南野 拓実(みなみの たくみ、1995年1月16日 - )は、大阪府泉佐野市出身のプロサッカー選手。リーグ・アン・ASモナコ所属。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。日本代表。
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リヴァプールFC時代(2021年) | |||||||||||||||||||||||
名前 | |||||||||||||||||||||||
愛称 | タキ、モナ王 | ||||||||||||||||||||||
カタカナ | ミナミノ タクミ | ||||||||||||||||||||||
ラテン文字 | MINAMINO Takumi | ||||||||||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1995年1月16日(29歳) | ||||||||||||||||||||||
出身地 | 大阪府泉佐野市 | ||||||||||||||||||||||
身長 | 174 cm | ||||||||||||||||||||||
体重 | 68 kg | ||||||||||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||||||||||
在籍チーム | ASモナコ | ||||||||||||||||||||||
ポジション | MF / FW | ||||||||||||||||||||||
背番号 | 18 | ||||||||||||||||||||||
利き足 | 右足 | ||||||||||||||||||||||
ユース | |||||||||||||||||||||||
2004-2007 | ゼッセル熊取FC | ||||||||||||||||||||||
2007-2009 | セレッソ大阪U-15 | ||||||||||||||||||||||
2010-2012 | セレッソ大阪U-18 | ||||||||||||||||||||||
クラブ1 | |||||||||||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | ||||||||||||||||||||
2012-2014 | セレッソ大阪 | 62 | (7) | ||||||||||||||||||||
2015-2019 | レッドブル・ザルツブルク | 136 | (42) | ||||||||||||||||||||
2020-2022 | リヴァプールFC | 30 | (4) | ||||||||||||||||||||
2021 | → サウサンプトンFC(loan) | 10 | (2) | ||||||||||||||||||||
2022- | ASモナコ | 18 | (1) | ||||||||||||||||||||
代表歴2 | |||||||||||||||||||||||
2009-2012 | 日本 U-17 | 15 | (6) | ||||||||||||||||||||
2011-2014 | 日本 U-20 | 8 | (5) | ||||||||||||||||||||
2015-2016 | 日本 U-23 | 14 | (4) | ||||||||||||||||||||
2015- | 日本 | 58 | (20) | ||||||||||||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。2024年1月10日現在。 2. 2024年3月21日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
小学生時代はゼッセル熊取FCに所属。当時のチームメイトに室屋成がいた。2007年、複数のJアカデミーからのオファーの末、泉佐野市立第三中学校入学と同時にセレッソ大阪U-15へ入団。
2009年、第24回日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会でベスト8まで勝ち進み、得点王を獲得。
2010年、セレッソ大阪U-18へ昇格。プリンスリーグ関西1部第1節神戸市立科学技術高等学校戦でいきなりハットトリックを達成し勝利に貢献すると、その後も負けなしで優勝を飾った。
2011年、プレミアリーグウエストで得点ランキング4位の9得点を記録したほか、第19回Jリーグユース選手権大会では、8試合で13得点を挙げて得点王を獲得した。
2012年8月、秋山大地とともにトップチームの2種登録選手となり、J1第32節大宮アルディージャ戦で公式戦初出場。チームのJ1残留がかかった最終節川崎フロンターレ戦で公式戦初先発・フル出場を果たし、天皇杯4回戦清水エスパルス戦で公式戦初得点を記録した。同年、プレミアリーグウエストで16得点をあげ、得点ランキング2位の成績を残した。
