朝乃山 広暉(あさのやま ひろき、1994年(平成6年)3月1日 - )は、富山県富山市出身で、高砂部屋所属の現役大相撲力士。本名は石橋 広暉(いしばし ひろき)。身長187cm、体重170kg。血液型はA型。得意技は右四つ、寄り、上手投げ。最高位は東大関(2020年9月場所、2021年5月場所)。好物はブリの塩焼きと寿司。好きな音楽は洋楽、好きな漫画は『ザ・ファブル』。
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基礎情報 | ||||
四股名 | 石橋→朝乃山 | |||
本名 | 石橋 広暉 | |||
愛称 | イシバシ、バッシー、富山の人間山脈 | |||
生年月日 | 1994年3月1日(30歳) | |||
出身 | 富山県富山市 | |||
身長 | 187cm | |||
体重 | 170kg | |||
BMI | 49.76 | |||
所属部屋 | 高砂部屋 | |||
得意技 | 右四つ、寄り | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 西前頭筆頭 | |||
最高位 | 東大関 | |||
生涯戦歴 | 351勝179敗102休(48場所) | |||
幕内戦歴 | 241勝151敗73休(31場所) | |||
優勝 | 幕内最高優勝1回 十両優勝1回 幕下優勝1回 三段目優勝1回 | |||
賞 | 殊勲賞2回 敢闘賞3回 技能賞1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 2016年3月場所 | |||
入幕 | 2017年9月場所 | |||
趣味 | 格闘技観戦 | |||
備考 | ||||
金星1個(鶴竜1個) 史上3人目の幕内経験者かつ史上2人目の大関かつ幕内最高優勝経験者の幕下以下からの幕内復帰 | ||||
2024年3月24日現在 |
富山県富山市呉羽町にて出生。出生時の体重は3678g。性格は明るく、幼少期は保育園に行くのが何よりの楽しみだった。小学1年生の時に始めた水泳は長続きしなかったが、富山市立呉羽小学校4年生からハンドボールと並行して相撲を始めた。相撲を始めたきっかけは小学4年生の頃に出身小学校の女性教員に相撲の大会に誘われたことであり、数日後に地元で行われた地区大会に出場したことで石橋の相撲人生が始まった。ハンドボールは小学4年生の頃から3年間行っており、富山県の強化選手に選ばれるほどの実績を残している。ハンドボールで実績を残していた石橋が相撲を始めると聞いた時、両親は遊び半分だと思っていた。母校の呉羽小学校のグラウンドの一角にある土俵の名前は「太刀山道場」であり、もし太刀山ゆかりの土俵がなかったら「(相撲を)やってなかったかな。相撲部もなかったんじゃないですか。横綱がいたからこそ、土俵ができたと思う」という。しかし、富山市立呉羽中学校進学後はハンドボール部の厳しい練習に耐えられずに退部し、相撲部へ入部した。相撲部の練習はハンドボール部の練習より厳しいものであったが、退部を切り出す機会が無いまま稽古に励んだ結果、中学3年次には全国都道府県中学生相撲選手権大会に出場している。この大会で左肘を負傷したことで相撲を辞めることも検討したが、富山県立富山商業高等学校相撲部監督の浦山英樹に「富商に来い。俺が強くしてやる」と声をかけられて同高校に進学した。高校入学時は身長183cm、体重100kgの石橋であったが、浦山は相撲部員としてひょろひょろであった石橋を陰で「かかし」と呼んでいた。高校2年生の時に額に剃り込みを入れて眉を整えたところ、ぶつかり稽古で胸を出した浦山にボコボコにされて砂まみれになり「おまえは相撲に気合入れんと、どこに気合入れとんじゃ」と激しく叱責された。高校時代は浦山の住んでいる寒江地区で毎年恒例の元日マラソンがあり、近道をすると浦山は必ず見つけて「ちゃんと走れ!」と叱ったが、ゴールすると浦山の家で部員達が特製の雑煮を食べるのがお決まりであった。高校3年生では選抜高校相撲十和田大会準優勝の実績を残した。
高校時代からプロ入りを意識しつつ近畿大学経営学部経営学科に進学すると団体戦でも活躍した。大学1年生の3月には高砂部屋が春場所の前に行う恒例行事である近大との合同稽古で当時幕下であった朝弁慶と稽古を行い、この時を石橋は「あれだけ重い人が思い切りぶつかってくるなんて、それまで経験したことありませんでした。まさしく戦車です。受け止められなくて吹っ飛ばされましたよ」と入幕後に述懐している。そのため、石橋は大相撲など自分とは無縁だと痛感し、角界に飛び込む気持ちなど全くなかった。2年生の時には玉木が早くから15代若松に誘われていたが、石橋には声が掛からなかった。 それでも、国体でも富山県代表選手に選抜され、2015年の国体で富山県の団体優勝に貢献した。大学時代に個人タイトルは最終的に7つ獲得したが、主要な大会のタイトルは無かった。しかし、4年生で国体成年の部4位、全日本相撲選手権大会ベスト4の実績を残したことで、2015年5月に創設されたばかりの三段目付出資格を取得した。全日本選手権をもって大学生としての全ての試合が終了した後は、大学2年次に受けた近畿大学OBの15代若松の勧誘が決め手となり、12月24日に高砂部屋への入門を発表した。入門に当たり、1年後の春には関取になって富山に帰りたいと抱負を語った。15代若松に勧誘された経緯について石橋は「最初は、若松親方が玉木を誘っているのを横で、直立不動で聞いているだけだったんですけど、気が付いたら自分も誘われていたっていう感じです」と話している。本来は勧誘を受けてもなお入門するつもりは無く、卒業後は富山に帰郷するつもりであったが、恩師の浦山から「お前には富山に就職先はない。高砂部屋に入れ」と言われており、石橋は後に「若松親方と浦山監督とで話を進めていたようです。監督にしてみれば、教え子が関取になっていないので寂しかったんじゃないかなと思います」と分析している。高砂部屋は師匠の7代高砂も近畿大学卒業生であり、同級生でチームメイトだった玉木も1場所早く初土俵を踏んでいる。その玉木は入門当初「朝玉木」を名乗ったが、石橋が入門すると本名で揃えたいという理由で四股名から「朝」の字を外している。石橋の三段目付出入門は2016年1月28日に日本相撲協会の理事会で承認され、同制度の初適用第1号となった。
2016年3月場所で初土俵を踏むと、1番目から共に三段目付出となった同期入門の小柳と取組が組まれ、黒星発進となった。最後の7番目の相撲でも水戸司に逆転負けを喫して最終的に5勝2敗の成績だった。続く5月場所で初めて番付表に四股名が載ると6連勝の好発進となったものの、三段目優勝がかかった最後の7番目で前場所の序二段優勝者だった琴太豪に寄り切りで敗れて6勝1敗に終わった。翌7月場所も無傷の4連勝で幕下入りを有力な状況とし、5番目も幕下力士に勝利したが、6番目でこの場所を幕下優勝する竜勢に敗れた。最終的に6勝1敗の好成績により、9月場所で幕下へ昇進した。この場所も6勝1敗の好成績だったため、翌11月場所では関取昇進の可能性がある幕下15枚目以内の番付に昇格した。この場所は全勝すれば関取昇進というチャンスの場所であったが、同時に高砂部屋創設以来138年間必ず番付にいた関取がゼロになるピンチでもあった。結果、石橋は5勝2敗で関取昇進を逃し、朝赤龍が幕下陥落を余儀なくされたため、ピンチを回避することは叶わなかった。石橋は千秋楽の打ち上げの席で朝赤龍が高砂に泣いて詫びたことに関して「自分は直接、その場面を見ていなかったんですが、後から知らされました。(朝赤龍は)部屋の伝統をいちばん重く受け止めていたに違いありませんし、自分が勇み足なんかしないで勝てていればと、悔しくて、不甲斐なかったですね」と語っている。
