南長崎6丁目警察官殺害事件(みなみながさきろくちょうめけいさつかんさつがいじけん)は、1984年(昭和59年)7月10日に東京都豊島区南長崎六丁目で発生した殺人・公務執行妨害事件。
南長崎6丁目警察官殺害事件 | |
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場所 | 日本・東京都豊島区南長崎6丁目35番 |
日付 | 1984年(昭和59年)7月10日 |
概要 | 窃盗犯人を追跡していた警察官が犯人との格闘の末、被疑者の所持していた包丁で刺殺された事件 |
原因 | 警察官に羽交い締めにされた容疑者が逃走するため |
攻撃手段 | 包丁で刺突する |
武器 | 刃渡り約一五センチメートルの包丁 |
死亡者 | 警視庁目白警察署勤務の巡査(死後に二階級特進で警部補に特進、当時28歳) |
被害者 | 1人 |
犯人 | とび職の男(当時43歳) |
容疑 | 殺人罪・銃刀法違反・公務執行妨害罪 |
刑事訴訟 | 裁判で無期懲役が確定 |
管轄 | 警視庁捜査一課 および 目白警察署 |
警視庁が2014年に行った「みんなで選ぶ警視庁140年の重大事件」では54位に選出された 。目白署警察官殺害事件とも呼ばれる。
1984年(昭和59年)7月10日午前0時過ぎ、東京都豊島区南長崎六丁目の歯科医院に空き巣が入り、住人の男性がこの男を見つけ、「泥棒!」と叫ぶと男は逃げた。 男性の通報を受け、目白警察署はパトカーを1台出動させ、空き巣の捜索に当たった。 パトカーの乗務員のM巡査(当時28歳 警視庁目白警察署警ら課(現在の地域課)4係所属)は手配された犯人の人相に極似した男を見つけると、パトカーを降りて「泥棒!この野郎!」と叫び、犯人の男を走って追いかけた末、格闘となりその際に男に持っていた包丁で胸や腹等を刺された。M巡査は刺された後も男に組ついて逮捕しようとしたが、結局逃げられてしまった。M巡査は瀕死の状態ながらも、同僚らに助けを求めるためにパトカーに向かっていた。現場にはそれを現すように制帽からM巡査の遺体までの18メートルの間に微量の血痕が残っていた。 騒ぎを聞きつけた近隣住民によって事件が発覚し、M巡査を病院に収容したが、M巡査は刺された傷から内臓が飛び出しているなどの状態で40分後の午前0時40分に搬送先の日大板橋病院で死亡が確認された。
M警部補(殉職に伴いニ階級特進。以下警部補と記述する)は登山が趣味の心優しい性格の警察官で同僚からの信頼も厚く、住民からは柔道で鍛えたがっしりとした体格から親しみを込めて「金太郎さん」と呼ばれていたという。
刑事志望で同僚らに「刑事になりたい」とよく話していた。
司法解剖の為、M警部補の遺体が東大病院に搬送される際には70人の目白署員が見送ったという。
また、M警部補は事件のあった1984年だけで目白署長からの表彰を97回受けていた。目白署長は事件後の記者会見で、
「断腸の思いです。私としてはよくやってくれたとしかいいようがありません。この上は一日も早く犯人を逮捕してM君の霊に報いたい。」
と語った。
犯人のK(とび職 当時43歳)は窃盗などの前科が6回あり、M警部補の元同僚で丸の内警察署の巡査長などから「南長崎の警官殺しの犯人はKかもしれない」という問合せが相次いだ。その中には「逮捕する際に抵抗する癖あり」という記述もあったという。 Kは1ヶ月後に潜伏先の滋賀県長浜市内の建設現場で逮捕された。M警部補の命を奪った凶器の包丁は事件の3日前に板橋区のごみ捨て場で拾ったものであった。 その後無期懲役の判決を受けている。
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