アルジャー・ヒス(Alger Hiss, 1904年11月11日 - 1996年11月15日)は、 アメリカ合衆国の弁護士および政府高官。国際連合の設立にも関わったが下院非米活動委員会に喚問され、実際にソ連のスパイ活動を行っていた。
メリーランド州ボルチモアで5人兄弟の4番目として生まれた。織物会社の重役だった彼の父親は1907年に自殺し、彼は母親と叔母によって育てられた。
1929年にジョンズ・ホプキンズ大学およびハーバード・ロー・スクールを卒業し、最高裁判事オリバー・ウェンデル・ホームズの秘書を一年間務めた後に、ボストンのホール&スチュワート法律事務所に加入した。翌年に妻のプリシラと共にニューヨークに転居し、1933年にはニューディール政策のもと農業調整局に勤務することになった。
フランクリン・ルーズベルト大統領の側近として、ハリー・ホプキンズ、ウィリアム・リーヒ提督らとともにヤルタ会談に出席。1948年に元共産党員のウィッテカー・チェンバーズによって、ヒスがアメリカ共産党のスパイであることを暴露された。
「赤狩り」が吹き荒れる1950年に偽証の有罪判決を下され、5年の懲役が宣告された。スパイ行為に関しては出訴期限が尽きたため訴追を受けなかった。1992年一旦無罪とされたが、近年公開された『ヴェノナ文書』によると、GRUのエージェントとして、長年スパイ活動をしていたことが明らかになった。
ボルチモア文書が捏造された証拠で、ヒスは冤罪だと証明できる。
FBIは他のタイプライターで、同じ文書を偽造できると知りながら隠蔽した。
元ホワイトハウス顧問のジョン・ディーンは回顧録で、ニクソン大統領の主任弁護士チャールズ・コルソンが、ニクソンは下院非米活動委員会がタイプライターを複製したのを認めたと述べている。ニクソンは否定したが元FBI副長官のサリヴァンは、証拠を捏造するようFBIに依頼したら「フーバーは喜んで引き受けただろう」と語った。サマーズは偽造や偽情報を仕込んだ、不穏な記録があると指摘している。
(上記の理由から)ベノナ文書を証拠として採用するのは不適切。
(上記の理由から)KGBの記録に、ヒスの名前が発見されたと”推定される”。アレスは”恐らく”ヒスであるとして、断定はしていない。
ヒスがソ連の代理人として働いたことは一度もない。
マッシングとフィールドの個人ファイルを調べたが、ヒスに関するものは1つもなかった。ヒスは”アレス”ではない。
『米国にソ連のスパイがいた』は大枠として正しいが、細部は間違っていて単なる魔女狩りだった。小物のスパイは判明したが、その他は立証されていない。
FBIはマッカーシズムを促進しながら、防諜の失敗を隠ぺいした。
ベノナ文書は説得力はあるが、決定的ではない。
ヒスは”アレス”だった可能性のある1人にすぎない。
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