2017年は西幕下7枚目と初めて幕下一桁台の地位となって始まったが、その1月場所では7戦全勝の幕下優勝を果たし、同時に新十両昇進も確実とした。この場所は1878年の高砂部屋創設以来、初めて部屋所属の関取が不在となった場所であったが、これにより、関取不在は1場所で解消されることになった。また、富山県出身の関取は1997年5月場所限りで引退した琴ヶ梅以来途絶えていたが、こちらも20年ぶりに復活することとなった。そして、場所後の1月25日に開かれた番付編成会議にて、石橋の3月場所での新十両昇進が正式決定すると、同場所からそれまで本名のままだった四股名を「朝乃山 英樹」へと改名することを発表した。部屋伝統の「朝」の字に、故郷の富山や恩師浦山、同郷の大先輩である第22代横綱・太刀山に肖った「山」の字を四股名に含めた。下の名は、石橋が幕下優勝を決めた一番をテレビで見届けた翌日、膵臓がんで逝去した恩師浦山の名前をそのままつけており、四股名の考案は葬儀の日に高校の先輩と行った。所要6場所での新十両昇進に「大阪で初土俵を踏んだのが1年前。第2の故郷の大阪に、関取で帰ってくる目標を達成できて良かった」と安堵(あんど)の笑みを浮かべ、新十両の土俵では「幕下までは1場所7番。これからは15番取れるのが楽しみ。右四つ、左上手の自分の相撲を思い切り取りたい」と抱負を語った。師匠の7代高砂も「伸びしろは、まだある。しこ名を有名にするも、しないも、本人次第。いろいろと吸収して自分の力、血に替えることが大事」と期待した。。なお、朝乃山の昇進で2017年3月場所の関取70人の内平成生まれが36人を数え、史上初めて番付上平成生まれの関取が昭和生まれの関取を上回った。
新十両となった3月場所では、途中で連敗もあったが最終的に10勝5敗の好成績を挙げて優勝決定巴戦にも進出したが、豊響に敗れて優勝とはならなかった。5月場所は8勝7敗で勝ち越し、西十両5枚目で迎えた7月場所は、初日に前場所で小柳から改名した豊山を破ってから8連勝で中日勝ち越しとなり、十両の優勝争いで単独トップに立った。9日目に魁聖に敗れて初黒星となり、初日に自身に敗れた後8連勝とした豊山と並ぶ形となった。10日目・12日目も黒星がついたが、優勝争いで並んでいた豊山も揃って負けたため、優勝争いの先頭には残り続けたが、12日目に3敗となった時点で大奄美も優勝争いの先頭に並んだ。13日目に豊山が大奄美に敗れて4敗に後退し、14日目に大奄美が敗れて4敗となると再び優勝争いの単独トップとなったが、千秋楽の本割で大奄美に敗れて4敗となったことで、優勝争いの決着は再び優勝決定戦に、それも豊山を交えた自身2度目の巴戦になったが、大奄美に敗れて2度目の決定戦も敗退となった。8月2日に行われた夏巡業富山場所では長い時間土俵で胸を出し、錦木などと稽古を行った。懸賞が3本懸っていた千代丸との取組は寄り切りで勝利。翌9月場所は新入幕で東前頭16枚目となった。
新入幕の9月場所は、7日目まで白星と黒星が交互に並ぶ星取りもあったが、上位力士の不調もあり13日目終了時点で3敗で単独首位の豪栄道を1差の4敗で追うという展開で、新入幕ながら優勝争いにも関与した。14日目に自身が敗れて豪栄道が勝ったため優勝争いからは脱落したが、10勝5敗の好成績で敢闘賞を獲得した。もしこの場所で優勝すれば、1914年の両國勇治郎以来103年ぶりとなる新入幕での幕内最高優勝となったため、そのことから報道上でも話題になった。敢闘賞を手にした朝乃山は千秋楽の支度部屋で「上位とも当たり、いい経験になった。新入幕で勝ち越しで終われるとは思っていなかったので、自分が一番驚いている。幕内で二桁勝利は自信になります」と話していた。10月15日の秋巡業京都場所ではぶつかり稽古で白鵬に胸を出してもらった。すぐにスタミナ切れした朝乃山だったが「自分に近い。柔らかさ、重さ、力強さがある」と白鵬は素質を認めた。17日の岐阜場所では稀勢の里と三番稽古を9番行い3勝6敗。稀勢の里も「当たりが強い。伸びしろもまだまだある」と評価した。11月場所は番付運にやや恵まれず、4枚半上昇の西前頭11枚目で迎えた。この場所は2度の4連敗を喫するなど先場所から一転不調に陥り、5勝10敗と二桁の負け越しとなった。
11月場所は幕内残留も危ぶまれる星であったが、2018年1月場所は西前頭16枚目に留まり、9勝6敗で勝ち越した。この場所は初日から6連勝を挙げているが、本人は「幕尻なのでうれしくない」と場所後の雑誌のインタビューで答えている。5月場所は10日目の安美錦戦で肩透かしにより敗れ、その際に左足首を負傷した影響で終盤戦は1勝4敗と失速、この場所は7勝8敗と勝ち越しを逃した。周囲からは「なんであと1番、欲を出していかなかったんだ」と苦言を呈され、師匠からも不甲斐ない相撲を一喝された。西前頭13枚目で迎えた7月場所は序盤から好調で、9日目を終えた時点で8勝1敗の成績だった。この時点で既に全勝の御嶽海の他に1敗までの力士がおらず、唯一自力優勝の可能性がある立場となったが、10日目に北勝富士に敗れて2敗に後退。終盤は上位力士との割が組まれたことで少し失速したが、それでも幕内では自己最高となる11勝4敗の成績を挙げ、最終盤まで優勝争いに加わったことで自身2度目となる敢闘賞を受賞した。5月場所に勝ち越しを逃した悔しさから奮起し、欲を出して三賞を狙いにいった結果であった。9月場所は自己最高位となる西前頭5枚目まで番付を伸ばした。この場所は久しぶりに横綱・大関陣が揃って出場したこともあって、15日間のうち自身より番付上位の力士との取組は僅か3番しかないなど割に恵まれて序盤は白星を先行させた。しかし7勝3敗から5連敗を喫するなど終盤に急失速して7勝8敗の向こう給金に終わった。西前頭5枚目と番付を据え置かれた11月場所は、場所を通して波に乗れず、6勝9敗と2場所連続の負け越しを喫した。
2019年1月場所は西前頭8枚目に番付を下げて迎えた。この場所は初日から5連敗を喫したが、6日目に阿炎を押し出して初白星を挙げるとこの日から3連勝。さらに1日置いた10日目からも4連勝するなど千秋楽に勢を左上手投げで這わせて3場所ぶりの勝ち越しを決めた。3月場所は10日目まで7勝3敗と好調であったが、カキを食べて食中りを起こした影響で11日目から5日連続で給金相撲を逃し、千秋楽に琴恵光に右すくい投げで敗れて7勝8敗と勝ち越しを逸した。この悔しさから心機一転し、春巡業では毎日稽古土俵に上がってみっちりと稽古をした。さらに、番付発表後も、午前中の稽古が終わってちゃんこを食べた後、部屋の地下にあるトレーニングルームで汗を流すようになった。
また、夏場所から、場所中は禁酒することと生ものを一切口にしないことを心に決めた。西前頭8枚目で迎えた5月場所は絶好調で、9日目にここまで対戦成績で1勝5敗と苦手にしていた竜電を寄り倒して勝ち越しを確定させた。11日目を終えて10勝1敗で単独トップとなり、13日目は優勝争いを優先して「割崩し」がされる形で2敗の自身に対して3敗で追う栃ノ心との対戦が決定した。取り組みでは際どい相撲となり、物言いの末、行事軍配差し違えで朝乃山が勝利、この後横綱・鶴竜が結びで高安に敗れたことにより再び単独トップに浮上する。14日目は大関・豪栄道に勝ち12勝目を上げ、それまで3敗で追っていた鶴竜が敗れて4敗になったため、自身初の幕内最高優勝を確定させた。富山県からは大正5年夏場所の横綱・太刀山以来103年ぶり、三役経験のない力士の優勝は昭和36年夏場所の佐田の山以来58年ぶりとなる快挙を挙げた。髙砂部屋及び髙砂一門としては朝青龍明徳以来。さらにこれが「令和」初の幕内最高優勝となり、来日していたドナルド・トランプ大統領から「アメリカ合衆国大統領杯」を授与され、初代受賞者になった。
優勝翌場所となる7月場所は、自己最高位の前頭筆頭に番付を上げ、初の上位総当たりの番付となった。この場所は初日に大関・豪栄道、5日目に大関・栃ノ心を共に寄り切りで破ったが、横綱2人の牙城を突き崩すことはできなかった。その後、1度も白星が先行することはなく、13日目に碧山に叩き込みで敗れて負け越しが決まった。それでも、この場所は残りをすべて勝利し、7勝8敗で終えた。9月場所前に左脚の蜂窩織炎を発症するなど体調が万全ではなく、新番付発表の8月26日以降、相撲を取る稽古は3日しかできなかった。ところが9月場所が始まると。12日目に4敗目を喫するまで優勝争いに加わり、対戦した1横綱2大関すべてから金星を含む白星を奪った。5日目に奪った金星は鶴竜からのものであり、自身3度目の横綱戦にして寄り切りで勝利した格好となっている。この金星は幕内100勝目という節目の白星でもある。場所を10勝5敗で終え、自身5回目の三賞受賞となり、2回目の殊勲賞を獲得した。11月場所は新三役となる小結に昇進。新三役昇進会見では11月場所での勝ち越しを宣言し、師匠の7代高砂も大関への昇進などさらなる躍進を期待した。ところが場所初日から1週間を切った11月4日に出羽海部屋で行った出稽古では御嶽海、栃ノ心、碧山、栃煌山と申し合いを行って2勝8敗と不調が伝えられた。11月場所はまたこの年の年間最多勝が懸かっており、9月場所終了時点で44勝と1勝差で暫定1位の御嶽海と阿炎を追う格好となった。新小結として迎えた11月場所は序盤から好調であり、2日目には押し相撲の大関貴景勝を鮮やかな左上手出し投げで破った。さらにその後も快調に白星を重ねていき、10日目に明生に何もさせず、右四つ、左上手を取って一気に寄り切って給金を直した。12日目に3敗目を喫して優勝争いからはほぼ脱落するが、13日目、14日目は平幕の琴勇輝、竜電に難なく勝利した。しかし、千秋楽はこの場所敢闘賞を獲得した正代に一気に寄り切られ、11勝4敗で終えた。
