飯尾 和樹(いいお かずき、1968年〈昭和43年〉12月22日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優。お笑いコンビ・ずんのボケ担当。相方はやす。東京都世田谷区出身。浅井企画所属。身長172 cm、血液型O型。既婚。
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2019年7月 | |
生年月日 | 1968年12月22日(55歳) |
出身地 | 東京都世田谷区 |
血液型 | O型 |
身長 | 172 cm |
言語 | 日本語 |
方言 | 標準語、首都圏方言 |
最終学歴 | 東京学園高等学校 |
コンビ名 | La.おかき(1992年 - 1997年) ずん(2000年 - ) |
相方 | 村山ひとし(La.おかき) やす(ずん) |
芸風 | ボケ、一発ギャグ、コント |
立ち位置 | 左 |
事務所 | 浅井企画 |
活動時期 | 1991年 - |
同期 | 天野ひろゆき(キャイ〜ン) ナインティナイン |
現在の代表番組 | マツコ&有吉 かりそめ天国 さんまのお笑い向上委員会 飯尾和樹のずん喫茶 |
過去の代表番組 | 笑っていいとも! 内村プロデュース これって私だけ? |
他の活動 | 俳優 |
配偶者 | 一般女性(2012年 - ) |
受賞歴 | |
2014年 ダイナマイト関西2014 優勝 2023年 第65回ブルーリボン賞助演男優賞 |
子供の頃は両親が公務員(目黒区役所勤務)という共働き家庭で育ち、よくバラエティ番組やドラマを視聴していたテレビっ子であった。特に『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』(NETテレビ→テレビ朝日)などで伊東四朗と小松政夫が演じたシュールなギャグに大笑いし、子供ながらに衝撃を受けた。両親がファンだった渥美清や、彼の代表作である映画『男はつらいよ』にも影響を受けた。
小学校時代は少年野球チームに所属し、将来「早稲田大学を出てヤクルトスワローズに入りたい」と思っていたほどプロ野球選手を夢見ていた。しかし中学校時代に野球の才がないことを悟り、東京学園高等学校ではバレーボール部に所属していた。
大学受験に失敗。そのまま高校卒業後は大学には進学せず、お笑いの道を目指した。卒業直後は、3カ月ほど劇団に所属していたこともあった。
1990年、浅井企画に所属。1991年にお笑いコンビ「チャマーず」を結成しデビューを果たすも、翌年解散。1992年、村山ひとし(現放送作家・演出家)と「La.おかき」(ラ・おかき)を結成しツッコミを担当した。
1997年のLa.おかき解散後からしばらくは1人で活動していたが、『ヘーシンク』というコンビを組んでいた1年後輩のやすと2000年に『ずん』を結成し、ボケ担当に転向した。
ずんを結成した初期から『笑っていいとも!』(フジテレビ)や『いきなり!黄金伝説。』、『内村プロデュース』(共にテレビ朝日)などにピン芸人として出演していた。『笑っていいとも!』は、舞台『カンコンキンシアター』で関根勤と絡んでいる飯尾を観たプロデューサーの荒井昭博が、関根からの推薦もあって飯尾を抜擢したものだが、初出演日の直後からフジテレビに「あいつは誰だ!?」という質問の電話が殺到したことをタモリが暴露している。
La.おかき時代や『笑っていいとも!』出演時など、幾度か飛躍するチャンスがあったが、本格的なブレイクには至らなかった。飯尾は、20代の自分は「床ずれするくらい寝ていた」、ずん結成初期の30代は「お笑いの技術がある程度身につき、得意なネタもあるため中途半端に食えており、危機感がなかった」と振り返っている。
飯尾が37歳(2005年)の年の瀬に、同期のキャイ〜ンとずんの現状を比較して焦りを感じ、やすとともに「スベってもいいから何でも答えていこう」「(ネタを出し切ったら)番組MCや編集スタッフに甘えて任せよう」と決心した。以降、『ウンナン極限ネタバトル! ザ・イロモネア 笑わせたら100万円』(TBSテレビ)、『とんねるずのみなさんのおかげでした』、『IPPONグランプリ』(共にフジテレビ)などで存在感を示し、ブレイクへの足固めをしていった。
飯尾が40歳(2009年頃)になって一時家賃を払えないほど困窮するも、この頃から仕事が増え始めていった。飯尾は「若手時代に一緒に仕事をしたADが番組を仕切れる立場になり、自分をブッキングしてくれた」「キャイ〜ンやナインティナイン、ネプチューンなどの同期がそれぞれの番組に呼んでくれた」とも語っている。