2013年、秋山大地、岡田武瑠、小暮大器とともにトップチームへ昇格。柿谷曜一朗から背番号13番を引き継いだ。第1節・アルビレックス新潟戦からスターティングメンバーに抜擢され、高卒ルーキーとしてはクラブ史上初の開幕スタメン入りを果たすと、第14節・ジュビロ磐田戦でリーグ戦初得点を記録し、大久保嘉人が保持していたクラブのJ1リーグ戦最年少得点記録(18歳10ヶ月5日)を更新した(18歳5ヶ月20日)。同年7月26日、親善試合・マンチェスター・ユナイテッド戦でチーム全得点に絡む活躍を見せ、ユナイテッドの選手や監督から高い評価を得た。リーグ戦、最終節では2得点の活躍を見せた。試合後、退任が決まっていたレヴィークルピ監督は「今シーズンを通して、もし今日のように中央でよりゴールに近いポジションでプレーをしていれば、もっとゴールを決めることができたと思う。それができなかったのは、私の監督としての責任でもあります。いろいろな事情があって、サイドでしっかり守ってから攻撃にいくという役割を、自分を犠牲にしてチームのためにやってくれた。今日のようにゴールに近い、中でプレーをすれば日本のサッカー界を背負って立つ、将来明るい選手であると思います。」と話した。ルーキーイヤーながらチームの主力としてリーグ戦出場29試合5得点(カップ戦を含め38試合8得点)という成果を残し、Jリーグベストヤングプレーヤー賞を受賞した。
2014年、前年の躍進から自身、クラブ共に大きな期待を受けて迎えたシーズンだったが、新監督を迎えたチームは開幕から勝ち点を伸ばせず、度重なる監督交代を経て17位に沈み、J2へ降格。監督交代が続く中で、柿谷曜一朗、 ディエゴ・フォルラン、扇原貴宏ら他のチームメイトと同様に長所を発揮できず、自身もリーグ戦2得点に留まり、シーズン中に2度の一発退場処分を受けるなど、不本意な成績に終わった。
2015年1月6日、オーストリア・ブンデスリーガのFCレッドブル・ザルツブルクに完全移籍することが発表された。FCレッドブル・ザルツブルク史上5人目のアジア人選手となった。背番号は18番。2月14日、リーグ戦第20節のSCウィーナー・ノイシュタット戦で右MFとして先発デビュー。3月4日、リーグ第23節FCアドミラ・ヴァッカー・メードリング戦で2ゴールを決め、移籍後リーグ初ゴールを記録した。5月24日、リーグ第33節ヴォルフスベルガーAC戦に先発出場し、アシストを記録してチームのリーグ優勝を飾った。
2015-16シーズン、初戦となった7月18日のオーストリア・カップ1回戦でシーズン初得点。8月11日、リーグ戦第4節のSVリート戦で初先発し、2得点をあげる活躍で勝利に貢献。8月27日、UEFAヨーロッパリーグのFCディナモ・ミンスク戦に出場し、1得点をあげたがチームはプレーオフで敗退した。リーグ戦では主力としてシーズン10得点をあげる活躍を見せ、チームの優勝に貢献した。
2016-17シーズン、2017年2月19日に行われた第22節のSVリート戦でプロ入り初のハットトリックを含む、3得点1アシストの活躍をみせた。4月2日、第27節のSCラインドルフ・アルタッハ戦では2得点1アシストをマークして2年連続2桁得点をあげた。
2017-18シーズン、UEFAチャンピオンズリーグ予選2回戦のヒバーニアンズFC戦で今季初得点を決めた。7月22日、リーグ戦開幕戦のヴォルフスベルガーAC戦で得点を決めた。11月5日、負傷で離脱をしていたが第14節のSKNザンクト・ペルテン戦で先発すると2得点をあげた。2018年2月14日、UEFAヨーロッパリーグ・ラウンド32の1stレグ、レアル・ソシエダ戦でEL初得点を決めた。リーグ戦最終節ではフル出場して優勝に貢献、チームは5連覇を達成した。
2018-19シーズン、2018年9月2日に行われた第6節のFCアドミラ・ヴァッカー・メードリング戦で今季リーグ戦初得点を決めた。11月8日、UEFAヨーロッパリーグ・GS第4節のローゼンボリBK戦で日本人史上初のハットトリックを決める活躍を見せた。リーグ戦第29節、フル出場してチームの6連覇に貢献した。
2019-20シーズン、2019年8月17日に行われた第4節のSKNザンクト・ペルテン戦では今季3点目を決めて、開幕から4試合で3得点の活躍を見せた。9月27日、UEFAチャンピオンズリーグ・GS第1節のKRCヘンク戦でCLデビューを果たし、2アシストの活躍を見せた。移籍当初は「早く結果を出して2、3年でステップアップしたいと思っていた」が、ザルツブルクでの在籍期間は5年間にも及んだ。その間は日本代表にも定着できず、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃す年が続くなど、自宅の壁に貼っていた「ビッグクラブでスタメンでプレーする。チャンピオンズリーグに出る」という目標が遠のいた。しかし、遠くの夢に向けて「そのために今季いくつゴールを取って、次の試合に出るためにこういうところを意識する」といった近い目標も記し続け、「自分の目標がブレなかった」「ビッグクラブでプレーしたい、スタメンになりたい気持ちは常にあった。そのために海外に行って、プレーして、その目標のために頑張ってきたので」。その気持ちは2019年秋、ついに報われることになった。10月3日のチャンピオンズリーグ・GS第2節、黄喜燦からのクロスボールをペナルティエリア外からダイレクトボレーシュートでゴールし、フィルジル・ファン・ダイクのマークを外して、アーリング・ハーランドのゴールをアシストするなど、前回大会王者リヴァプールFCに対し1ゴール1アシストの活躍を見せた。試合には3-4で敗れたが、このパフォーマンスがキャリアを大きく切り拓いた。