9月場所で10勝、11月場所で11勝を挙げたが、9月場所は平幕であったため、審判部の高島部長代理は1月場所が大関取りの場所ではないとの見解を示した。また、自身初めての幕内で年間最多勝を獲得したが、55勝での達成は年6場所制定着(1958年)以降では史上最低数の記録である。朝日新聞はこれについて、横綱、大関の力が落ちて全体の成績が団子状態になっていること、成績の浮き沈みが激しくなりがちな押し相撲が幕内全体に浸透していることを指摘している。12月14日の2020年1月場所番付発表によって新関脇となる東関脇に昇進。富山県出身では1986年9月場所の琴ヶ梅以来、戦後3人目。三段目最下位格付出デビューでは初めて。部屋からは2007年9月場所の朝赤龍以来。本人は関脇昇進会見で「うれしい。(関脇は)三役、小結になって勝ち越さないとなれない地位。先場所2桁勝てたのが良かった」と笑顔を見せ、1月場所の成績次第で大関昇進も見えてくることについて「来場所(初場所)2桁勝たないと意味がないので、先のことは考えずにやっていきたい」と語った。
1月場所は成績次第で大関昇進とも言われる中で初日から3連勝。しかし4日目に敗れてから相撲が崩れ始めて11日目に5敗目を喫し、場所後の大関昇進とはならず来場所以降につなげるためにはもう負けられない状況となった。それでも2大関を力強い相撲で撃破するなど残り4日を4連勝でしめて10勝5敗で場所を終え、3月場所で12勝以上すれば「三役で3場所合計33勝以上」を達成する状況となった。
大関昇進が懸かる3月場所は充実した取組で白星を重ねて2敗を喫したものの10日目に勝ち越し、12日目に4場所連続となる二桁の白星を挙げた。13日目に2敗同士の一番で白鵬に、14日目に星の差一つの鶴竜に敗れ、この時点で大関昇進の目安とされてきた12勝、3場所33勝に届かないことが確定した。それでも、千秋楽は一人大関で7勝7敗の貴景勝を内容よく下して、11勝4敗、3場所32勝とした。その後千秋楽の相撲も含めて取り口が安定していることが評価され大関昇進の臨時理事会が開かれることとなった。3場所での三役通過は年6場所制となった1958年以降では2場所の照ノ富士に次ぐ2番目のスピード記録。学生相撲出身者では琴光喜以来13年ぶりの大関昇進。
大関昇進に際して3月場所千秋楽を終えた時の気持ちを聞かれると「4敗目を喫して、自分の中では大関はないと思った。でも、もう1番あったので、来場所につながるよう自分の相撲を取り切ることを考えた」と答えた。
なお、直前3場所通算32勝で大関昇進が承認されたのには「4場所連続で2桁勝利をしており、安定した成績を記録している」 と評価されたことに加え、「昇進させなければ東西に大関が揃わない」「貴景勝が負け越して角番になるため、5月場所 の結果次第では関脇に陥落し、7月場所から大関不在の恐れがある」などの事情を考慮したものと思われる。
3月25日に行われた大関昇進伝達式では、審判部の20代千田川を使者として大阪市中央区の高砂部屋大阪場所宿舎に派遣し、口上として「大関の名に恥じぬよう、相撲を愛し、力士として正義を全うし、一生懸命努力します」と述べた。
2019新型コロナウイルス感染拡大を受けて土俵での稽古が自粛されていた頃には縄跳びで足腰を鍛えていた。
新大関として迎える7月場所は東京開催となったが、「新型コロナウイルス感染症対応ガイドライン」に基づき観客を入れての開催となった。初日から好調で自身初の中日勝ち越しを決め9日目まで白鵬と共に全勝で並んでいた。新大関の初日からの9連勝は15日制以降歴代3位タイの記録となった。しかし、10日目に関脇の御嶽海に敗れ土がついた。一方、10日目まで全勝だった白鵬は11日目に小結の大栄翔、12日目に関脇の御嶽海に敗れ13日目から休場したことで、12日目以降は同様に一敗の照ノ富士との優勝争いとなった。13日目に一敗同士の相星決戦となったが照ノ富士に敗れ、優勝争い一歩後退となった。14日目は照ノ富士が正代に敗れ並んだものの自身も結びで照強に敗れ三敗目を喫した。しかし、千秋楽は照ノ富士に目の前で優勝を決められたものの開き直って正代を下し、新大関として12勝を記録した。
初の東大関として迎えた9月場所では初日から3連敗スタートだったが4日目以降は10連勝とし13日目まで優勝争いに加わった。しかし、14日目に大関昇進を目指す関脇の正代に敗れ優勝争いから脱落し千秋楽では貴景勝に久し振りに敗れ10勝5敗で終えた。
11月場所では初日は快勝したものの、2日目に三役に復帰した元大関の照ノ富士に敗れた際に肩を痛め、「右肩三角筋挫傷でおよそ4週間の治療を要する見込み」という診断書により翌日の3日目から休場した。
1月場所は、自身初の角番を休場明けで迎えた。6日目までに3敗するなど序盤は波に乗れなかったが、そこから盛り返して11日目に角番を脱出。11勝4敗で場所を終えた。
3月場所は、12日目まで優勝争いに残っていたが、13日目に大関・貴景勝に敗れて4敗となり優勝争いから後退した。14日目には照ノ富士にも敗れ、5敗目を喫した。千秋楽では正代との大関同士の対戦を制し、この場所は10勝5敗で終えた。
5月場所は、11日目まで7勝4敗で来ていたが、新型コロナウイルス対応ガイドライン違反(後述)により12日目より休場となり、最終的な結果は7勝5敗3休(7勝8敗相当)の負け越しとなった。
6月23日、朝乃山は力士らを対象にした新型コロナのワクチン接種のため両国国技館を訪れた。処分について質問した報道陣には「大変申し訳ありません。今は何もお話しすることができません。すみません」と話すにとどめている。
7月場所後の同月27日、日本相撲協会は朝乃山を含む高砂部屋の力士6人と8代高砂が新型コロナウイルスに感染したことを発表した。
8月16日、朝乃山の父が急性心原性肺水腫のため死去していたことが関係者の話で分かった。同月24日、両国国技館で健康診断を受診した朝乃山は、「一日一日をしっかりやっていきたいです」と父親が待ち望んでいた再起への決意を示した。
11月場所中は、新十両の弟弟子・朝乃若と宿舎の同室で暮らしており、助言をし、支えとなっていた。朝乃若は新十両場所で勝ち越している。
2022年1月場所3日目(11日)にNHK大相撲中継の解説者を務めた15代若松は、朝乃山が部屋の幕下と稽古するようになり、四股やすり足などの基礎トレーニングで汗をかいていると明かしている。「ただ、やっぱり気持ちがね、目標がないので、本来の集中力はないですけど」と心配する言葉もあった。
5月場所前には太腿に軽い肉離れを起こしたが、15代若松によると場所中には「徐々に良くなって(十両の)朝乃若と稽古している」といい、「だいぶ腰の使い方がうまくなりました。前に出る時の相手に(腰を)ぶつけるような」と寄り身のうまさが増してきたという。
7月場所は処分明けとなるが、6月11日の朝稽古では申し合いで24番取り、朝乃若に9勝3敗と順調な仕上がりを見せた。処分期間中も大関経験者だからといって特別扱いはされず、若い衆用の部屋で生活し、雑用やちゃんこ番を行ったという。師匠の8代高砂は、出場停止の期間中の朝乃山について「やっぱり1年は長いけど、我慢、我慢しか言っていない。くじけそうになったこと?休んでから(昨年)秋ごろ、半年以上は気持ちも上がりづらかった」「(昨年)9月場所後から体も大きく戻ってきている。気持ちも落ち着いているような、自分で受けて入れているような感じはあるんじゃないかな」と話している。復帰に向けてどんどん動きもよくなってきているという。朝乃若も取材に応じ「(処分を受けて)最初はすごく反省というか、気持ちが落ちていて、本当に大丈夫か心配していた」と当時を述懐し、「場所が終わって(復帰が)近づくにつれて元気も出てきて、稽古もすごい復活してきたので、楽しみというか、応援しております」とエールを送った。
