菊村 到(きくむら いたる、本名:戸川 雄次郎(とがわ ゆうじろう)、1925年5月15日 - 1999年4月3日)は、日本の作家・小説家。神奈川県平塚市出身。
婦人生活社『婦人生活』第14巻第4号(1960)より | |
誕生 | 戸川 雄次郎 1925年5月15日 日本・神奈川県平塚市 |
死没 | 1999年4月3日(73歳没) 日本・神奈川県秦野市 |
職業 | 小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
教育 | 学士(文学) |
最終学歴 | 早稲田大学英文科 |
ジャンル | 小説 |
代表作 | 『不法所持』(1957年) 『硫黄島』(1957年) 『赤い闇の未亡人シリーズ』(1988年 - 1997年) |
主な受賞歴 | 文學界新人賞(1957年) 芥川龍之介賞(1957年) |
親族 | 戸川貞雄(父) 戸川猪佐武(兄) |
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旧制湘南中学を経て、1944年に仙台陸軍予備士官学校へ入学。翌年卒業し秋田へ見習士官として赴任したが、そこで終戦を迎える。復員直後から早稲田大学文学部英文学科へ通い、この頃から執筆活動を始める。
1948年、大学卒業と共に読売新聞社へ入社。社会部の記者として活動する傍らで執筆活動を行うようになり、同年6月に『川の上』1949年10月に『死臭』を発表し作家としてデビュー。1954年には『受胎告知』が第32回芥川賞候補となる。
この頃までは本名で活動していたが、やがて記者活動との兼ね合いから、1955年の結婚を境に「菊村到」のペンネームで執筆を行うようになる(後述)。1957年「不法所持」で文學界新人賞受賞。筆名を使ったため、芥川賞候補作家と同一人物と判らず受賞した。
1957年の第37回芥川賞受賞を機として、10月に読売新聞社の文化部記者(当時)を退職し、以降は文筆活動に専念するようになる。その後は自身原作の映画『紅の翼』に新聞記者役として出演したり、一時期テレビ番組『モーニングショー』において身の上相談の回答を行うなどしている。
作家として息の長い活動を続けていたが、1999年4月に心筋梗塞のため73歳で死去。
父は小説家の戸川貞雄で、兄は政治評論家の戸川猪佐武である。河野謙三が戸川猪佐武を経て父親に平塚市長選挙への立候補を要請した時、菊村到は反対していたが、選挙で父親は当選を果たした。後に父親が出版した市長時代の回顧録には、戸川猪佐武が巻末での寄せ書きで「息子はおやじのアンチ・テーゼ」と菊村到が語っていたことを記している(戸川貞雄『市長の椅子』より)、なお叔父(父の弟)にイタリア文学者の岩崎純孝がいる。
また妻の義兄には福田恆存がいる。なお、ペンネームの由来は、その妻の名前である「菊江」からである。
初期は純文学だけでなく太平洋戦争に関する作品が多いが、これは自身の士官学校経験だけでなく兄も陸軍経験者であり、また記者時代には海外の日本人戦犯に関する取材のため何度か現地へ赴いていて、それらの体験などが執筆に生かされたものである。
しかし文筆活動に専念し始めた頃、父親と親交のあった江戸川乱歩から推理小説への転向を勧められており、後年は推理小説やサスペンス小説へと次第にシフトしていった。
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