2019年12月19日、プレミアリーグのリヴァプールFCに翌年1月1日より加入する事で合意した。リヴァプールFC史上初のアジア人選手となった。
契約期間は4年半。背番号はザルツブルク時代と同じ18番。英ガーディアンの報道では、CLで対戦したリヴァプールのフィルジル・ファン・ダイクやジョーダン・ヘンダーソンがユルゲン・クロップ監督へ南野の獲得を提言したとされていたが、DAZNのサッカー番組「内田篤人のFootballTime」内で、現在代理人を務める秋山祐輔氏が試合後、リヴァプール側に獲得を打診したことがきっかけだったと明かされた。2020年1月5日、FAカップ3回戦のエヴァートンFC戦に先発出場し、移籍後初出場。1月23日のプレミアリーグ第24節ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC戦では、前半33分に負傷したサディオ・マネとの交代でプレミアリーグ初出場を果たした。3月12日のアトレティコ・マドリード戦の2ndレグで移籍後初のチャンピオンズリーグ出場を果たした。このシーズンは控えの立場だったが、リヴァプールは30年ぶりのリーグ優勝を果たし、南野は日本人4人目のプレミアリーグ優勝経験者となった。
2020-21シーズンの初戦となった2020年8月29日に行われたFAコミュニティ・シールドのアーセナルFC戦に途中出場し、後半28分に移籍後15試合目にして初得点を決めた。なお、リヴァプールの選手としては、移籍後初ゴールをウェンブリー・スタジアムで決めた初の選手となった。9月24、EFLカップ3回戦のリンカーン・シティ戦で移籍後初の2ゴールを決めて勝利に貢献した。12月19日のクリスタル・パレスFC戦ではモハメド・サラーに代わって先発出場。開始3分にプレミア初得点となる先制ゴールを決め、7-0の大勝に貢献した。
2021年2月2日、サウサンプトンFCにシーズン終了までのレンタルで移籍した。サウサンプトンFC史上3人目のアジア人選手となった。背番号は19番。2月6日、ニューカッスル・ユナイテッドFC戦に先発出場し、前半30分には移籍後初出場でゴールを挙げたが、チームは2-3で敗戦。2月20日、ホームのチェルシーFC戦で、前半33分に移籍後2ゴール目をマークした。試合はその後PKで1点を返されたものの1-1で引き分け、チームに6試合ぶりの勝ち点をもたらした。
2021年9月21日、カラバオ・カップのノリッジ・シティFC戦で復帰後初ゴールを決めた。サラー、マネ、ロベルト・フィルミーノ、ディオゴ・ジョッタら世界屈指の厚い選手層の中で、出場が少ない立場にあるが、第12節のアーセナルとの対戦では途中出場から45秒でゴールを挙げると、第22節のブレントフォードFCとの対戦ではバースデーゴールを決めた。ルイス・ディアスの加入で、出場時間は限定的になり、さらに厳しい立場に追い込まれたが、出場機会を与えられた試合では攻守両面で活躍をみせた。リーグカップ戦準々決勝・レスター・シティFC戦では、負ければ敗退になる状況で迎えた後半アディショナルタイム5分、ジェイムズ・ミルナーのクロスをボレーで決めて同点とし、1ゴール1アシスト、PK戦ではPKを失敗するもチームは勝利した。また、このゴールは2000-2001シーズンのヴラディミール・シュミツェル以来のリーグカップ3試合連続得点であった。カラバオ・カップでは、5試合出場4得点1アシストで10シーズンぶりの優勝に貢献、FAカップでは4試合出場3得点で16シーズンぶりの優勝に貢献「ファンが選ぶFA杯ベストイレブン」に選出された。両大会でチーム内得点王に輝くなど、リヴァプールの国内カップ戦2冠に大きく貢献した。2022年5月17日第37節、アウェイ開催のサウサンプトン戦では、リーグ残り2試合にしてリーグ初先発を掴み古巣からゴールを奪い、プレミアリーグ優勝に希望をつないだ。また、このゴールが英公共放送BBCの選出するリバプールの月間ベストゴールに選出された。イングランドの国内公式戦で8ゴール以上を挙げた全232選手(4部以上限定)の中で、1位の決定率を記録。29本のシュートで10得点を挙げ、34.5%という数値を残した。また、1得点に要した平均出場時間も最少となる79.5分だった。チャンピオンズリーグ決勝戦で、リヴァプールはレアル・マドリードに0-1で敗れた。南野はベンチ入りしたが、出場機会は得られなかった。ディヴォック・オリジやクィービーン・ケレハーと同様に控えとしての立場は変わらなかったが、最終盤まで史上初のシーズン4冠の可能性を残した歴史的シーズンに貢献した。
