大分県立竹田高等学校(おおいたけんりつたけたこうとうがっこう、英: Oita Prefectural Taketa High School)は、大分県竹田市竹田にある県立高等学校。通称「竹高」(ちっこう)。
大分県立竹田高等学校 | |
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北緯32度58分4.501秒 東経131度23分53.75秒 / 北緯32.96791694度 東経131.3982639度 東経131度23分53.75秒 / 北緯32.96791694度 東経131.3982639度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大分県 |
併合学校 | 大分県立竹田中学校 大分県立竹田高等女学校 大分県立竹田商工学校 |
校訓 | 自律自尊 進取研鑽 和衷協同 |
設立年月日 | 1897年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D144210000193 |
高校コード | 44138E |
所在地 | 〒878-0013 |
大分県竹田市竹田2642番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
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1897年(明治30年)創立の(旧制)大分県立竹田中学校と、1908年(明治41年)創立の大分県立竹田高等女学校を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革の際、竹田中学校・竹田高等女学校・竹田商工学校の中等教育学校3校が統合され、新制高等学校として大分県立竹田高等学校が発足した。 2007年(平成19年)に創立110周年を迎えた、大分県下3番目の歴史を持つ高校である。
「爽やか挨拶 竹田」~気力・闘志・根性~
校名に入る「竹」をひし形状にしたものを背景にして、中央に「高」の文字(旧字体)を置く。
校名に入る「竹」にちなみ「緑色」
作詞は葛原しげる、作曲は小松耕輔による。歌詞は3番まであり、1番と3番に校名の略称「竹高」が登場する。なお3番の歌詞の「楽聖」「画聖」はそれぞれ竹田に縁のある瀧廉太郎・田能村竹田を指している。また、かつては広瀬武夫を表す「軍神」が歌詞に用いられたことがあったが、太平洋戦争(大東亜戦争)後に変更された。
授業時間とは別に、毎日の朝学習、年間20回程度の土曜講座(午前中4時間)が行われている。7限授業の後に、多くの生徒が部活動を行っている。人権教育にも力を入れており、毎年開かれる1・31人権集会では様々な人権問題について2年生を中心とした調査研究の成果が発表される。
男子の冬服は一般的な学生服(学ラン)である。夏服は黒の長ズボンに校章の入ったカッターシャツを着用する。女子の冬服はボレロである。夏服は四角い襟の上着にスカートがグレーのセーラー服である。合服期間にはカッターシャツと、冬服のボレロの中に着ているジャンパースカートのみを着用する。
強歩大会は大分県内でもっとも長い距離を走る。体育の授業の一環で行うため特別な事情がある場合を除いては全員参加である。1年・2年男女はそれぞれ40 kmと20 km, 3年は男女それぞれ20 kmと15 kmである。沿道にはPTAなどによる炊き出しなどもあり、当校の一大行事となっている。
当校の年間最大の行事であり、文化の部(文化祭)と体育の部(体育祭)とからなっている。学校の近くにある岡城の別名が臥牛城であったことからこの名前がついた。文化の部では、各クラスごとに展示、校門の飾りつけ、ステージ発表といった役割分担がなされクラスごとの個性を出す。体育の部は、一般的な体育祭と同様にさまざまな競技が行われる。
山岳部は男女ともに全国大会の常連であり、2008年(平成20年)は男女ともに全国7位となった。2008年(平成20年)に行われたチャレンジ!おおいた国体の山岳競技会場となったこともあり校内にクライミング施設を持ち、リード競技、ボルダリング競技にも力を入れている。2011年(平成23年)には第2回全国高校生クライミング選手権にて優勝した。
器楽部は、2009年(平成20年)度高文連ブラスカーニバル(冬のコンクール)を予選1位で大分県代表に選出され、第33回全国高等学校総合文化祭(三重県開催)吹奏楽部門や、2011年(平成22年)度大分県予選2位で九州高文連吹奏楽大会(福岡県開催)に出場した。また2010年(平成21年)度、2012年(平成23年)度の高文連ブラスカーニバルには各前年度の県代表としてゲスト演奏をしている。
2009年(平成21年)8月22日、午前9時頃から行われた練習中、剣道部所属の男子部員生徒(当時17歳)が顧問の指導に「無理です」と応えた後、意識混濁を起こし壁に向かって走って激突、ふらつきながら竹刀を持たずに構えるなど不規則な行動をとった事に対し熱中症発症の症状を知悉していた顧問は、この不規則行動を熱中症を真似た演技と断定し男子部員の腹部を足で蹴り上げ、倒れた部員生徒の上に跨って襟を掴んで持ち上げ平手で顔を殴打する暴行を加えた。補給水も嚥下できず流涎したまま白目を剥いて横臥した被害部員は昏倒後暫く放置された後、学校側は午後0時19分頃救急車を要請した。0時24分頃に救急車が到着し、救急車で病院に搬送されたが、被害部員は搬送先病院にて錯乱と痙攣を起こし、午後6時50分頃、病院において熱射病による多臓器不全で死亡した。死亡生徒の両親は学校や病院が適切な対応を怠った結果死亡に繋がったとして提訴。大分地方裁判所は、学校や病院の過失を認め、大分県などに合わせて4,600万円余りの賠償を命じた。
2015年(平成27年)7月28日、福岡高等裁判所(岡部喜代子裁判長)は遺族両親の上告を棄却。国家賠償法に基づき、元顧問個人の賠償責任は負わないとして結審。
2016年(平成28年)12月22日、遺族が県に対し、賠償金の一部を元顧問らに請求するよう求めた裁判があり、大分地方裁判所(竹内浩史裁判長)は、熱中症を認識できたのに適切な措置を取らず、昏倒した被害生徒の顔を殴打するなど状態を悪化させる不適切な行為には重過失が認められるが、県が元顧問への求償権を行使しないのは違法と判断した。
2017年(平成29年)1月5日、県は、両親への賠償金のうち100万円を当時の顧問の男性教諭に請求するよう同県に命じた大分地裁判決(前年12月22日)を不服として福岡高裁に控訴。県教育長は「元顧問は救命措置を行っており、判決は教職員の部活動への携わり方にも大きな影響あるので上級審の判断を仰ぎたいと思います」と述べた。同年10月2日、福岡高等裁判所(佐藤明裁判長)は、一審に続き、元男性顧問に100万円を請求するよう命じ県側の控訴を棄却した。
2019年(令和元年)8月20日、死亡男子生徒の両親が元顧問を含む2名の行為(事故当時)が保護責任者遺棄致死罪にあたるとして大分地方裁判所に告訴状を提出。
事件後、在籍生徒が健康で安全に過ごすことを誓い、当該事件で死亡生徒を追悼する集会が催される。
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