大空 翼(おおぞら つばさ)は、高橋陽一の漫画「キャプテン翼」に登場する架空のサッカー選手で、同作の主人公である。血液型はA型。
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名前 | ||||||
愛称 | サッカーの申し子、永遠の夢追い人 | |||||
カタカナ | オオゾラ ツバサ | |||||
ラテン文字 | OHZORA Tsubasa | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 7月28日 | |||||
出身地 | 東京都葛飾区 | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 64kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | FCバルセロナ | |||||
ポジション | FW/MF | |||||
背番号 | 主に10、28 | |||||
利き足 | 右 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ポジションは【小学生編】ではCF、【中学生編】以降はMF。出生地は東京都の葛飾区 である。家族で父方の祖父母は屋形船の船頭で静岡に引っ越す前に他界しており「つーちゃん」と呼んでいる。外国船(外航船)の船長である父・広大、母・奈津子、弟・大地(翼がブラジルに渡ってから生まれた)、妻・早苗(旧姓中沢)。「ボールは友達」が信条であり、「サッカーの申し子」と呼ばれる。元ブラジル代表のロベルト・本郷の指導のもと、さまざまなポジションを経験し、世界に誇るMFとして認知される。日本代表ではA代表を除く各世代でキャプテンを務めている。
小学生で「オーバーヘッドキック」、中学生で「ドライブシュート」をマスターするなど、身体能力と技術は同世代と比較するとずば抜けている(その後、ブラジルへ渡り10代でフライングドライブシュートやスカイウィングシュートをマスターする)。ストーリーのクライマックスである決勝戦では「ミラクルドライブシュート」「ドライブオーバーヘッド」といった奇跡のシュートを見せている。また、ライバル選手の高難度の技を一度見ただけで自分の物にすることができる。小学生の時は純粋で好奇心旺盛な性格であったが、中学生になってからはキャプテンとしての自覚に目覚め周りを統率するようになる。小学生時は小柄で日向にも「チビ」と揶揄されていたが、中学生以降は平均的な身長・体格まで成長を遂げた。
作品中で他のキャラクターは「日向くん」「岬くん」のように名字で呼ばれているのに対して、翼・立花兄弟・沢田タケシの4人は名字で呼ぶ者は殆どなく、試合の実況も「翼くん」と呼び、優秀選手発表の際も他の選手が名字で呼ばれる中、一人だけ「大空翼くん」とフルネームで呼ばれている。名前で呼ばれる理由は作者によれば、「『大空くん』よりも『翼くん』の方が語呂がいいため」であるが、アニメ第3作では、監督やアナウンサーや選手紹介は一貫して名字である「大空」を使用している。
モデルはいないが、連載当時にサンパウロFCでプレーした水島武蔵を参考にしている。
無印での背番号は主に10番(中学1年の時のみ19番)。クラブチームでは主に「28」(ツバサの頭文字、2+8=10)の背番号を使用している(「2」と「8」の間に「+」マークが入っている)。これは翼に限ったことではなく、日向や若林など他のキャラにもこの考え方を適用している。サンパウロFCでは闘将ラドゥンガが10番であったことから、翼は17番を使用することになるが、のちにラドゥンガが移籍したため、10番を使用することになる。
南葛小サッカー部(静岡県南葛市立南葛小学校) - 南葛SC(南葛市選抜チームで南葛サッカークラブ、アニメ第3作では南葛FC〈南葛フットボールクラブ〉) - 南葛市立南葛中学校 - 静岡県・浜名クラブ(社会人〈実業団〉チーム) - 新生全日本代表 - ブラジル・サンパウロFC(アニメでは、J:サンパスFC、第3作:ブランコス)- スペイン・FCバルセロナ(アニメではカタルーニャ)- バルセロナBチーム - FCバルセロナ