三段目22枚目として再出場をする7月場所の新番付では四股名を「朝乃山英樹」から本名にちなんだ「朝乃山広暉」と改めた。入門当初は本名の「石橋広暉」を四股名としており、原点回帰の気持ちがにじんでいると報道されていたが、本人は「不祥事を起こし先生の名前を名乗れない」としている。
場所2日目の1番相撲の7月11日で、2021年5月場所11日目の5月19日以来、418日ぶりの本場所出場。東三段目22枚目・剛士丸(武蔵川部屋)を寄り切りで破り、復帰場所で白星発進を飾った。取組後のオンライン取材で「花道に入ってからたくさんの方が拍手してくれてすごくうれしかった。1年前に自分の不祥事で出場停止になったので、来年(今場所)の復活まではしっかり稽古して体が落ちないように、もう1回応援、信用してもらえるように頑張りました」と話した。出場停止期間中で一番つらかったこととして「不祥事を起こした時に相撲協会にウソをついたことです」と明かした。敗れた剛士丸は「めっちゃ強かったす。向かい合った時に一番圧(力)みたいなのを感じた。今まで感じたことないほどでした」と驚きを交えて振り返った。この場所は7戦全勝で三段目優勝した。
8月23日、部屋の朝稽古後に取材に応じ、地元富山への思いについて「(今は)帰れる度胸はないです」と複雑な胸の内を明かし「上にいた時から地元の声援が力になっていた。戦っている姿を見てもらって、もう一度応援してもらえるように認められるようになってから帰りたい」と話した。9月場所は7戦全勝すれば十両昇進が確定する幕下15枚目以上の地位となる東幕下15枚目に番付を戻した。場所2日目の1番相撲で2021年学生横綱で幕下15枚目格付出として初土俵を踏む川副圭太との取組が決定した際は話題となった。そして話題の一戦は寄り倒しで朝乃山が制した。その後も順調に白星を重ねたが、6番相撲で勇磨猛に敗れ年内での関取復帰の可能性がなくなった。7戦全勝での関取復帰は既定路線のように見られていただけに、この時は「まさか」と意外の念を以って受け止められた。それでも千秋楽の7番相撲は勝ち、この場所を6勝1敗で終えた。
東幕下4枚目で迎えた11月場所、前の場所同様9日目までに5連勝を果たしたが、6番相撲で優勝した玉正鳳に敗れ6勝1敗で終える。13日目終了時点で関取昇進候補として2番手となり、場所中に幕内千代大龍、場所後に十両豊山が相次いで引退したことにより関取昇進枠が2枠空いたため、場所後の再十両が確実になった。しかし本人は「秋場所と今場所も優勝を目指してやってきましたので、それが達成できなかったことが悔しいですし、ここ一番で発揮できない自分が弱かったです」と2場所連続で喫した1敗を悔やんだ。千秋楽終了後、報道各社は十両復帰確実であることを伝えた。場所後に十両復帰が正式に決定。この場所限りで引退の豊山に「また当たりたかった」と惜しんだ。
2023年(令和5年)1月場所14日目は東十両7枚目の千代の国に勝ち13勝1敗、東十両5枚目の金峰山が幕内での取組で東前頭15枚目の剣翔に敗れて11勝3敗、これにより朝乃山の十両優勝がこの時点で決まった。十両優勝を決めた1月21日は恩師の浦山英樹の命日で、この十両優勝に際して「1つでも恩返しができたら良いなと思っています。白星が取れて良かった」とコメントしている。浦山の父・松男もこの吉報に対して「ホッとしたけど、ここがゴールじゃない。後で息子にも伝えたいね」とうれしそうに言った。場所は14勝1敗で終え、十両1場所通過が有力視されることとなった。場所後の「十両復帰・優勝祝賀会」に出席した際は「この結果に満足していないです」などとあいさつし、150人の祝賀会参加者に「久しぶりに富山の人たちに会えてうれしかった。富山は1番大きな存在」と感謝した。2月14日の部屋での稽古では、出稽古に来た関脇・若隆景や小結・霧馬山らと計26番取り、若隆景に4戦全勝、霧馬山に8勝4敗、合計20勝6敗と好調を示した。朝乃山は「元にいた番付に再挑戦したい。いい成績を残していきたい」と静かに闘志を燃やした。しかし、幕内昇格の枠が4空いたのに対し、十両上位力士の成績との兼ね合いで昇進順位5番手となり、3月場所は東十両筆頭にとどまった。
3月場所初日は照ノ富士の休場で幕内出場力士数が奇数(41人)になったため、幕内最初の取組の土俵に上がることとなった。この場所は9日目に勝ち越しを確定させ、この時点で再入幕が確実となった。9日目の取組後に本人は「もう1度、富山のスーパースターになるために頑張りたい」と語った。場所では終始優勝争いに加わったが、12日目終了時点では11勝2敗に後退し、単独トップを逸ノ城に譲った。結局逸ノ城が千秋楽に14勝1敗の成績を上げたことで自身の取組前時点で優勝が消滅し、13勝2敗で場所を終えた。取組後「幕内はお客さんも多いし、早くそこに戻りたい気持ちはある。早く戻りたい気持ちはあるけど、今のままの相撲だと全然ダメ。もう1度、鍛え直していきたい」と、気を引き締めていた。場所後の春巡業福井場所では発熱があったが、新型コロナウイルスの抗原検査で陰性。一時帰京となった。約1週間後の藤沢場所で巡業復帰。
5月1日の5月場所番付発表にてほぼ2年ぶりとなる幕内再昇進(復帰)が発表された。東十両筆頭から13勝2敗で3枚半上昇止まりは異例の不運である。番付発表の際「ここからが本当の勝負だと思います。目標として、今年中に三役を目指していますので、早くそこに近づきたいです。幕内復帰の5月場所では、最低でも2ケタは勝ちたいですし、できれば、その上を目指して、1つでも多く白星を積み重ねていきたいです」と抱負を語った。5月場所前にはサンケイスポーツの記事で「朝乃山の力ならこの地位では大きく勝ち込んで終盤上位と優勝を懸けての対戦も夢ではない」と予想された。5月4日の稽古総見を見た山内昌之横綱審議委員会委員長は「何よりも朝乃山が幕に帰ってきて元気な姿を見せた。四つに組んでも押しても、そこそこの力を見せて、もう少しで本人も満足する領域に入っているんじゃないかと思う」と期待した。場所直前の5月12日、朝乃山本人は「2ケタ以上、絶対に勝ちます」と宣言。場所直前の花田虎上のコラムでは年齢的な衰えが若干あると指摘された。場所では9日目の竜電戦で勝ち越しを決め、この時点で1敗と優勝争いに加わっている状況となった。12日目終了時点で2敗と1差で優勝争いのトップを追っている状況を受けて、13日目首位の1敗の照ノ富士と対戦することになった。なお、この取組は2021年5月17日、同年5月場所9日目に勝った阿武咲戦以来、自身739日ぶりとなる結びの一番。また横綱戦となると、大関昇進前の関脇時代、2020年3月21日、同年3月場所14日目に敗れた鶴竜戦以来1161日ぶりとなる。照ノ富士との対戦では左を抱えられて出たところを小手投げに敗れ、3敗目を喫したことで自力優勝の可能性が消滅。それでもこの場所は12勝3敗の好成績。千秋楽で勝った場合という条件付きで敢闘賞受賞候補に上がったが、出席委員の過半数の得票に至らず受賞を逃した。場所を終えると朝乃山は「十両と違って、負けたくないプレッシャーもあった。でも土俵に上がると、声援が力になった。背中を押してくれた。楽しく、思い切ってできた」と、相撲ファンに感謝した一方で「来場所が勝負。今の三役は非常に強い。(このままだと)全く通用しないと思う」と、強い危機感も示した。場所後の横綱審議委員会の定例会合では山内昌之委員長が「よく戻ってきた」と称賛した。6月5日時点では7月場所は番付が幕内上位の可能性があるが「ようやくここまで来ることができた。2桁白星と優勝争いに絡むことを目標にしたい」と力を込めた。この場所は7日目まで4勝3敗とまずまずの星取りであったが、同日の豊昇龍戦で左腕を傷め、中日に協会に「左上腕二頭筋部分断裂で4週間の局所安静を要する」との診断書を提出して休場した。しかし怪我の治りが思いの外早く、12日目より再出場。再出場後は4番全てに勝利し8勝となったため、結果的に途中休場ながら勝ち越しとなった。夏巡業は7月30日の沼津市での巡業に参加した後に休場したが、8月19日の長岡場所から復帰。25日の黒部場所では地元・富山県の5000人のファンを前に、9月場所の2桁白星、優勝争い、大関復帰と3つの誓いを立てた。27日の氷見場所で右足親指を痛め、9月場所直前の段階では調整遅れは否めないが「休む気はない」と出場を断言。