2012年12月6日放送の『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)にて、飯尾へのドッキリ企画として元彼女が登場し、飯尾のプロポーズにより結婚した(詳細は後述)。
2015年頃には主役級ではないものの様々な番組に飯尾が出演しているという「サイレントブレイク」を果たした。その独特の個性が受け入れられ、2024年現在はバラエティ番組のみならずテレビドラマ、CMなど活動の幅を拡げ、引っ張りだこになる活躍をしている。
2019年12月23日、自身初のエッセイ集となる『どのみちぺっこり』を発売。それを記念して2019年12月20日~2020年1月6日まで東京・GALLERY Xにて自身の展示イベント「ずん飯尾のどのみちぺっこり展」が開催された。
2023年2月23日、前年に公開された映画『沈黙のパレード』での娘を亡くした父親役の演技が高く評価され、第65回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞した 。
スタジオ収録での雛壇トークや、国内・海外ロケにおけるとぼけた一言、後述する一発ギャグなど、何でも笑いに変えてじわじわと込み上げるおかしさを誘う、独自の世界観を築き上げている。共演者などをいじることはあるが、他人を傷つけるネタはしないことも特徴である。ただし、さまぁ〜ずからは「飯尾のギャグは何げに毒が入っている」とも評されている。
舞台『カンコンキンシアター』では、飯尾が「自称No.1ホスト」に扮し、天野ひろゆき(キャイ~ン)が演じる銀座の高級クラブのママから徹底的に無茶振りされるコントが恒例となっている。このため、無茶振りへの対応に長けている。一例として、2018年8月9日放送の『ロンドンハーツ』(テレビ朝日)では、猛暑の中、飯尾が「いくつ一発ギャグを繰り出すことができるか」という無茶振りを仕掛けられた。結果、1時間15分かけて60個のギャグを披露し、有吉弘行や山崎弘也(アンタッチャブル)から称賛された。関根勤は、天野や小堺一機からの無茶振りによって飯尾のお笑いの腕が鍛えられ、ブレイクにつながったと考察している。
2017年には100本以上のロケをこなしたことで「ロケ芸人」を自称し、テレビ関係者からも「スタッフが安心してロケが出来る芸人」のひとりとして飯尾の名が挙げられている。
大喜利の腕に定評があり、『IPPONグランプリ』のスピンオフ企画『IPPONオープン』ではNo.1回答者に選ばれ、グランプリ本大会の第7回以降に出場している。また、大喜利のイベントである『ダイナマイト関西』では、2014年の決勝トーナメントに進出し、決勝戦で若林正恭(オードリー)を破り優勝を飾った。
ギャグが受けなかったりNGを出したりすることを「生きている証」と表現する。プロフィール節で述べた、飯尾が37歳当時の「スベってもいいから何でも答えよう」という決心が「生きている証」の境地に至ったきっかけとしている。共演した他の芸人が失敗した際のフォローとしてこの言葉を使うこともあり、明石家さんまは「芸人サイドにとってはすごい優しい言葉」と絶賛している。
俳優としても活動する。テレビドラマ『アンナチュラル』(TBSテレビ)では、上司からパワハラを受ける臨床検査技師・坂本誠役を好演した。2022年公開の映画『沈黙のパレード』では、娘を殺された定食屋の店主・並木祐太郎役を演じ、笑いを封印したシリアスな演技を披露、第65回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞した。
動きを伴ったギャグを得意としている。
漫談ネタに「現実逃避シリーズ」がある。寝転がり「平日の昼間から〜ゴロゴロ〜ゴロゴロ〜」とつぶやいたあと、現実離れしたことを言う(例:「何でも10円で買えたらな〜」「幕末に生まれてたらな〜」)。
飯尾が30代半ばに実際に考えていたことが元ネタで、やすが考案したネタも交えて出来上がった。2010年1月3日放送の『ウンナン極限ネタバトル! ザ・イロモネア 笑わせたら100万円』にて関根勤軍団としてこのネタを披露し、これが決め手となってLastステージをクリア、100万円を獲得したことで注目された。
同様のネタに「女編集長シリーズ」がある。前述のギャグを応用し「一歩、二歩、三歩目から眼鏡の位置が雑誌の女編集長」と言いながら、眼鏡を額の上にずらして部下に一言問いかける(例:「ねえ、『小田原は蒲鉾だけじゃない』特集どうなった?」「トムヤムクン対ぶどうパン、ねえ何の戦い?」)。
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
2023年
コンビでの出演作はずんを参照。
ほか
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