場する源扶義、源時方、源… |
母:藤原観子または親子(藤原山蔭の娘) 妻:藤原忠舒の娘 男子:藤原理兼 生母不詳の子女 女子:藤原穆子(931-1016) - 源雅信室 女子:源重信室 娘藤原穆子は左大臣源雅信の正室となり、摂政藤原道長の正室となった源倫子を生んだ。つまり、関白藤原頼通は朝忠の曾孫、後一条・後朱雀の両天皇は朝忠の玄孫(孫の孫)にあたることになる。… |
四男:藤原公信(977-1026) - 次男・斉信の養子 三女:寝殿の御方 - 源雅信室、藤原伊周妾 四女:藤原儼子(?-1016) - 花山法皇妾、藤原道長妾、藤原妍子女房 五女:藤原穠子(979-1025) - 源兼資室、藤原道長妾、藤原妍子女房、禎子内親王女房 妾:藤原伊尹の娘 生母不明の子女… |
源雅信が撰したとされる「根本の七首」を嚆矢とするという起源説があり、雅信が左大臣を辞した表の内の秀句が七首のうちの秘曲となっているが、ただし、これは天元元年(978年)の作であって、それ以前に、安和2年(969年)、雅信… |
奝然、平安時代の東大寺の僧(* 938年) 5月24日(長和5年4月16日) - 橘道貞、平安時代の公家(* 生年未詳) 8月31日(長和5年7月26日) - 藤原穆子、源雅信の正室(* 931年) 11月30日 - エドマンド2世、イングランド王(* 988年/993年?) 注釈 出典 [脚注の使い方] ^ Casimir… |
庭田家(にわたけ)は宇多源氏の流れを引く公家・華族。公家としての家格は羽林家、華族としての家格は伯爵家。 左大臣源雅信の子孫経資(正二位・権中納言。実父は藤原公直)(1241年 - 没年不明)を祖とする堂上源氏の一つ。綾小路家の祖信有(正二位・権中納言)(1269年 - 1324年)は経資の弟に当たる。… |
源家音曲の祖とされる。藤原忠房が作曲した舞楽曲の胡蝶や延喜楽に振り付けを加えるなど、日本の音楽史上重要な人物である。勅撰歌人として、『後撰和歌集』に和歌作品が1首採録されている。 父:宇多天皇 母:藤原胤子(藤原高藤の娘) 妻:藤原時平の娘 三男:源雅信(920-993) 四男:源重信(922-995)… |
源師房の子孫は多数の公卿を輩出し、栄えた。師房の子、源俊房・源顕房の兄弟はそれぞれ左大臣・右大臣に昇った。俊房流も院政期までは公卿を出したが、以後は没落した。顕房の嫡男の源雅実は源氏で初の太政大臣となり、その子孫は数多くの大臣を輩出して村上源氏の嫡流となり、殊に平安時代末期の源… |
源 扶義(みなもと の すけのり)は、平安時代中期の公卿。宇多源氏、左大臣・源雅信の四男。官位は正四位下・参議。字は源叔。 一般の上流貴族子弟の昇進過程とは異なり、学問を志して大学寮に入り、25歳であった天延3年(975年)に文章生となる。貞元2年(977年)8月に進士蔵人として六位蔵人に補され、… |
竹内家:清和源氏(源朝臣)で源義光の四男盛義の後裔季治が祖。旧家。家業は弓箭・笙・和歌。 五辻家:宇多源氏(源朝臣)。庭田同祖。源雅信の子時方六世孫仲兼が祖。旧家。家業は神楽。 慈光寺家:五辻庶流。五辻遠兼の子仲清が祖。戦国時代末に断絶後、江戸時代初期に冬仲が再興。新家。 白川家:源… |
り、郢曲については、藤原頼宗の子孫藤原俊家・宗俊・宗忠らが藤原郢曲(「藤家(とうけ)」の郢曲)の家筋として固定されていった。また、敦実親王・源雅信を祖とする「源家(げんけ)」は郢曲および陪従を伝承する家柄としてめざましく活躍した。 鎌倉時代に、前代の今様を受けて鎌倉を中心とする東国の武士たちに愛唱さ… |
綾小路家(あやのこうじけ)は宇多源氏の流れを汲む公家・華族だった家。公家としての家格は羽林家、華族としての家格は子爵家。 左大臣・源雅信の子孫綾小路信有(正二位・権中納言)(1269年 - 1324年)を祖とする。兄は庭田家の祖庭田経資(正二位・権中納言。実父は藤原公直)(1241年 - 没年未詳)である。… |
^ 具平親王の落胤。 ^ 平生昌の次男・以康の三男。 ^ 源忠隆の六男とも。 ^ 源顕房室。顕雅・信雅母。 ^ 平清盛養子。 ^ 平重衡室。大納言典侍。安徳天皇乳母。 ^ 建礼門院乳母 ^ 朝比奈氏の祖 高藤流 ^ 醍醐天皇女御。 ^ 源雅信室。時叙・倫子母。 ^ 村上天皇御匣殿別当 ^ 藤原兼隆室、後高階成章室。… |
天暦2年(948年) 10月28日:卒去(散位従四位下) 父:源国紀 母:不詳 生母不詳の子女 男子:源信明(910-970) 男子:源宏平 男子:源信孝 男子:観教(源信輔) - 又は信孝の子 男子:澄観 男子:勝観 男子:寛祐 男子:慈慶(又は滋慶) 女子:源雅信室 [脚注の使い方] ^ 読みは、みなもと の… |
源雅信、雅信ら源氏勢力を懐柔したい内祖父・兼家、両家にとって慶事であり、盛大な産養(誕生の祝宴)が行われたことが『栄花物語』にみえる。 正暦元年(990年)12月、3歳で袴着が行われた。この儀に欠席した藤原実資は、雅信と道長がこのことで不快感を持っていたと翌日伝え聞いて驚いている。… |