9月場所では、連勝スタートするも、三大関に敗れるなど、6日目終了時点で2勝4敗と黒星先行だった。しかし、その後白星を伸ばし、13日目に勝ち越し。千秋楽は、勝てば幕内最高優勝が決まる熱海富士を寄り切り、9勝6敗で場所を終えた。11月場所の三役昇進枠は2枠あったが、千秋楽の取組終了時点で東前頭筆頭で8勝7敗の北勝富士、東前頭2枚目で9勝6敗の阿炎が優先となる公算が立ち、三役復帰は先送りの見通しとなった。本人は「負けられない気持ちだった。ただ阿炎関が勝ったので…」と苦笑していた。場所後の秋巡業広島場所で左ふくらはぎ肉離れを負い、番付発表後も四股や摺り足ができない状態で、場所前の11月1日には相撲を取る稽古をせずぶっつけ本番で出場する意向を示した。本人は「2桁以上勝って初場所を三役で迎え、来年をいい1年にしたい」と明確な目標を掲げた。現役時代の師匠であった7代高砂の4代朝潮こと長岡末弘が死去した際は「体調が悪いのは聞いていたが、一番は驚いている。本当におおらかな親方だった」と語った。最後に会ったのは9月の秋場所中で、一方的な敗戦を叱られた。「教えてもらった前に出る相撲を心がけ、白星を積み重ねて恩返しをしたい」と活躍を誓った。だがその気持ちとは裏腹に、10日には協会に「左腓腹筋損傷により2023年11月9日より3週間の安静加療を要する」との診断書を提出し、初日から場所を休場することを決めた。途中出場は未定としながらも「足が良くなって痛みが取れれば、出るつもり」と回復次第での出場に意欲を見せた。中日より途中出場し、その中日は貴景勝に下手投げで勝利し、これにより期待されていた貴景勝の綱取りが消滅した。最終的には4勝4敗7休で終え、これは番付編成上4勝11敗相当となるため、翌2024年(令和6年)1月場所では一旦復帰後初の番付降下となる。目標に掲げていた2023年の内の三役復帰は叶わなかったため、「三役復帰へ一から出直したい」とのコメントを残した。12月の冬巡業では怪我をしないように慎重を期し、関取衆の申し合いに参加せず、幕下以下の力士たちに積極的に胸を出すなどの調整をしていた。
2024年1月場所前の稽古では左足の回復をアピール。場所中に宮城野(元横綱・白鵬)が自身のトークイベントで、ことごとく自身が優勝候補に名前を挙げながら優勝を逸してきた朝乃山について「ずーっと朝乃山と言ってましたから。もう、あいつはアカンと思って(笑い)。もうダメだ」と冗談を交えながら「朝乃山というのは角界で一番、形を持っているんですね。彼の形というのは角界、関取の中で一番。なのに…ここでは言わない」と、もどかしさを口にした。7日目まで幕内で唯一の勝ちっぱなしだったが、中目に玉鷲に敗れた後で土俵下でしばらく右足首を気にする様子が見られていた。9日目から休場したが、13日目から再出場して勝ち越しを決め、最終的には9勝3敗3休で終えた。
7代高砂のお別れの会の際には「現役でいる限り、結果が全てなので、もう1回、大関に戻ることができるように天国から見守ってくださいと誓いました」と、心を込めて故人に最後のお願いをした。
2024年3月場所は西前頭筆頭の地位で土俵に上がり、13日目終了時点で8勝5敗と念願の三役復帰の資格を得た状況となったが、14日目に自身を破った時点で幕内最高優勝が決まる尊富士と対戦することが決定。尊富士との対戦が朝乃山に決まった理由について、報道対応した佐渡ケ嶽審判部長(元関脇・琴ノ若)は「三役がかかっているし元大関だから」と説明した。既に2桁黒星が確定した霧島、首の状態が思わしくない貴景勝の2大関では好勝負は望めないものと審判部は判断したと見られる。
2021年5月場所11日目(19日)、朝乃山が新型コロナウイルス感染症流行拡大による緊急事態宣言中(4月25日 - 5月11日、5月末まで延長) の4月30日、5月7日に神楽坂のキャバクラを訪れていたことが週刊文春により報道された。朝乃山は4月30日、男性2人と午後10時過ぎに入店し午前1時過ぎに店を出ている。5月7日には西麻布に向かい、午前3時ごろに高砂部屋に戻ったという。
この報道が事実であれば、日本相撲協会の新型コロナウィルス感染症対応ガイドライン 違反となる。相撲協会は番付発表後(5月場所は4月26日)からの4週間は力士たちに私的外出を禁じていたためである。そのため、報道の前日(18日)に協会の尾車コンプライアンス部長(元大関・琴風)が朝乃山に事情聴取を行っていたが、朝乃山は「事実無根です」と答えていた。尾車部長は「後に事実だと分かれば大変なことになる」と念を押していたという。事実関係がはっきりしていないこともあり、19日の段階では休場しないとの発表であった。
だが、11日目(19日)の取組後、朝乃山はオンライン取材の場に現れなかった。週刊誌の記事内容と朝乃山本人の話に齟齬があったため、協会は師匠(8代高砂、元関脇・朝赤龍)同伴で再び朝乃山を聴取した。同席した顧問弁護士の求めでスマートフォンを調べたところ、残っていた位置情報から報道が指摘した日に店にいたことが判明した。問い詰められた朝乃山は一転して事実を認め、虚偽報告が明らかになったという。師匠の判断により、12日目(20日)より休場となった。
場所前、相撲協会は全力士に対してPCR検査を行っている(全員が陰性と同月3日に発表)が、朝乃山だけはその後の5月7日にも店を訪れていた。相撲協会の芝田山広報部長(元横綱・大乃国)は「万が一感染したら、お客様に対しても裏切り行為になる」と危機感を述べ、「こんなコロナ禍の大変なときに、大事な本場所に大きな穴を空けたということは重大な責任であります。協会の最高位である看板を背負っている本人が穴を空けたということには、重大な不祥事だということ」と語った。八角理事長(元横綱・北勝海)は結びの一番の3番前から始まる報道陣の電話取材で、「本当に申し訳ないと思っています。(取組が)1番、なくなるわけですしケガとか(が不戦勝負の理由)なら仕方ないけれど」「お客さんに本当に申し訳ない。こういうこと(を起こしたこと)で自覚が足りないというか…。お客さんに対して本当に申し訳ないです」と謝罪の言葉を述べた。同日の結び後、マスコミの取材に応じた錦戸審判部副部長(元関脇・水戸泉)が朝乃山の不祥事について、「ちょっと頭が痛い。優勝が懸かる終盤戦、あんなことで穴を空けるなんて、お客さんも残念だと思う。ケガだったら仕方ない部分もあるが…。若いというのもあるかもしれないが、大関という立場もあるのでね」と取組編成を担う部署としての困惑と悩みを口にしている。
虚偽報告の判明を受け、相撲協会はコンプライアンス委員会(青沼隆之委員長=元名古屋高検検事長)に詳しい調査と処分意見の答申を依属した。
22日、芝田山広報部長が電話取材に応じ、21日に朝乃山に対する聞き取り調査が行われたことを明かした。朝乃山が協会の新型コロナ感染対策ガイドライン違反を犯していたと判明したという。コンプライアンス委員会が本格的に事実関係の調査を進めており、場所後の27日の理事会の段階では処分については話し合われない。
6月4日、コンプライアンス委員会は会合を開き、「朝乃山の複数場所の出場停止」と処分意見をまとめたことが報じられた。相撲協会の関係者によると、朝乃山は引退勧告ではなく同月11日に開かれる臨時理事会で処分が決定することがほぼ確定的となった。2020年11月に部屋の師匠となった8代高砂が、自宅から通いの状態であることについても議論が及んだという。
同月11日には朝乃山が引退届を提出しており、預かりとなっていることが報じられた。
6月11日、朝乃山の処分を決める臨時理事会が開かれた。
コンプライアンス委員会の調査によると、朝乃山は外出禁止期間中の2021年1月場所前、3月場所前と同場所中、5月場所前に計10回キャバクラに通っていたという。朝乃山は、2021年1月場所と2020年11月場所前の外出禁止期間中に、計3回の会食を行ったという。キャバクラ通いが発覚し、5月場所中に行われた協会の調査に対して同行した記者と口裏合わせを行い、問題となった5月7日は外出禁止期間中でも例外として許されている整体治療に行くため神楽坂で待ち合わせをしただけ、などと虚構のストーリーを作出して報告した。さらには、携帯電話に残っていた記者らとの間のメッセージを消去するなど証拠隠蔽工作を行ったという。だが、再調査で事実を認めて以降は同委員会の調査に真摯に対応し、深く反省していることから「6場所の出場停止と50%の減給6ヶ月」という処分意見がまとめられ答申された。
