恵方巻、恵方巻き(えほうまき)とは、節分に恵方を向いて食べると良いとされる、一種の縁起物である「切り分けられていない太巻き寿司のこと」。
関西圏においては、恵方に向かって太巻き寿司(「丸かぶり」「丸かぶり寿司」とも呼ばれる)を無言で頬張りながら食べると願いが叶う、という独自の食文化・風習である。
商都大阪発祥の風習と言われているが、その起源の定説は未だ存在せず不明な点が多い。 1998年頃から全国へ広がり、2000年代以降に急速に広まったと言われるが、それ以前に「恵方巻」と呼ばれていたという文献類は見つかっていない。
そもそも、現代日本で用いられている新暦(太陽暦)へ改暦する前の旧暦(太陰太陽暦)の1月(睦月)は新暦の2月頃に当たり、睦月は春を意味していた。つまり、「正月」前日の「大晦日」が即ち「立春」前日の「節分」とされ、「年越し」であった。明治時代の辞書では、年越しは「大晦日と節分」とされている。
節分の「追儺」(豆まきと鬼)は元々宮中大晦日の行事であった。歳徳神のいる明け方・「恵方」へ歳徳棚の向きをあわせ餅を飾り年神を迎える正月の習慣は、今も平安京内裏南にある神泉苑で行われる大晦日の歳徳神恵方廻し(方違え式)にて観られ、吉田神社の節分・追儺式では今も節分の年越しそばが食されている。
現在は「節分の夜に、恵方に向かって願い事を思い浮かべながら丸かじり(丸かぶり)し、言葉を発せずに最後まで食べきると願い事がかなう」とされる。「目を閉じて食べる」、あるいは「笑いながら食べる」という人もおり、これは様々である。また太巻きではなく「中細巻」や「手巻き寿司」を食べる人もいる。近畿地方の表現である「丸かぶり」という言葉から、元々は商売繁盛や家内安全を願うものではなかった、との考察もある。民俗学において、フォークロリズムに関する研究題目として扱われる事がある。その他には「幸運巻寿司」「恵方寿司」「招福巻」などとも呼ぶ。
太巻きには7種類の具材を使うとされる。その数は商売繁盛や無病息災を願って七福神に因んだもので、福を巻き込むと意味付けされる。別の解釈もあり、太巻きを逃げた鬼が忘れていった金棒(鬼の金棒)に見立てて、鬼退治と捉える説もある。具材は特定の7種の素材が決まっているわけではないが、代表例として以下が用いられる(なお、7種類ではない場合もある)。
また、大正時代から昭和時代初期には漬物が度々挙げられた。他にも焼き紅鮭、かまぼこ(カニ風味かまぼこ)、高野豆腐、しそ(大葉)、三つ葉(ほうれん草)、しょうが、菜の花、ニンジンなどが使われることがある。
2000年代以降ではサーモン、イクラ、イカ、エビ、まぐろ(ネギトロ・漬けマグロ)などを使い「海鮮恵方巻」と称して店頭で売られていることもある(後述)。具材の種類数でも7種にこだわらず、2種や5種などと少なくしたり、11種・12種・15種など多くする場合もある。
江戸東京博物館の学芸員である沓沢博行は、恵方巻の起源説を以下のように整理している。
- 幕末から明治時代初頭に、大阪・船場で商売繁盛、無病息災、家内円満を願ったのが始まりで、一説には若い女性の好きな人と一緒になりたいという願望から広く普及したとする説。(すし組合のチラシより)
- 船場の色街で女性が階段の中段に立って、丸かじりして願い事をしたらかなったという故事にちなむとする説。(スーパーU社のチラシより)
- 節分のころは新しい香の物が漬かる時期で、江戸時代中期、香の物入りの巻き寿司を切らずに丸のまま恵方を向いて食べ、縁起をかついだ。これが、やがて節分に恵方を向いて、巻きずしを丸かぶりすると、その年の福がさずかるという招福の習わしになったとする説。(スーパーD社のチラシより)
- 船場の旦那衆が節分の日に、遊女に巻きずしを丸かぶりさせて、お大尽遊びをしていたことに端を発するという説(当時の大阪海苔問屋協同組合事務局・藤森秀夫からの聞き取り)
- 戦国時代の武将(堀尾吉晴といわれる) が、節分の日に丸かぶりして出陣したら戦に勝ったので、以後瑞祥としたことに端を発するとする説。(藤森秀夫からの聞き取り)
上記の説は岩崎竹彦が、スーパーなどのチラシに書かれた説と、彼の調査が行われた1990年当時、大阪海苔問屋協同組合の事務局長の職に就いていた藤森秀夫からの聞き取りで得られた由来とをまとめたものである。
— 沓沢博行、 現代人における年中行事と見出される意味-恵方巻を事例として-、2009年
なお、古来商家が集中する大坂の中心業務地区である問屋街であった船場に色街が存在したという歴史はない。