2022年6月28日、ASモナコへの完全移籍が発表された。加入直後は「練習がハード。その後に身体を回復させて次の試合に合わせていくのが、すごく大変。でも、今はちょっとずつ慣れてきているし、フィジカルコーチとかとも相談しながら、いろいろ調整しながらやっている。このリーグに適応するために何が必要なのか、このチームでもっと自分が活きるためには、どうすればいいかを考えてた。今までもそうやってきたし、適応できる自信があるので、それを信じてやっていく」と、手探り状態にあった。しかし、ワールドカップ開幕までの期間で調子は上がらず、一部のフランスメディアからは今季のワースト補強と酷評された。迎えたワールドカップではPKを外して本人曰く「人生最悪の日」となり、リーグ戦では18試合の出場に留まり、厳しいシーズンとなった。
2023-24シーズン、監督にザルツブルク時代の恩師であるアドルフ・ヒュッターが就任し、セカンドトップで起用された。8月8日のバイエルン戦では先制ゴールを挙げるなどプレシーズンマッチから活躍し、シーズン開幕戦のクレルモン・フット戦で3-4-2-1の右シャドーとして開幕スタメン入りを果たした。1点ビハインドの前半26分、ヴァンデルソンが胸で落としたボールをボックス内で再びパスし、同点ゴールをアシスト。さらには70分にウィサム・ベン・イェデルの勝ち越しゴールを演出した。第2節は2得点1アシスト、第3節は1得点、第4節は1アシスト。この時点でチームは単独首位に立った。シーズン前半戦で5得点4アシストを記録した上に、ゴールに繋がった一連のプレーに関与した回数は13回でチーム内最多だった。
2009年、U-15日本代表に選出され、AFC U-16選手権2010・予選グループリーグに出場。フィリピン戦でハットトリックを達成した。2010年のAFC U-16選手権2010ではベスト4まで勝ち進み、5得点を挙げて大会得点王に輝いた。2011年、FIFA U-17ワールドカップを前にFIFA公式サイト上で「Japan's lethal weapon(日本の最終兵器)」と題した特集が組まれ、U-17日本代表のエースとして期待された。大会前から不調に陥り、自身は1得点に終わったが、チームは自国開催だった1993年大会以来となる18年ぶりのベスト8進出を果たした。
2014年1月、ベトナムで開催されたU-19日本代表で出場したヌティフードカップで大会MVPを獲得。同年4月、日本代表候補トレーニングキャンプに初参加。2014 FIFAワールドカップ日本代表メンバーからは落選し、小野伸二以来となる10代でのW杯日本代表入りは叶わなかったが、同予備登録メンバーに選出された。10月に出場したAFC U-19選手権では4試合4得点と気を吐いたが、最後は自らのPK失敗により準々決勝敗退が決まった。
2015年、10月のワールドカップ2次予選シリア戦とイラン戦のメンバーに選ばれ、日本代表初選出となった。10月13日、イランとの親善試合で代表初出場を果たした。
2016年、リオ五輪の予選も兼ねたAFC U-23選手権2016のメンバーに選出された。グループリーグ第3戦のU-23サウジアラビア代表戦では右サイドからドリブル突破して井手口陽介の得点をアシスト。U-23日本代表は決勝まで駒を進めたが、所属クラブからの帰還要請により決勝を前にチームから離脱した。リオデジャネイロオリンピックのメンバーに選出され、8月4日の初戦U-23ナイジェリア代表では、同点ゴールを決めるも4-5の打ち合いで敗戦した。グループリーグでは3試合全てに出場したが、チームはグループリーグ敗退となった。
2018年9月11日、キリンチャレンジカップのコスタリカ戦で日本代表初ゴールを決めた。10月12日、パナマ戦で前半42分に先制点を挙げ2試合連続ゴールを記録。10月16日、ウルグアイ戦で12分に先制点、66分に4点目となる追加点を挙げて3戦連発を記録。代表監督が新体制となって初陣から3戦連発はJリーグ発足後に限り、1997年の呂比須ワグナー、2015年の岡崎慎司に次ぐ史上3人目。
2019年1月、AFCアジアカップ2019のメンバーに選出された。準決勝のイラン戦では、後半11分にスルーパスに反応した南野と相手DFが交錯して転倒。イランの選手はすぐにプレーを止め、主審に向かってノーファールと南野のシミュレーションをアピールした。しかし、主審は笛を吹いておらずプレーを流しており、南野はすぐに起き上がるとボールに追いつきクロスを上げ、そのボールを大迫勇也が決めた。このアシストのほかにもPK獲得やアシストをし、この試合すべての得点に絡んだ。決勝戦のカタール戦ではこの大会初ゴールを挙げるも、1-3で敗れて準優勝となった。
