サモーラ(Zamora)は、スペイン・カスティーリャ・イ・レオン州サモーラ県のムニシピオ(基礎自治体)。サモーラ県の県都である。2015年の人口は63,831人。
自治体内を流れるドゥエロ川 | |
州 | カスティーリャ・イ・レオン州 |
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県 | サモーラ県 |
面積 | 149.28 km² |
標高 | 652m |
人口 | 63,831 人 (2015年) |
人口密度 | 427.59 人/km² |
住民呼称 | zamorano/-a |
北緯41度29分56秒 西経5度45分20秒 / 北緯41.49889度 西経5.75556度 西経5度45分20秒 / 北緯41.49889度 西経5.75556度 |
サモーラの名前は西ゴートの「セムラ」、またはアラブ人が名付けた「アゼムール」「セムラー」から来ている。この都市を建てたのはローマ人で、ヴィリアトゥスがローマの侵略と戦っていたころである。ローマ人は「オケラム・ドゥリリ」または「オケロドゥリム」(「ドゥエロの目」の意)と呼んだ。ローマ人が征服したときはヴァケオス人が支配していたが、属州ヒスパニア・タラコネンシスに編入された。サモーラはエメリタ(現在のメリダ)からカエサラウグスタ(現在のサラゴサ)に向かう道路に沿っていた(Ant. Itin. pp. 434, 439)。
中世には8世紀から11世紀までアラブ人に、次いでキリスト教徒に支配されたが、その間に都市は要塞化された。
この都市で起きた歴史上重要なエピソードは、フェルナンド1世の死後のできごとである。王子サンチョ2世が王国を統一しようと兄弟と戦い、妹ウラカが所有していたサモーラを攻囲した。この攻囲の間にサンチョは暗殺され、アルフォンソ6世がカスティーリャ王となった。
12世紀には、イベリア半島を巡って戦うキリスト教徒とアラブ人の間で、サモラは戦略上重要な位置にあった。その結果、この都市には当時に由来する教会や建築物が数多く残されている。その後は政治的、経済的な重要性を失って人口が減り、特に南米に移民が流出した。そのため南米には「サモーラ」という名前の都市が多い。
この記事はパブリックドメインのウィリアム・スミス『ギリシア・ローマ地理辞典 』(1857)からのテキストを含む。
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