播戸 竜二(ばんど りゅうじ、1979年8月2日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者、俳優。現役時代のポジションはフォワード。元日本代表。日本サッカー協会(JFA)のアスリート委員、2021年2月1日からWEリーグの理事。2021年6月24日からは、Jリーグ選手OB会の副会長(定数は4人)にも名を連ねている。
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名前 | ||||||
愛称 | バン、バンドウ | |||||
カタカナ | バンド リュウジ | |||||
ラテン文字 | BANDO Ryuji | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1979年8月2日(44歳) | |||||
出身地 | 兵庫県姫路市 | |||||
身長 | 171cm | |||||
体重 | 67kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1998-2002 | ガンバ大阪 | 34 | (3) | |||
2000-2001 | →コンサドーレ札幌(loan) | 57 | (24) | |||
2002 | →ヴィッセル神戸(loan) | 26 | (4) | |||
2003-2005 | ヴィッセル神戸 | 72 | (26) | |||
2006-2009 | ガンバ大阪 | 97 | (28) | |||
2010-2013 | セレッソ大阪 | 56 | (17) | |||
2013 | →サガン鳥栖(loan) | 6 | (0) | |||
2014 | サガン鳥栖 | 5 | (0) | |||
2015-2017 | 大宮アルディージャ | 23 | (5) | |||
2018 | FC琉球 | 19 | (2) | |||
2019 | ガンバ大阪 | - | (-) | |||
通算 | 396 | (109) | ||||
代表歴2 | ||||||
2006-2008 | 日本 | 7 | (2) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2019年9月14日現在。 2. 2008年2月23日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
2011年に、株式会社ミスタートゥエルブを設立したうえで代表取締役に就任。Jリーグ一筋で2019年に現役を引退した後は、2020年3月12日から2022年3月11日までJリーグの特任理事を務めていた。
姫路市立琴丘高等学校のサッカー部 在籍中にはキャプテンを務める一方で、国民体育大会サッカー競技の兵庫県代表チームに選ばれていた。3年生の最後の大会(選手権県予選)では加地亮や朴康造を擁する滝川第二高校の前に決勝で敗退した。
琴丘高校の卒業生である森下洋一(当時の松下電器産業社長)の後輩という縁で、3年生だった1997年の秋に、同社が運営に携わるガンバ大阪の入団テストへ参加。翌1998年に、月給10万円という条件で、練習生として入団した。同期には新井場徹や橋本英郎などの好選手が多く、公式戦への出場機会に恵まれないまま、2000年シーズンにコンサドーレ札幌へ期限付き移籍。岡田武史監督(当時)の下でレギュラーに起用されると、クラブのJ1リーグ昇格・残留を経験する。この間、U-19/U-20日本代表でも活躍。黄金世代の1人として、1999 FIFAワールドユース選手権のメンバーにも選出され途中出場で5試合に出場、2001年にはA代表候補合宿にも招集された。
2002年からは地元ヴィッセル神戸に期限付き移籍で加入し、三浦知良と共に中心選手として活躍。リーグ最終戦では残留を大きく手繰り寄せる2ゴールの活躍を見せ、クラブを残留へ導いた。翌2003年は完全移籍を果たす。2004年はJ1で17得点を挙げ、名古屋のマルケスと並び、得点ランク3位になったが、2005年はこれまで以上の他クラブの研究やマークに苦しみ、自身は怪我で半年近く離脱したこともありチームの成績も低迷、J2降格となる。シーズンオフに年俸の大幅ダウン提示を受けたことなどに伴い神戸を退団し、2006年は古巣のG大阪に復帰。史上40人目のJ1通算50得点を達成し、6試合連続ゴールを記録するなどスタメン出場するたびに得点を挙げ続け、A代表初選出。10月4日のキリンチャレンジカップのガーナ戦で初出場、10月11日のアジアカップ2007予選・インド戦で初先発・初得点を記録した。リーグ終盤は足首の怪我を押して試合に出た影響でコンディションを落としたものの、キャリアでは2番目の数字となる16得点を挙げた。
2007年は、甲府からFWバレーが加入したこともあり、スーパーサブとしての起用が多くなるが、マグノ・アウベス、バレー不在時にはスタメンをはり、ゴールをあげつづけた。
2008年は足首の故障や肝機能障害などで長期離脱したが、ACLで貴重なゴールをあげるなど、重要な役割を果たし、天皇杯決勝・柏戦では途中出場で決勝点をあげ、優勝に貢献した。
2009年、レアンドロやチョ・ジェジン、ペドロ・ジュニオールといった新外国人FWの加入などもあり、出場機会のほとんどは試合終盤での途中交代だった。結局この年はリーグ戦21試合出場2得点と昨季に続いて振るわず、シーズン終盤の同年11月4日に自身のブログでガンバ大阪を退団することを発表した。
2010年、ガンバ大阪からセレッソ大阪へ完全移籍。移籍1年目は途中交代での出場が多かったが、18試合で5得点を挙げた。
2011年、8月20日の清水戦、9月10日の広島戦では途中出場ながらハットトリックを達成した。
2013年、セレッソではナビスコカップへ2試合出場したものの、リーグ戦への出場機会はなかった。7月27日からは、2014年1月31日までの期限付きでサガン鳥栖へ移籍。2001年まで在籍していた札幌以来、11シーズン振りに関西圏以外のJリーグチームへ活躍の場を移している。また、背番号は9となり、プロ入り後初めて一桁の番号を背負うことになった。
2014年、サガン鳥栖へ完全移籍。
2015年、大宮アルディージャへ完全移籍。シーズン序盤は中々出番が無かったが、第12節から7試合連続で先発。移籍後初得点を、初先発の第12節ギラヴァンツ北九州戦で記録。第24節アビスパ福岡戦では、キャリア4度目のハットトリックを記録。Jリーグ在籍日本人としては最年長記録である。2017年、12月18日に契約満了が発表された。