2021年6月、2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選のタジキスタン戦で、日本代表史上初のワールドカップ予選開幕からの7戦連続ゴールを達成した。これでW杯2次予選開幕から7試合連続ゴールとなり、2016年に本田圭佑がマークした出場7試合連続得点の記録に並ぶ歴代最長得点を記録をしていたが、クラブ事情によりチームを離脱することになり、新記録達成は9月から始まるW杯アジア最終予選に持ち越しとなった。
最終予選では第1節、第2節を除く全8試合に出場(スタメン7試合、交代出場1試合)。所属クラブが2019年に世界1に輝いた強豪リヴァプールであったことや、2次予選で主力として活躍したことから大きな期待がされたが、得点数・アシスト数共に1、決定機逸数がチーム内で1位になった。
2022年11月1日、2022カタールW杯に臨む日本代表に背番号10で選出された。クラブや代表での低調なパフォーマンスからW杯メンバーから落選するのではないかとメディアなどから声があった中での選出だった。グループリーグ第1戦のドイツ戦では、森保一監督によって途中出場で堂安律と共に2シャドーで起用されたことで好機を創出し、自身のシュートをマヌエル・ノイアーがはじいた流れから、堂安が得点を決めた。森保ジャパン発足以降練習試合を含めて一度も披露されなかったフォーメーションの中で、途中出場した全選手が得点に絡むなどチームメイトと共に久々にプレーに輝きを取り戻した。
決勝トーナメント1回戦のクロアチア戦でも途中出場。試合は延長戦の末PK戦となり、森保監督がキッカーの立候補を促したが、5秒間誰も手を挙げず南野が1番手に名乗りをあげた。しかし、そのPKはドミニク・リヴァコヴィッチに防がれ、その後の三笘薫、吉田麻也のPKも防がれチームは敗退を喫した(ワールドカップのPK戦での3回のセーブは、史上3人目、ドミニクは準々決勝のブラジル戦でもPK戦を制した)。その後、森保監督から「PK、1番に蹴ってくれてありがとう。大変な役回りになったけど、嫌な顔一つせず、チームを支えてくれてありがとう」と声をかけられ、日本代表のYouTubeチャンネルでロッカールームで下を向く南野に長友佑都が「ありがとうタキ。お前、勇気があるな」「勇気あるな、マジで。俺は蹴れん。マジありがとう」と声をかける姿が映っている。
2023年10月4日、カナダ代表及びチュニジア代表との親善試合に臨む日本代表メンバーに選出され、カタールW杯以来の復帰となった。
2024年1月1日に行われたタイ代表との強化試合では、後半途中から出場。試合終盤に訪れたGKとの1対1のチャンスを逸すも、その直後にゴールを挙げ、約2年ぶりの代表での得点となった。
2024年1月14日に行われたベトナム代表とのアジアカップ初戦では2ゴール1アシストに加えて献身的な守備を見せ、勝利に大きく貢献した。各メディアやファン投票でもMVPに選ばれ「タッキタキ」「主軸はこの男。2022年のワールドカップの後、彼は終わったかに思えた。しかし、キーパーソンになれる事を証明し、競争に火をつけた。」「守備でも抜群の存在感を発揮。高い位置でのボール奪取に貢献し、走り続けた。」と評された。
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2012 | C大阪 | 34 | J1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 5 | 1 |
2013 | 13 | 29 | 5 | 8 | 3 | 1 | 0 | 38 | 8 | ||
2014 | 30 | 2 | 2 | 2 | 3 | 2 | 35 | 6 | |||
オーストリア | リーグ戦 | リーグ杯 | オーストリア杯 | 期間通算 | |||||||
2014-15 | ザルツブルク | 18 | オーストリア・ブンデス | 14 | 3 | - | 2 | 0 | 16 | 3 | |
2015-16 | 32 | 10 | - | 4 | 2 | 36 | 12 | ||||
2016-17 | 21 | 11 | - | 5 | 3 | 26 | 14 | ||||
2017-18 | 28 | 7 | - | 4 | 1 | 32 | 8 | ||||
2018-19 | 27 | 6 | - | 5 | 3 | 31 | 9 | ||||
2019-20 | 14 | 5 | - | 2 | 2 | 16 | 7 | ||||
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
2019-20 | リヴァプール | 18 | プレミア | 10 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 13 | 0 |
2020-21 | 9 | 1 | 2 | 2 | 1 | 0 | 12 | 3 | |||