沓沢は、篠田統の『すしの本』(1970年)を参照して、大阪市上本町の鮨店「美登利」の店主の「大正初めには存在していた」という証言が、「辿れる『確からしい』記録の中ではもっとも古い時期を示すものとなる」とした(「美登利」は1940年に後述の大阪鮨商組合の広告チラシを配布している)。
節分と巻きずし 四十四年の節分の日、日本風俗史学会食物史分科会の月次例会の席上、大阪市立博物館の平山敏治郎館長から「ここへ来る途中、阿部野橋のすし屋の表に本日巻きずし有りという広告を見たが、何のことかしら」という質問があり。美登利鮓の久保登一の返事に、節分に巻きずしを食べる風は大正初めにはすでにあった。おもに花街で行われ、ちょうど新こうこうが漬かる時期なので、その春の香の物を芯に巻いたノリ巻きを、切らずに全のまま、恵方のほうへ向いて食べる由。老浪華人の[塩路吉兆老も今日まで知らなんだ、と言われる。もちろん、私も初耳だ。普通の町家ではあまりやらないようだ。全国ではどうだろうか。 — 篠田統、 すしの本、1970年
大阪鮓商組合が1932年に配布した「巻壽司と福の神 節分の日に丸かぶり」と題する広告チラシが、大阪心斎橋にあった鮨店「本福寿司」に残っている。
巻壽司と福の神 節分の日に丸かぶり
この流行は古くから花柳界にもて囃されてゐました。それが最近一般的に喧傳して年越には必ず豆を年齡の數だけ喰べるやうに巻壽司が喰べられてゐます。
これは節分の日に限るものでその年の惠方に向いて無言で壹本の巻壽司を丸かぶりすれば其年は幸運に惠まれると云ふ事であります。
宣傳せずとも誰云ふともなしに流行って來た事を考へると矢張り一概に迷信とも輕々しく看過すべきではない。
就ては本年の幸運をば是非平素御愛顧蒙る御得意樣にも斯樣な事も御承知能ひ永續の御繁榮を切に乞ふ譯であります。
一家揃ふて御試食を願ひ本年の幸運をとり逃さぬやうお勸め申します。
昭和七年節分二月四日 惠方西北(亥子ノ間)
幸運巻壽司 一本金拾五錢 大阪鮓商組合 — 大阪鮓商組合 チラシ
やはり大阪鮓商組合が1940年に配布した「幸運巻寿司 節分の日に丸かぶり」と題する広告チラシも大阪歴史博物館に所蔵されている。
幸運巻寿司 節分の日に丸かぶり
巳の日に巳壽司と云ふてお壽司を喰べるやうに毎年節分の日にその年の惠方に向つて巻壽司を丸かぶりすると大變幸運に惠まれるという習しが昔から行事の一つとなつてゐて年々盛になつてゐます。
お得意様にも一家揃ふて御試食願ひ本年の幸運をとり逃さぬやうお勧め申上ます
昭和十五年 節分 二月四日 惠方西(申酉の間)
幸運巻寿司一本金廿銭 大阪市東区上本町一丁目美登利
御得意様 (昭和十五年二月 大阪鮨商組合後援會發行)
1949年、大阪鮓商組合が土用の丑の日に鰻を食べる習慣に対抗する販売促進手段として、戦前に行っていた「節分の丸かぶり寿司」の広告を復活させたとされる。
大阪・船場の鮨店「吉野寿司」の大山雄市が、1955年ごろの節分に巻きずしの丸かぶりを目撃したと証言している。
大阪ずしの老舗「吉野寿司(すし)」(大阪市中央区)の大山雄市さん(68)は「兵庫県のすし屋に入った1955(昭和30)年ごろの節分の夜。出前先で、仕事にあぶれた芸者衆が巻きずしを丸かぶりしていた。行儀悪いのに女の人がなぜこんなことを、と思ったが『いいだんなに巡り合えますように』という願掛けの意味があると教わった」と話す。「当時はごく一部の風習だと思っていた。後にこんなに盛り上がるとは」と驚く大山さんは「おせち料理のゴボウのように、長いもの、丸いものは縁起物の一つ。縁起物を食べて願いをかなえたい、何かにすがりたい、という思いは今の人も同じでしょうね」 — 毎日新聞、[食]巻きずしの「丸かぶり」 ガブリ、もぐもぐ…「幸せ来〜い!」、2004年1月26日
1956年に刊行された岡部伊都子のエッセイ集『おむすびの味 続』には以下のように書かれている。
今日二月四日は、幸福をよぶ節分でございます。昔から大阪では、塩づけの赤鰯を焼いて食べたり、幸運の巻きずしを食べたりいたします。
(中略)
幸運の巻きずしというのは、幸運を丸々かぶるという意味から、切らないで長いままの巻きずしを、かぶって食べるのです。 — 岡部伊都子、『おむすびの味 続』
1800年代のある年の節分の日に、大阪近郊の申村(現在の此花区伝法付近と比定)に住む老若男女が集まり、巻寿司を食す時に、切り分ける手間を省くために一本丸かぶりをしたというエピソードを、京都の鮨店が聞いて1960・1961年に売り出したとする説もある。