2018年、FC琉球へ完全移籍。J3リーグでのプレーは初めてだったが、リーグ戦19試合で2得点を挙げるなど、クラブのJ2リーグ初昇格の一翼を担った。同年12月に、契約満了で退団。
2019年には、「フリーランスのサッカー選手」として、サッカー関連の番組へゲストで随時出演していた。当初は「今はサッカーをいったん休憩中だが、選手生活からは一生引退しない」と公言していたが、特定のクラブへ所属しないまま、後に引退を決意。9月14日には、古巣クラブ同士が相対するJリーグ・ガンバ大阪対鳥栖戦(パナソニックスタジアム吹田)の試合前に引退セレモニーを催すことを前提に、ガンバとの間でJリーグクラブとしては異例の1日限定契約を結んだ。セレモニーに臨んだ播戸は、山内隆司社長から渡された胸番号29・背番号11のユニフォーム姿で、この日を最後にプロサッカー選手を引退することをサポーターに報告。引退後の意向として、サッカークラブの経営者、Jリーグチェアマン、日本協会会長のような立場でサッカーへ携われるように研鑽を積むことも明かした。なお、12月開催のJリーグアウォーズでは、Jリーグ理事会からJリーグ功労選手賞を授与されている。
2020年には、Jリーグから3月12日付でJリーグ特任理事(非常勤)に選任された。任期は、2022年3月11日までの2年間。その一方で、サッカー解説者としての活動も本格的に始めた。さらに、JFAが5月から新設した「アスリート委員会」にも委員として参加している。
2021年には、WEリーグ(この年から発足した女子プロサッカーリーグ)の理事に2月1日付で就任。6月24日からは、Jリーグ選手OB会の副会長を都並敏史・中田浩二・石川直宏と共に務めている。その一方で、『孤狼の血 LEVEL2』(8月20日公開の実写映画)で俳優デビューを果たすと、2023年には『リボルバー・リリー』(綾瀬はるか主演の実写映画版)で坪井慶介(自身と同い年の元・サッカー日本代表DF)や綾瀬と共演している。
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1998 | G大阪 | 29 | J | 13 | 2 | 4 | 1 | 1 | 0 | 18 | 3 |
1999 | 18 | J1 | 21 | 1 | 2 | 0 | 2 | 0 | 25 | 1 | |
2000 | 札幌 | 11 | J2 | 30 | 15 | 1 | 0 | 1 | 1 | 32 | 16 |
2001 | J1 | 27 | 9 | 1 | 0 | 1 | 0 | 29 | 9 | ||
2002 | 神戸 | 13 | 26 | 4 | 5 | 0 | 0 | 0 | 31 | 4 | |
2003 | 27 | 7 | 6 | 0 | 3 | 1 | 36 | 8 | |||
2004 | 28 | 17 | 5 | 3 | 1 | 0 | 34 | 20 | |||
2005 | 18 | 2 | 6 | 0 | 0 | 0 | 24 | 2 | |||
2006 | G大阪 | 11 | 30 | 16 | 2 | 0 | 4 | 1 | 36 | 17 | |
2007 | 31 | 9 | 10 | 2 | 4 | 2 | 45 | 13 | |||
2008 | 15 | 1 | 1 | 0 | 5 | 1 | 21 | 2 | |||
2009 | 21 | 2 | 2 | 0 | 3 | 1 | 26 | 3 | |||
2010 | C大阪 | 18 | 5 | 5 | 1 | 3 | 1 | 26 | 7 | ||
2011 | 21 | 10 | 1 | 0 | 4 | 2 | 26 | 12 | |||
2012 | 17 | 2 | 4 | 1 | 2 | 0 | 23 | 3 | |||
2013 | 0 | 0 | 2 | 0 | - | 2 | 0 | ||||
鳥栖 | 9 | 6 | 0 | - | 1 | 1 | 7 | 1 | |||
2014 | 5 | 0 | 4 | 2 | 0 | 0 | 9 | 2 | |||
2015 | 大宮 | 11 | J2 | 22 | 5 | - | 3 | 1 | 25 | 6 | |
2016 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | ||
2017 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | |||
2018 | 琉球 | J3 | 19 | 2 | - | 1 | 0 | 20 | 2 | ||
通算 | 日本 | J1 | 325 | 87 | 63 | 11 | 36 | 10 | 424 | 108 | |
日本 | J2 | 52 | 20 | 1 | 0 | 4 | 2 | 57 | 22 | ||
日本 | J3 | 19 | 2 | - | 1 | 0 | 20 | 2 | |||
総通算 | 396 | 109 | 64 | 11 | 38 | 11 | 501 | 132 |
その他の公式戦
国際大会個人成績 | FIFA | |||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2006 | G大阪 | 11 | 6 | 1 | - | |
2008 | 7 | 2 | 3 | 0 | ||
2009 | 4 | 0 | - | |||
2011 | C大阪 | 3 | 1 | - | ||
通算 | AFC | 20 | 4 | 3 | 0 |
その他の国際公式戦
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2006 | 2 | 2 |
2007 | 1 | 0 |
2008 | 4 | 0 |
通算 | 7 | 2 |
# | 開催年月日 | 開催地 | スタジアム | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
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1. | 2006年10月11日 | バンガロール | バンガロール・スタジアム | インド | ○ 3-0 | AFCアジアカップ2007予選 |
2. |
現役引退後のレギュラー番組のみ記載
いずれも、ガンバ大阪の現役選手時代に出演。
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