生まれた頃からサッカーボールがそばにあるだけでいつもご機嫌という少年だった。1歳の時トラックにはねられるも、サッカーボールが奇跡的にクッション代わりとなったことで無傷で助かり、それ以降「ボールは友達」となった。葛飾区ではサッカーは普及しておらず野球中心だったので、青葉弥生の紹介で、弥生の兄の下で中学校のサッカー部で練習する。
小学6年の4月の春休み時にサッカー王国の静岡県・南葛市に転居する(それまでの小学校ではサッカー部や地域のサッカークラブがなかった為にチーム所属出来なかった、故に実力があっても小学6年生までは無名の選手)。最初はサッカーの名門である私立の修哲小に転校するために転居したつもりが、前年度に全国制覇したGK若林源三VS石崎&中学生の対決を制したのを目の当たりにし、石崎と知り合う。若林と町の対抗戦試合で対戦するために公立の南葛小に転校した。南葛小キャプテンは石崎了で、岬太郎の加入もあり、対抗戦は引き分け。この後、若林と岬は翼にとって、日本がワールドカップ優勝を目指す永遠の朋友となる。
南葛SC(南葛市選抜チーム)では当初は若林がキャプテンだったが、若林の足の故障により一時的離脱したため、キャプテンを引き継いだ。この時点では全国的に無名選手であったのに対して、若林は既に知名度があり、若林の偵察に来た日向小次郎も翼のことは知らなかった。
全国大会では予選リーグの明和に敗れたが、決勝トーナメントに進出する。準決勝の三杉淳が率いる武蔵戦では、翼が三杉の心臓病を知り、三杉を庇うような形で実力を出す事が出来ずにいる等スランプに陥ったが、若林や岬やロベルトからの檄、さらに三杉から翼に対する思いを聞いて、スランプから脱出後、逆転勝ちを収める。決勝では明和と再戦し、若島津との空中戦で左足を負傷しながらも激闘の末勝利、南葛を優勝に導いた。自身の記録としては得点王とMVPを受賞した。
ロベルトから「全国大会で優勝したらブラジルに連れて行きサッカーを教える」と約束されており、本人もそれを目標に全力で戦い続けていたが、優勝が決まったタイミングでロベルト本郷は翼との約束を破り一人ブラジルへ帰国してしまい、東邦からゲームメーカーとしてスカウトされるものの、石崎を慕ってスカウトを断り南葛中に進学、卒業まで日本でプレイを続けることになった。
東京都の私立東邦学園中等部からスカウトを受けるもそれを断り、南葛市立南葛中学校に進学。卒業後にブラジルに行くことを見据えつつ、日本サッカー協会の片桐の支援を受けながらサッカー部で活躍する。ロベルトの残したノートの助言に従いCFからトップ下に転向。1年時は1年生ながらチームの司令塔として活躍し、決勝では同じく1年生エースの日向小次郎のいる東邦学園を相手に決勝ゴールを挙げ優勝。
南葛SCのメンバーがレギュラーになった2年時は、決勝で東邦と再戦、チームプレイで若島津から決勝点を挙げV2達成。
3年時は1回戦でオーバーヘッドを早田のジャンピングボレーで防がれた際に、左足の負傷を再発 させ、3回戦では空中のクロスプレイでもつれ落下した際、頭から落ちそうだった立花和夫を庇い左肩を脱臼。満身創痍ながら、大会中にドライブシュートを完成させ、決勝で東邦と同点引き分けの両校優勝で、全国大会3連覇を果たした。
大会で負ったケガの治療に専念し、ジュニアユース代表選考合宿に参加しなかった。そのため大会前の親善試合で遅れてヨーロッパに赴くも、日向と松山の反対で代表入りを許されなかった。だが、連敗している日本が弱いという理由で練習試合を断ろうとしたイタリアジュニアユース相手に一人で殴り込みをかけ、ほとんどのイタリアの選手をドリブルで抜き去った後にドライブシュートで“ヨーロッパNo1ゴールキーパー”ジノ・ヘルナンデスからゴールを奪ったことで日向と松山は考えを改め、特例として晴れて全日本のメンバー入りを果たした。
翼が参加してからの全日本は親善試合で連勝を重ね、キャプテンの座も松山から受け継いだ。ジュニアユース大会中、ロベルトが来ていると示唆され動揺する場面もあったが、そのプレッシャーをはねのけ、世界の強豪達との対決を制して優勝、MVPを受賞。ベンチに引き上げようとした時ついにロベルトが現れ、今度こそブラジルでサッカー教育を受けることが正式に決まった。
