東京逓信病院(とうきょうていしんびょういん)は、東京都千代田区にある病院である。
東京逓信病院 | |
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情報 | |
英語名称 | Tokyo Teishin Hospital |
標榜診療科 | 内科、内分泌・代謝内科、血液内科、神経内科、感染症内科、循環器内科、腎臓内科、消化器内科、呼吸器内科、精神科、外科、消化器外科、呼吸器外科、脳神経外科、整形外科、婦人科、小児科、眼科、皮膚科、形成外科、泌尿器科、耳鼻咽喉科、放射線科、リハビリテーション科、麻酔科、緩和ケア内科、歯科口腔外科、救急科、病理診断科 |
許可病床数 | 461床 一般病床:406床 |
職員数 | 844名 |
機能評価 | 一般病院2(200床-499床)(主たる機能):3rdG:Ver.1.0 |
開設者 | 日本郵政株式会社 |
管理者 | 院長 山岨 達也 |
開設年月日 | 1938年2月 |
所在地 | 〒102-8798 |
位置 | 北緯35度41分49秒 東経139度44分33秒 / 北緯35.69694度 東経139.74250度 |
二次医療圏 | 区中央部 |
PJ 医療機関 |
1938年(昭和13年)2月に逓信省職員と家族を対象の職域病院として開設され、1986年(昭和61年)3月に保険医療機関指定承認を受け一般開放、郵政省関係者以外の一般の患者の利用も可能となった。郵政民営化に伴い、日本郵政株式会社を開設者とする、日本郵政グループの企業立病院となった。
いずれも診療棟の東側に隣接する管理棟(医局や事務方社員が勤務する事務室、人間ドックセンターがある建物)の中にある。なお、両棟の間には特別区道が通っており、地下1階で両棟の行き来が可能である。
現在の東京逓信病院の敷地は福島藩上屋敷時代の敷地をほぼそのままの形で残した遺構である。さかのぼること江戸時代、東京逓信病院のある場所には福島藩の上屋敷があり、明治に入ると福島藩上屋敷跡地に陸軍軍医学校が造られる。更に陸軍軍医学校の土地を活用し東京逓信病院が現在の場所に設立された。
1936年(昭和11年)1月起工され、翌1937年(昭和12年)10月に竣工した旧建物は逓信省経理局営繕課・山田守の設計によるモダニズム建築で、映画『暖流』の舞台ともなった。第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)5月に行われた空襲では本館外来の一部及び院内郵便局が焼失した。戦後も増築されるなどしながら維持されたが、ついには建て替えられた。
いずれも診療棟1階にある。
また、当院は逓信省開設の病院である経緯から、かつては院内に麹町郵便局東京逓信病院分室が設置されていたが、2014年7月25日に営業を終了、翌日(7月26日)付で廃止された。分室廃止に伴い、ゆうちょ銀行ATMが一時撤去されたが、2か月後の9月30日に再設置されている。
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