1962〜1964年度の民俗調査をまとめた『日本民俗地図』、大正末から昭和初期に食事の担当者だった人への聞き取り調査をまとめた『日本の食生活全集』を参照しても、立春の節分に巻き寿司を食べる記載は見つけられておらず、節分に寿司類を食すると記録されていたのは五目ちらし(東京)、五目ずし・にぎりずし(静岡県)、すし(徳島県・愛媛県)であった。
1960年代後半には、大阪の海苔問屋協同組合とすし組合が連携し、行事普及活動の一環として飛行機をチャーターして広告ビラを撒いた。ただしこれは、経費過多により1回のみの実施に終わった。
この時期、4代岡本文弥のエッセイ「品変る」(『ぶんやぞうし』新日本出版社、1980年、28-29頁)によると、大阪で節分をすごしたときに、「福ずし」と呼ばれる「馬の陽物大の海苔巻き」を「恵方に向かってかしこまる。それぞれ願い事を念じつつ福ずしを食べ終れば念願成就の由、但し口をきいたらダメ」という風習に出会ったことが記されている。なお、「少したべても『頂きました』の挨拶で許される」とのことである。
1973年から大阪海苔問屋協同組合が作製したポスターを寿司屋が共同で店頭に貼り出し、海苔を使用する太巻きを「幸運巻ずし」として販促キャンペーンが展開された。
1974年に大阪の海苔店経営者らがオイルショック後の海苔の需要拡大を狙いとして「巻き寿司早食い競争」を節分のイベントで開始、1977年に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った同イベントがマスコミに取り上げられたこと、関西厚焼工業組合も同時期に宣伝活動を開始したこと、などが契機となって徐々に知名度が上がり浸透していく。
その後も大阪では、1月最終日曜日にとんぼりリバーウォークで「巻き寿司早食いコンテスト」が継続しているほか、節分当日に大阪天満宮で「1000人巻き寿司丸かぶりイベント」が行われている。
小僧寿しは1980年代中盤より「縁起巻」(1986年商標出願、1989年登録)の名称で全国展開を行い、毎年キャンペーンを行っていたものの然程ブームにはならなかった。
その後、「セブン-イレブンが丸かぶり寿司に目を付け、「恵方巻」として展開したことで本格的な普及がなされる」ことになる。1989年、広島市にある加盟店7〜8店舗を担当していた「オペレーション・フィールド・カウンセラー」が加盟店オーナーとの会話の中で恵方巻の存在を知り、新たなイベントとして広島市のセブン-イレブンが販売を開始。1990年以降販売エリアを広げ、1995年から西日本に販売エリアを拡大、1998年に全国展開をしたことで急速に普及した。
スーパーマーケットでは、ダイエーが関西地方で1980年代頃には販売を行っており、関東地方の一部地域では1990年代前半から販売開始、ジャスコ(現:イオン)では1992年から全国同時に販売を開始、などのように同小売業態でも宣伝活動が行われるようになった。2000年代に入ると全国の各コンビニエンスストアを中心に販売促進キャンペーンが行われた。2000年代以降は地方の小規模スーパーや個人経営店も参入する動きがある。
2000年、磐裂根裂神社(栃木県下都賀郡壬生町)の節分祭で太巻きを食べる行事を、同県内の神社で初めて取り入れた。同神社では、節分祭の参列者に振る舞われる「夢福巻き寿司」という太巻きがあり、境内には風水の方位盤の上に建つ「福巻寿司発祥の地」の石碑がある。宮司が神事を執り行った後、拝殿内で太さ約5cm、長さ約20cmの太巻きを配り、太鼓の合図とともに全員が今年の恵方を向いてその太巻き寿司を丸かぶりする。太巻きを鬼の金棒に見立てて「邪気を祓う」という意味があり、切らずに長いまま太巻きを食べることで「縁を切らない」、「福を巻く」という意味も含まれ、祓鬼来福の祈念を行うものとされる。
ミツカンの調査による恵方巻の認知度は、全国平均は2002年時点の53 %が、2005年には88 %となり、マイボイスコムの調査では、「認知度」と「食べた経験」に関して増加傾向となっているが、「実際に食べた」と答えた人の全国平均は2006年の時点で54.9%である。2018年のアンケートでは、全国での恵方巻きの認知率は84.2 %、喫食率は61.1 %となった。