大会終了後、中沢早苗をめぐり同級生のボクサーである神田と決闘。神田のパンチを受け続けながらも、オーバーヘッドキックで肩を砕き骨折させた(我に返った後は神田を気遣い、和解した。後にも先にも翼が他人を怪我させたのはこれ一度きり)。
その後は実業団の浜名クラブで練習を重ねていたが、片桐に促される形で全日本フル代表に殴り込みをかけ、監督の奥寺康彦にその心意気を買われ全日本フル代表入りを果たした。ブラジルのグレミオとの親善試合に途中出場し、ハットトリックを達成、引き分けに持ち込む活躍を見せた。そして卒業式に出席することなくロベルトの待つブラジルへと渡って行った。
ブラジル・サンパウロFCの中心選手として活躍していた。ロベルトから2年間教育を受けた他、ラドゥンガにも鍛えられ、当時は「ヘタクソジャポネーゼ」と呼ばれていた。ドライブシュートを進化させた「フライングドライブシュート」を完成、カルロス・サンターナを擁するCRフラメンゴとの激戦を制してブラジルリーグ優勝を果たし、翼の闘志を見て改心したサンターナとは良きライバルとなった。しかしロベルトはブラジルユースの監督に就任するため一時的に決別を宣言。翼もそれを受け入れ、ワールドユース決勝での対決を約束。
全日本ユースに合流するため帰国するが、チームは若島津が一時的に離脱してプロへ転向、若林もケガで合流不可能、日向や岬ら主力選手は一時追放、そして残った選手全員も新監督・賀茂港の猛特訓で満身創痍という最悪の状況であった。それでも翼は選手達を信じて一喝、彼らは立ち上がり、ボロボロの状態でアジア一次予選に参加。強豪・タイユースに大苦戦を強いられ翼も頭を負傷してしまうが、両手を補強した若林、そして新加入の葵新伍が投入されたことで、奇跡的な逆転勝利を果たし二次予選に進出。
二次予選では日向や岬らも戻り、圧倒的攻撃力を得たチームを率いた。サウジアラビア戦で日向の「雷獣シュート」を初めて目の当たりにした時、「ロベルトが最後に見せてくれた幻のシュートと同じである」と見抜く。自分では到底使いこなせなかったこのシュートを日向が独学で覚えていたことを喜んだ。最終的に翼自らが公約した「全勝でのワールドユース進出」を果たす。
全日本ユースの練習に集中しきり、サンパウロからの帰国命令を無視しつづけたことで解雇を言い渡されるが、翼本人は落胆する様子はなくワールドユースに専念する意向を示した。本大会前に、ドリブルで相手全員を抜き、ボールを抱えて自らゴールへと飛び込んでいく「スカイダイブシュート」を開発。
大会前日に、その開発特訓で足場代わりにしていたハードルの角で脇腹を切る大ケガも負ったが、1回戦のメキシコ戦に強行出場。スカイダイブシュートを決めようとしたが失敗した。その後負傷はほぼ完治し、準々決勝のスウェーデン戦で咄嗟に、幻のシュートであり、雷獣シュートと同じ原理の「スカイウイングシュート」を自ら放ちゴールを決めることに成功した。
決勝でロベルト率いるブラジルユースと対決。試合開始早々「スカイダイブシュート」を敢行しようとするがあっけなく破られ、ロベルトから「身勝手な味方を信頼しない一人よがりな技」だと批判を浴びている。翼のいるエリアにボールを回さないブラジルの戦術に大苦戦を強いられたが、決して諦めることはなく、ケガをおした岬の途中出場もあって試合の流れを取り戻し、スカイダイブシュートを「チームメイトに自分の身体を押し込んでもらう」という「味方を信用する技」に昇華させた。日本がリードした終盤、ロベルトの真の切り札ナトゥレーザが交代出場しあっさり同点に追いつかれ、ゴールデンゴール方式の延長戦に突入。ナトゥレーザと一騎討ちを行い、これを制してVゴールを決めワールドユース優勝を果たした。
ワールドユース選手権終了後、早苗と結婚。当時は2人ともまだ19歳で、一般的には早すぎる結婚だと周囲に言われながらも、誰も2人の結婚に反対する者はいなかった。その後、早苗との間に2人の息子をもうける(2人の子供の設定は2010年時点では、短編作品『キャプテン翼2000 MILLENNIUM DREAM』のみ)。妻(早苗)を好きになった経緯は、はっきりと描かれている部分はない。呼び方は団長さん(小学校)→マネージャー(中学校サッカー部)→早苗ちゃん(中3の2学期時の告白後)と変化している。結婚後も「早苗ちゃん」で通している。