理事会では答申通りの処分で決定され、今後は程度を問わず、協会に迷惑をかける行為をした場合には預かっている引退届を受理すること、また、そのことを了承する旨の誓約書を提出することの2点を条件として、引退届を未受理とした。師匠の8代高砂は20%の減給処分3ヶ月となった。
尾車コンプライアンス部長は、朝乃山の処分が重くなった理由について、模範を示すべき立場の大関でありながらその尊厳を汚したことと、当初の調査に虚偽の説明をしたことの2点を挙げた。より重要視したのは当初の聞き取りに対し、同行した元記者と口裏を合わせて嘘をついたことで「素直に事実ですと認めていればここまでのことはなかった」と明かした。朝乃山は大関であるため『実績による』年寄名跡取得資格は持っているが、年寄を襲名するには年寄資格審査委員会の承認を得なくてはならない。『土俵態度や生活態度』も審査対象となるため、協会の看板力士であっただけに関係者が「後で事実と分かったら大変なことになる」と何度も助け舟を出したにも関わらず虚偽説明で逃げ切ろうとした朝乃山には、親方となる道は閉ざされている状況である。朝乃山は今後1年間、場所には出場しないものの地方場所には帯同するという。
朝乃山は理事会で、「大変申し訳なかったです」「日本相撲協会に迷惑をかけました」と四方に向かって詫びたという。また同日夜に東京後援会幹事長のもとに「厳粛に受け止めて出直します。再起を目指して頑張ります」と現役続行の意思を示す電話をしている。高砂部屋は公式サイトに謝罪文を掲載した。
朝乃山と似たような問題を起こして、2020年7月場所を途中休場となった阿炎も『3場所出場停止・5ヵ月50%の減俸処分』の厳罰を受けており、横綱候補として大きな期待を受けてきた大関でもある朝乃山には、さらなる厳罰が取り沙汰された。コンプライアンス委員会が「複数場所の出場停止」と処分意見をまとめた段階で大関陥落は不可避となったため、大関昇進から7場所(2020年5月場所は中止のため数えない)での関脇陥落となり、二代目増位山(大関で引退)と栃ノ心(2度目の関脇陥落)と並び、歴代ワースト3位タイ記録の短命大関となった。なお、2021年9月場所の番付発表前日までは大関の地位でいられる。理事会が決定した6場所出場停止により、大関陥落どころかその大関経験者としては第73代横綱に昇進した照ノ富士に次いで史上2人目となる幕下以下(三段目)の地位に陥落することとなった。ちなみに三段目の地位へ陥落に至るまでの番付推移は、下記の通りである。
高砂部屋の先代師匠(7代高砂)の18代錦島(元大関・朝潮)は、5月21日のコラムで相撲ファンに謝罪し「入門から昨年まで師匠として、そんな指導はしていないし期待を裏切られた思いでいる。大関の地位にいながら考えが甘く自覚がなかった。信用を取り戻すためにどうするか、自問自答してほしい」と記していた。
ところが、6月10日と翌11日に18代錦島もガイドライン違反の外出をしており、協会コンプライアンス委員会の調査を受けたことや退職届を提出していたことが報じられた。相撲協会は同日の臨時理事会後、その事情について発表している。それによると、18代錦島は2020年春ごろからの原則私的外出禁止期間に朝乃山や付け人の力士を近くの飲食店に連れ出したり知人と複数回会食をしていたことを、同委員会の聴取を受けて認めた。5月25日までに同伴した付け人の聴取は終了しており、18代錦島は6月1日に退職届を提出し、同月10日付で受理された。これは理事会が18代錦島本人から聞き取りをしての結果であった。
これを重く見た同委員会は、2020年11月の高砂部屋継承後も18代錦島が部屋施設に居住し、8代高砂が部屋施設に居住していなかったことも朝乃山の監督不行き届きの一因と見ていた。8代高砂と18代錦島は6月4日の同委員会の会合に呼ばれ、部屋施設の家主を2021年7月中に8代高砂に変更することを確認されている。8代高砂は、朝乃山が18代錦島家族と会食をしていたことを同部屋力士から知らされ、朝乃山に注意し部屋の力士たちに外出禁止を遵守するよう訓示していた。しかし、朝乃山の外出には気づいていなかったという。
5月20日、スポーツニッポン広報は、同紙相撲担当記者が同行していたとされる件について調査中であるというコメントを出した。
21日放送のフジテレビの情報番組である『バイキングMORE』に出演したフジテレビの相撲専属レポーターの横野レイコが、朝乃山が相撲協会幹部の怒りを買った要因として「一番の罪は大関であるという立場と、もうひとつは調査に嘘をついていた。それで協会を翻弄させた」とした上で「一緒にいた記者と口裏合わせをしていたので…させられたのかもしれないですけど」という指摘をしている。
27日には調査継続中であり、社内調査のみでなく中立性・公平性を保つため第三者の弁護士にも依頼をしていることや、日本相撲協会からの照会への対応の必要があることがスポーツニッポン新聞社名義で報告された。事実関係が明らかになった段階で公表するとしていたが、朝乃山の処分が決定した6月11日に元記者を同月10日付で諭旨解雇処分、監督責任を負う代表取締役社長と常務取締役編集担当が1ヶ月の役員報酬20%、上司の執行役員東京本社編集局長が1ヶ月の役員報酬30%を返上することを発表した。
発表によると、元記者は5月7日夜、週刊文春取材班の車まで行って恫喝した後、同月19日に上司から同誌からの質問状が届いたことを知らされた。元記者は「トレーナーを紹介され、施術を受けた」とする口裏合わせを考え、内容を朝乃山にメールと電話で伝え、上司にも同様の説明をした。しかし同日夜に朝乃山からLINEで、「ごめんなさい」「全部ばれてます」と連絡を受けたため、上司に事実を認めて謝罪した。同月20日、元記者は編集局長及びスポーツ担当部長から事情聴取を受け、4月26日から29日の間の1日及び30日、5月7日の同行を認めた。このため翌21日からの就業差し止めを通告されていた。
スポーツニッポンは元記者が朝乃山より年長で規則順守を助言する立場にありながら、正反対の行動を取った事実も重く見て処分を決定したという。
事の重大さに気付いた朝乃山は、19日に両親と地元の富山後援会理事長に、20日朝に東京後援会の幹部に電話をしているという。
朝乃山の父親は、「何をしとるんじゃ!」と一喝しており、引退勧告処分を覚悟する一方で「『もし幕下以下に落ちてもやる気はある』と言っていました」「皆さんにご迷惑をおかけして本当に申し訳ないです。協会に残ることができれば死に物狂いでやらせていただきます」と朝乃山の思いを代弁した。朝乃山に相撲協会から処分が下った翌日には上京し、18代錦島(7代高砂)夫妻や8代高砂、東京の関係者に謝罪をして回っているという。
朝乃山の故郷、富山後援会の理事長も「憔悴していました。謝罪と後悔、その繰り返しだった」と明かし、「県民を裏切った。お叱りも沢山頂いておりました。反省して出直すしかないです」「日本相撲協会の処分を受け入れて、私たち後援会は、彼が力士であるかぎり応援していくので、皆様にはもう一度、朝乃山を育てるという気持ちで、応援していただければと思います」と朝乃山に代わって県民に謝罪している。
出身地でもある富山市呉羽町の呉羽地区自治振興会の役員・地元有志が「相撲人としての過ちは相撲で返す朝乃山を信じている」と寛大な処分を求める嘆願書の署名活動を始めた。「処分は真摯に受け止めますので、引退(勧告)だけは何とか避けたいです」との趣旨であるという。24日夕の富山市内各自治振興会の代表者の会合では、出席者約40人の大半が署名に応じ、締め切りの28日までに8500人、追加で1000人もの署名が集まったという。呉羽地区自治振興会の関係者も、「生きている間にもう一度、朝乃山の相撲を見たいというご老人もいます。どうして休んだのかと泣いてしまう子どももいます。朝乃山にはそれだけのことをしたことを自覚してほしいです。何とか再び土俵に立つチャンスを与えていただきたいと思います」と話している。署名は嘆願書とともに6月上旬にも相撲協会に郵送される予定と報じられた。