2007年の日本全体での販売本数は約3000万本。2008年2月2日と2月3日の2日間で、セブン-イレブンだけで388万本、コンビニ大手3社で約700万本が売れたという。
また、「実際に恵方巻を食べるか」についての地域差は大きく、2008年12月後半にアイシェアが行った調査では、関西・中国・四国にて「実際に食べる」が半数以上占めたのに対し、関東では6割が「食べない」などの結果が出ている。
2011年に博報堂生活総合研究所が三大都市圏で調査をし、節分行事で何をしたか聞いたところ、「恵方巻きを食べた」との答えが48 %、「豆まきをした」との答えが44 %となり、恵方巻を食べたと答えた人が豆まきをした人を上回り、全国規模の行事として定着したことを示した。
商業的に売り上げの落ちる1月後半から2月初旬の販売イベントとして、主にコンビニを中心とし、スーパーなどの店舗にて各地で展開。前述の道頓堀での販売促進イベントの影響もあった。
関西厚焼工業組合の宣伝活動は広範囲で行われ、1987年頃には「幸運巻ずし」の宣伝ビラが関西地方以外にも九州地方や岐阜市・浜松市・新潟市などの各都市に向けて送付された。関東では川崎の若宮八幡宮がこの年より恵方巻行事を開始している。
2024年1月、自見英子・消費者担当大臣は、記者会見で、節分の「豆」と共に、「恵方巻き」について窒息事故への注意を呼びかけた。
関連する新たな展開として、節分が2月だけではなく年に4回あることに着目した大手スーパーのイオンが、2010年から「夏の恵方巻」(8月)「秋の恵方巻」(11月)の発売を開始した。
2011年、夏の恵方巻はスーパーマーケットやコンビニ業界で行われた。スーパー関係では引き続きイオン、コンビニ関係ではファミリーマートが新たに展開を始めた。
2012年、夏の恵方巻では新規参入が増えて幅広く行われた。スーパー関係では引き続き展開しているイオンではドラえもんを利用した商品を発売したほか、新たにサミットやヤオコーなどが夏の恵方巻に参入。コンビニ関係では引き続き夏の恵方巻を展開しているファミリーマートに加え、セブン-イレブンやサークルKサンクスも追随するなど、年々動きが広がっている。
春の恵方巻(5月)については、同時期に端午の節句が存在しているため新たな商戦を行う必然性が薄かったが、夏秋の恵方巻が定着するにつれ、徐々に売り出す店が出てきている。
全国への広まり方はバレンタインデー・ホワイトデー・オレンジデーの菓子贈答と同じく、節分に関連する商業的イベントとして、海苔業界やコンビニ業界など関係業界の主導のもと、恵方巻を巧みに利用して販売促進を目的と批判の声がある。2000年代後半以降は恵方巻の他に便乗商品に関連する商戦が過熱化している。
節分に関係の深い食材である豆やイワシに比べ、恵方巻は様々なアレンジが可能であることから新たな商品開発が行われ、2000年代以降には本来の「太巻き寿司」だけではなく「海鮮巻き」「ハーフサイズ」など食材・大きさの多種類化や「阪神タイガースバージョン 虎十巻」のような公認グッズが出現した。また、東武百貨店などの百貨店でも中華・洋風といった複数種類の恵方巻を用意した。2013年には金箔を圧着させた焼海苔を使った恵方巻が数量限定で発売された。
また、本来の太巻きとは全く関係が無い食べ物にも恵方巻を模した商品が各種展開されている。例として以下のようなものがある。
2017年に売店側が大量に恵方巻を生産し、コンビニの『従業員・アルバイトに販売ノルマや自爆営業といった形で強制的に引き受けさせた事実』を訴える従業員・アルバイトによるツイートで問題か発覚し、世間の批判が起こるという恵方巻騒動が起きた。同年の恵方巻き騒動以降から、売れ残った恵方巻きが廃棄される食品ロスが社会問題となったこと、翌2018年から農林水産省も「恵方巻について需要に見合う販売」を行うよう、コンビニエンスストアやスーパーマーケットの関係団体に文書で通知する異例の対応も行われ、翌々年の2019年5月には「食品ロス削減推進法案」が成立する見込みになった。それに加えて、廃棄商品の加盟店(フランチャイズ店舗)負担が問題視された。
これらのこともあり、その経緯から、ファミリーマートやイオンなど、コンビニ・スーパー各社は、2019年度から予約販売を強化するなど、出来るだけ売れ残りや廃棄商品を減らす顧客・加盟店・本部の三方にメリットある対策の仕組みを施策構築へ乗り出し始めた。
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