ブラジルのエース選手の慣例に従いヨーロッパへの移籍先を探す旅に、妻・早苗と共に出る。最終的に翼が選んだのはFCバルセロナである。このチームには世界に誇るトップ下プレイヤー・リバウールが在籍しており、翼が一騎討ちを挑んだが全く歯が立たなかった。
移籍後しばらく、ファンサール監督の指示の下紅白戦で様々なポジションで動いていたが、ファンサールに「お前はどのポジションがやりたい?」と尋ねられたため「トップ下です」と回答。その後のファンサールの選択は「翼をBチーム(2部チーム)に送る」というものだった。これには日本のメディア、岬や日向をはじめとした仲間達、そして翼本人も大きなショックを隠し切れなかったが、チームドクターのメンデスの説得も受けてBチームで戦うことを決意。
Bチームではキャプテンを務め、ファンサールが年間ノルマとして提示した「10ゴール10アシスト」をわずか3試合で達成。その後トップチームでリバウールの負傷、3試合白星なし、チームが内部分裂しかけるといった状況を危惧したファンサールが翼をトップチームに戻す。
昇格後、R・マドリッド戦を控えた中、未だかつて経験したことのないプレッシャーに苦しめられるも、ファンサールは「どんなことがあっても、お前をトップ下で使う」と宣言。サンパウロ時代の先輩選手であるラドゥンガの訪問もあり、翼はプレッシャーから解放された。R・マドリッド戦では再びナトゥレーザとの対決となり、怪我をおして途中出場したリバウールとも力を合わせて勝利を得た。
ブラジル時代の相方・ペペはしばらく残留するものの、レオと日本行きを決める。試合の数日後、後の【EN LA LIGA】で初登場することになるミカエルと出会う。
リバウールが腰の故障により長期離脱している中、代わりに翼がトップ下の中心選手として活躍した。バリャドリッド戦では11人抜きゴールを達成。
リバウールも復帰し、再びナトゥレーザを擁するR・マドリッドとの対決に挑む。得点王はナトレーザーとサンターナが獲得したものの、リーガMVPに選ばれる。
チームの優勝パレードが行われる。リバウールの提案で妻の所に寄り道する。
翼はオリンピック代表キャプテンとなった。
優勝(金メダル)を目指す戦いがここから始まる。
主人公として全作品に登場。全作品においてチームのキャプテンを務めており、総集編の第3作品を除いた全ての作品で試合を決めるウィニングショットを放っている。
名称は全て作中の実況によるフレーズより。
上記の他にも他選手の技を真似することがあり、葵新伍は「この世に存在するサッカーの技は全て翼さんの物」とまで言い切っている。
ただし、ステファン・レヴィンのレヴィンシュートだけは「サッカーボールは相手を傷つける道具じゃない」としてあえて真似しなかった。
南葛中学 (I) - サンパウロユース (II、III) - サンパウロFC (他、ブラジル選抜・スクデットジャパン) (IV) - レッチェ (V)
【中学生編】でFW(CF)からMF(トップ下、攻撃的MF)にコンバートされたことにより、当時のサッカー少年たちがこぞってMFになってしまうなど、与える影響が大きかった。また、1990年代後半から2000年代中盤までJリーグにおいてMFの選手が多かった[要出典]。作者の高橋はのちに『-蹴球伝-フィールドの狼 FW陣!』を連載し、「今度はこれでフォワードが増えれば」といった主旨のコメントを残している。
作中でFCバルセロナに入団した際、実際にバルセロナで入団セレモニーが行われ、作者の高橋が招待されている。同時にレアル・マドリードのオーナーは「何故、レアルにツバサを入団させなかったのか?」と公式声明を発表している。
2013年5月、公益社団法人日本プロサッカーリーグから、Jリーグアジアアンバサダーに任命される。
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