処分決定後、富山県の新田八朗知事が「厳しい処分になりましたが、角界に残ることができた」とした上で、「いま一度、原点に立ち返り、相撲道に精進し、再起することを願っています」とコメントした。署名を集めた富山市呉羽町自治会の会長は「処分を真摯に受け止め、復活を期待して今後も応援していくつもりです」と話し、母校の富山商業高校相撲部元監督の父親は「もう一度0からやり直してまた這い上がって、富山に帰ってくるときは、横綱にならなければ帰ってこれないぐらいに思っております」と厳しい処分を受け止めている。富山後援会の理事長は「角界に残り、県民の方に恩返しする場をいただけて良かった」「本人が精神的にも成長した上で、県民の皆様にもう一度育ててもらいたいです」と、安堵の言葉を述べている。
中学時代までは押し相撲であったが高校時代に恩師の浦山から四つ相撲を学び、これが後に大相撲で操る取り口となっている。
基本的に右四つになると非常に強い。右を差して胸を合わせて足を寄せて寄るか上手投げで仕留める速攻相撲が持ち味。懐が深く、廻しを取る手がよく伸びる。右差しを深くねじ込み左前みつを掴むと十分の体勢になる。しかし半身になる癖があり、2017年3月場所後の座談会で20代錣山が「右四つなので半身にならなければいいです。右四つならばとても強いですが、たまに半身になることがあります。それさえ直せば、朝乃山も小柳に負けないくらいの力士になれると思います」と指摘している。基本的に右四つ左上手に徹しており、四つに組めないと相撲が長引く傾向がある。下手からの投げはほとんどない。調子のよい場所では廻しにこだわらない右差しの相撲が光り、2019年11月場所11日目の宝富士戦で寄り切った相撲はその好例である。
2017年7月場所後の座談会では20代錣山が「朝乃山は右四つのいい形を持っています。ただ、大きい相四つの相手には通じません。左上手を深く取る悪い癖があります。魁聖戦でも胸を合わせて簡単に寄り切られています。もっと左の上手を浅く取って、すぐ頭をつける方がいいです」と論評をしている。錦木など並々ならぬ力強さのある力士には四つに組んで負けることもあるが、突き崩してから上手投げを放つと強く、2017年9月場所10日目などはそのような相撲で勝っている。2017年9月場所は5秒以内に終わった相撲が15番中2番にとどまっており、そのことから15代武蔵川(第67代横綱・武蔵丸)から場所後のコラムで「まだ相撲が遅い。いい体を持ってるんだから、早く動く稽古をすればいい」と言われている。2017年11月場所前の座談会で舞の海は「均整の取れた体型で、突っ張りもあるし、右四つに組んでも強引にかいなを返して胸を合わせていくあたりはすごく魅力があります。将来性を感じますね。悪い癖もないですし、このままおおらかに育っていけば、大器になっていくと思います。上背もあるし、膝のケガをしていない。これは大きいですね」と絶賛しており、12代阿武松も「朝乃山は本格派ですよ。秋場所は突っ張りが効いていました。また上手を取ると腰がぐーんと下がるのはかっこいいですよ。形がいいなと思います。上背がある人は立腰で寄るので、逆転されたり中に入られたりするんですが、朝乃山は四つになったときの形がすごくいいです。突っ張りも何番も出ていましたので、相当力をつけているように見えます」と高評価していた。同時期の黒姫山のコラム内では、相撲を覚えられて以前のように簡単に右四つには差せてもらえないはずなので、相手を弾き飛ばすようなものを身に付けるべきだと言われている。11月場所前の相撲雑誌の記事ではメンタル面が弱いことを公言していると書かれている。
2018年9月場所前の記事では花田虎上(第66代横綱・若乃花)から「腰も高くないし、まりが弾むような取り口で昭和のお相撲さんといった感じがしました」という評価をされた。同時期、舞の海からは「上背があって変な癖も小細工もなく、グイグイと右を差し込んで上手を取って、攻めながら自分の形をつくっていく取り口に将来性を感じます」と評されており、また「朝乃山のスケールの大きさが強く印象に残ったのも、ここ最近は押し相撲が増えているからです」とも言われている。同じ右四つ得意の力士に対しては左上手を取れないと脆く、2019年3月場所7日目の隠岐の海戦で右四つになったにもかかわらず敗れたのはその好例である。
2019年頃になると右からの掬い投げを武器とするようになり2019年5月場所5日目の輝戦はその好例である。だがこの取組をAbemaTVで解説していた9代陸奥は「この相撲では上に行ったら勝てない。自分が先に上手を取って、相手に上手を取らせない。そういう相撲を取らなければ」と注文を付けた。小学校時代のハンドボールの経験が活きているのか相手に対する反応が良く、2019年5月場所中の記事では反応の良さについて触れられている。師匠の7代高砂が同場所中に寄せた論評では、立合いの厳しさが増して左上手が取れない相手には突き放す相撲を取ると分析された。このように成長を見せたのは同年春巡業中に同じ右四つ得意の栃ノ心に稽古を付けてもらったのが関係している。同年7月場所中の記事で、16代荒磯(第72代横綱・稀勢の里)は8日目の遠藤戦について「馬力が技術力に勝った一番」と述べた。朝乃山の差し身の巧さにも触れながら「馬力は稽古でつけるしかありません。つらいことを繰り返した人間だけにつくものです」と場所前からの稽古の成果を評価している。
初優勝までに負け越しを繰り返して足踏みしていた頃はまわしを引いても安易な投げに頼ったりして墓穴を掘ることが少なくなかったため、これは高砂から「攻めろ。四つ相撲でも攻撃的にいかない限り勝てない」と注意された。2019年11月場所前には中々左上手という自分の型になれないことを舞の海から指摘され、「左上手をとれないときには左からおっつけるなどの工夫が必要。立ち合いで真っすぐ当たるのではなく、斜めから当たって相手の前まわしを引くようなひとひねりが求められる」と助言された。11月場所後、15代武蔵川は「いい相撲で勝ったと思ったら翌日にはあっさり負けてしまったりと、まだ相撲にムラがあるけど、それが直ったら大関もすぐだね」と期待を寄せる論評を行った。2019年冬巡業の様子を見ていた14代玉ノ井は稽古で四股、すり足が少ないと指摘していた。2019年12月26日に本人は朝稽古を行った際に「前に出るのが自分の相撲だが、この番付だと自分の相撲は簡単には取れない。まわしが取れなかった時の対策も考えないといけない」と話していた。2020年1月場所番付発表の際の時事通信の記事では「持ち前の右四つの取り口に磨きをかけ、突き押しが武器の相手への苦手意識も克服しつつある」と評されていた。
2020年3月場所初日の隠岐の海戦では突き落としが得意な相手を警戒して慎重な寄りで下した。2020年3月場所中、師匠の7代高砂のコラムで胸や肩からしか当たらないワンパターンな立合いを指摘され、右四つにならなくても勝てるよう相撲の幅を広げるようにと注文を付けられた。中日の豊山戦を観た16代荒磯は脇甘を治すことが大関昇進に向けての急務だと指摘した。大関昇進の際に13代境川は「上を目指してほしい。頑丈だし、前へ出る相撲だからけがをしない」と朝乃山を評した。大関昇進の白星数の目安を満たさずに昇進したのは正攻法の取り口が評価されたためであるという見方もある。
2020年3月場所後の稽古の際には「立ち合いの鋭い踏み込みや瞬発力が大事。そのために下半身を鍛える。前に出れば、自分の持ち味が生きる」と自ら課題を口にした。
2020年7月場所4日目の大栄翔戦では土俵際で弓なりに腰を反らせて残す柔軟性を発揮して逆転勝ちしている。
大関昇進後、師匠の7代高砂は「入門した当初は光るものがなかった」と朝乃山を語った一方で「正攻法の相撲を取れたからこそ大関になれたっていう感覚も、朝乃山は持ってるんじゃないの?跳んだり跳ねたりする相撲じゃないしな」と評している。朝乃山も「それは、やれと言われてもできないです(笑)」と、寧ろ飛んだり跳ねたりする相撲が苦手であるとしている。7月場所中、15代武蔵川からは体重をこれ以上(172kgより)増やさないこと、出し投げなどに頼らず前に出て土俵外に出す相撲を心掛けることを助言された。
あまり稽古熱心な力士とは言い難く、2021年1月場所12日目に照ノ富士に敗れて対照ノ富士戦4戦全敗を記録した際は「若い力士相手に、十数番で満足しているようでは、強くなる訳がない」と指摘された。15代武蔵川からは若い衆相手でも良いので1日50番から60番相撲を取る稽古をしないとこのまま終わりかねないと、場所後のコラムで叱咤。同時に、差した右を返していない、左上手も深すぎると注文を付けた。
