フランス6人組

フランス6人組(フランスろくにんぐみ 仏:Les Six)は、20世紀前半フランスで活躍した作曲家の集団。単に「6人組」とも呼ばれる。全員で活動したのはたったの1回であった。

フランス6人組
ジャック=エミール・ブランシュ『6人組の面々』(1921年)。中央はピアニストのマルセル・メイエ。左側、下からタイユフェール、ミヨー、オネゲル、ピアニストのジャン・ヴィエネル英語版。右側、左上がプーランク、隣がジャン・コクトー、下がオーリック。デュレはこの頃すでに6人組から離れていたため描かれていない。

ロマン派音楽印象主義音楽とは一線を画し、新古典主義音楽に含まれる傾向を示す。

彼等は一つのグループであっても「同じ音楽的傾向は持ち合わせていない」と語っていたものの、今日の音楽学者や批評家は彼らの音楽を「家族的作風」というひとつの傾向にまとめている。また、常に新しい音楽を提案していたグループとしても知られ、全音階(ドレミファソラシド)に最後の可能性を求めた音楽家集団でもあった。

フランス6人組の作曲家

結成の経緯

オネゲル、ミヨー、タイユフェールの3人はパリ音楽院の同期生であり、デュレ、オネゲル、オーリックはエリック・サティらと「新しい若者のためのグループ(ヌヴォー・ジュンヌ)」を結成していた。1917年頃にはサティの『パラード』に感銘を受けたプーランクが合流する。

プーランクによれば、当時ヴィユ・コロンビエ劇場の運営を任されていた声楽家のジャーヌ・バトリが企画した、上記6人の作曲家のコンサートが「6人組」成立の発端となった。また、彼らはモンパルナスの画家たちのアトリエにおいて、パブロ・ピカソジョルジュ・ブラックアメデオ・モディリアーニらと共同で、音楽と美術のコラボレーション「竪琴とパレット」を企画するなどの活動を行った。

彼らとつながりが深かった詩人ジャン・コクトーは、『雄鶏とアルルカン』(1918年3月)、『パリ・ミディ』紙(1919年)において印象派にかわる新しいフランス音楽の必要性を説き、コクトーの影響を受けた批評家のアンリ・コレは彼らを「6人組」と名づけ、1920年1月16日付の『コメディア』誌に「ロシア5人組、フランス6人組、そしてエリック・サティ」を掲載し、この名称を世に広めた。

メンバーとしての創作活動は少なく、共同制作によるピアノ小品集『6人組のアルバム』(1920年)、デュレを除く5人の合作による『エッフェル塔の花嫁花婿』(1921年バレエ・スエドワの委嘱による)などがあるのみである。

出典

関連項目

外部リンク/参考文献

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