北の富士(第52代横綱)は、2021年3月場所2日目の高安戦で尻から落ちる相撲を見せたことを指して、下半身が弱体化していることを指摘した。4日目の阿武咲戦を辛勝したのを見た八角理事長(第61代横綱・北勝海)は「左から引っ張り込んで安易に止めようとしている。もっと苦労して、苦労して相撲を取らないと将来、伸びない。楽な勝ち方をしていると(成長が)止まってしまう」と押し相撲への対処の安易さを指摘した。場所後に武蔵川から、肩を使って当たることで組むという相撲の基本ができていないと評された。
2021年4月20日の合同稽古で御嶽海と三番稽古を行った際「相手は押し相撲ですし、相撲も器用なので右か左、どちらかを取れれば、深くではなく浅く取るように意識していけば、自分の形にできるし、相手も逃げられない」とイメージするところを語った。2021年5月場所中、14代玉ノ井は安易に組んで万全の体制になるまで待つのではなく、もっと自分から先手先手で攻めて相手を揺さぶり十分を目指すべきだと指摘した。
2023年1月場所での状態は15代武蔵川からあまり評価されていなかった。立ち合いの圧力、前に出る相撲に欠けて下がる相撲が目立ち、ウエイトトレーニング偏重で筋肉を付け過ぎだった、このままでは幕内では難しいと苦言を呈されている。3月場所後にもやはりウエイトトレーニングのし過ぎと相撲を取る稽古の不足を指摘されており、動きが鈍く足が出ない相撲や落ちる相撲が多いと苦言を呈されている。
出場停止以前は右下手から廻しを取る相撲であったが、それ以降は左上手から廻しを取る相撲に変えている。これは、師匠が押し相撲を得意とした7代高砂から、四つ相撲の8代高砂に代わった影響とされる。
2023年4月の春巡業では照ノ富士から「胸から行く相撲で、体が伸びきっている。それを直した方がいい」と助言された。
2023年5月場所中、両国国技館内の相撲博物館で行われたトークイベントにおいて宮城野親方(元横綱・白鵬)はファンからの「今、力をつけている力士は?」という質問に「朝乃山」と即答し、改めて右四つ左上手の確固たる型を評価した。一方で、上手を取れないと土俵際で勝てるかどうか危ない相撲になると指摘。
同年9月場所については花田虎上が14日目の正代戦を見て「調子のいい時の朝乃山ならともかく、負けた正代戦の相撲からはケガの影響や、ここに来ての疲れを感じました」と評している。場所後、元武蔵丸の武蔵川から、立合いの甘さ、相撲の遅さ、悪い体勢から無理に右を差しに行く力任せで雑な取り口を指摘された。
出場停止後は強行出場を繰り返しているが、これについては「長期出場停止と番付降下を合わせた実質2年の空白期間もあり、これ以上時間を無駄にすることに抵抗があるため」という見方もある。
2024年3月場所中に舞の海はNHK大相撲中継の解説で、もう何年も不用意に前に出て逆転負けするパターンを繰り返していると指摘。
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
(以下、最高位が横綱・大関の現役力士)
(以下、最高位が横綱・大関の引退力士)
力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
関脇 | |||||||||||
碧山 | 6 | 3 | 阿炎 | 8 | 4 | 安美錦 | 1 | 1 | 勢 | 3 | 2 |
逸ノ城 | 0 | 2 | 勢 | 3 | 2 | 逸ノ城 | 0 | 2 | 隠岐の海 | 11 | 1 |
魁聖 | 2 | 3 | 琴勇輝 | 2 | 2 | 大栄翔 | 8 | 14(1) | 隆の勝 | 6 | 1 |
宝富士 | 8 | 2 | 豪風 | 2 | 1 | 玉鷲 | 5 | 4 | 栃煌山 | 2 | 3 |
妙義龍 | 9 | 2 | 明生 | 9 | 3 | 嘉風 | 2 | 2 | 若隆景 | 1 | 2(1) |
若元春 | 3 | 1 | |||||||||
小結 | |||||||||||
宇良 | 1 | 1 | 遠藤 | 5 | 7 | 阿武咲 | 8 | 3(1) | 松鳳山 | 2 | 0 |
千代大龍 | 1 | 2 | 翔猿 | 3 | 0 | 錦木 | 8 | 2 | 北勝富士 | 10 | 3 |
竜電 | 8 | 5 | |||||||||
前頭 | |||||||||||
熱海富士 | 2 | 1 | 荒鷲 | 2 | 1 | 石浦 | 5 | 0 | 一山本 | 2 | 0 |
炎鵬 | 1 | 1 | 王鵬 | 3 | 0 | 輝 | 3 | 5 | 旭大星 | 2 | 0 |
金峰山 | 1 | 0 | 豪ノ山 | 1 | 0 | 琴恵光 | 2 | 1 | 琴勝峰 | 1 | 0 |
佐田の海 | 6 | 2 | 志摩ノ海 | 2 | 0 | 湘南乃海 | 2 | 0 | 蒼国来 | 2 | 1 |
大奄美 | 4 | 1 | 大翔丸 | 0 | 5 | 貴ノ岩 | 1 | 0 | 尊富士 | 1 | 0 |
千代翔馬 | 3 | 0 | 千代の国 | 2 | 0 | 千代丸 | 1 | 3 | 剣翔 | 1 | 0 |
照強 | 1 | 1 | 德勝龍 | 1 | 1 | 友風 | 2 | 1 | 英乃海 | 1 | 0 |
平戸海 | 3 | 0 | 北青鵬 | 1 | 2 | 水戸龍 | 1 | 0 | 矢後 | 2 | 0 |
豊山 | 4(1) | 2 |
(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2024年3月場所終了現在、現役力士。)
2023年11月場所終了現在
2024年3月場所終了現在
2024年3月場所終了現在
2024年3月場所終了現在
一月場所 初場所(東京) | 三月場所 春場所(大阪) | 五月場所 夏場所(東京) | 七月場所 名古屋場所(愛知) | 九月場所 秋場所(東京) | 十一月場所 九州場所(福岡) | |
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2016年 (平成28年) | x | 三段目付出100枚目 5–2 | 東三段目66枚目 6–1 | 西三段目11枚目 6–1 | 西幕下36枚目 6–1 | 東幕下14枚目 5–2 |
2017年 (平成29年) | 西幕下7枚目 優勝 7–0 | 東十両12枚目 10–5 | 東十両7枚目 8–7 | 西十両5枚目 11–4 | 東前頭16枚目 10–5 敢 | 西前頭11枚目 5–10 |
2018年 (平成30年) | 西前頭16枚目 9–6 | 西前頭13枚目 8–7 | 西前頭12枚目 7–8 | 西前頭13枚目 11–4 敢 | 西前頭5枚目 7–8 | 西前頭5枚目 6–9 |
2019年 (平成31年 /令和元年) | 西前頭8枚目 8–7 | 東前頭8枚目 7–8 | 西前頭8枚目 12–3 殊敢 | 東前頭筆頭 7–8 | 西前頭2枚目 10–5 殊★ | 西小結2 11–4 技 |
2020年 (令和2年) | 東関脇 10–5 | 東関脇 11–4 | 感染症拡大 により中止 | 西大関 12–3 | 東大関 10–5 | 西大関 1–2–12 |
2021年 (令和3年) | 東大関2 11–4 | 西大関 10–5 | 東大関 7–5–3 | 西大関2 出場停止 0–0–15 | 東関脇2 出場停止 0–0–15 | 西前頭10枚目 出場停止 0–0–15 |
2022年 (令和4年) | 東十両4枚目 出場停止 0–0–15 | 西幕下2枚目 出場停止 0–0–7 | 西幕下42枚目 出場停止 0–0–7 | 西三段目22枚目 優勝 7–0 | 東幕下15枚目 6–1 | 東幕下4枚目 6–1 |
2023年 (令和5年) | 西十両12枚目 優勝 14–1 | 東十両筆頭 13–2 | 東前頭14枚目 12–3 | 東前頭4枚目 8–4–3 | 西前頭2枚目 9–6 | 東前頭筆頭 4–4–7 |
2024年 (令和6年) | 西前頭7枚目 9–3–3 | 西前頭筆頭 9–6 | x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
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