サウサンプトン | 19 | 10 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 2 | ||
2021-22 | リヴァプール | 18 | 11 | 3 | 5 | 4 | 4 | 3 | 20 | 10 | |
フランス | リーグ戦 | F・リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
2022-23 | モナコ | 18 | リーグ・アン | 18 | 1 | - | 1 | 0 | 19 | 1 | |
通算 | 日本 | J1 | 62 | 7 | 10 | 5 | 6 | 3 | 78 | 15 | |
オーストリア | オーストリア・ブンデス | 136 | 42 | - | 22 | 11 | 158 | 53 | |||
イングランド | プレミア | 40 | 6 | 7 | 6 | 8 | 3 | 55 | 15 | ||
フランス | リーグ・アン | 18 | 1 | - | 1 | 0 | 19 | 1 | |||
総通算 | 256 | 56 | 17 | 11 | 37 | 17 | 310 | 84 |
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2014 | C大阪 | 13 | 7 | 2 |
通算 | AFC | 7 | 2 | |
UEFA EL | UEFA EL | |||
2014-15 | ザルツブルク | 18 | 1 | 0 |
2016-17 | 4 | 0 | ||
2017-18 | 9 | 2 | ||
2018-19 | 10 | 4 | ||
UEFA CL | UEFA CL | |||
2019-20 | ザルツブルク | 18 | 6 | 2 |
リヴァプール | 1 | 0 | ||
2020-21 | 4 | 0 | ||
2021-22 | 4 | 0 | ||
通算 | UEFA | 39 | 8 |
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2015 | 2 | 0 |
2018 | 5 | 4 |
2019 | 15 | 7 |
2020 | 4 | 1 |
2021 | 9 | 4 |
2022 | 12 | 1 |
2023 | 5 | 0 |
2024 | 6 | 3 |
通算 | 58 | 20 |
# | 開催年月日 | 開催地 | スタジアム | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
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1. | 2018年9月11日 | 吹田 | パナソニックスタジアム吹田 | コスタリカ | ○3-0 | キリンチャレンジカップ2018 |
2. | 2018年10月12日 | 新潟 | デンカビッグスワンスタジアム | パナマ | ○3-0 | |
3. | 2018年10月16日 | さいたま | 埼玉スタジアム2002 | ウルグアイ | ○4-3 | |
4. | ||||||
5. | 2019年2月1日 | アブダビ | シェイク・ザイード・スタジアム | カタール | ●1-3 | AFCアジアカップ2019 |
6. | 2019年9月5日 | 鹿嶋 | 茨城県立カシマサッカースタジアム | パラグアイ | ○2-0 | キリンチャレンジカップ2019 |
7. | 2019年9月10日 | ヤンゴン | トゥウンナ・スタジアム | ミャンマー | ○2-0 | 2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選 |
8. | 2019年10月10日 | さいたま | 埼玉スタジアム2002 | モンゴル | ○6-0 | |
9. | 2019年10月15日 | ドゥシャンベ | パミール・スタジアム | タジキスタン | ○3-0 | |
10. | ||||||
11. | 2019年11月14日 | ビシュケク | ドレン・オムルザコフ・スタジアム | キルギス | ○2-0 | |
12. | 2020年11月13日 | グラーツ | メルクーア・アレーナ | パナマ | ○1-0 | 国際親善試合 |
13. | 2021年3月30日 | 千葉 | フクダ電子アリーナ | モンゴル | ○14-0 | 2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選 |
14. | 2021年5月28日 | ミャンマー | ○10-0 | |||
15. | ||||||
16. | 2021年6月7日 | 吹田 | パナソニックスタジアム吹田 | タジキスタン | ○4-1 | |
17. | 2022年2月1日 | さいたま | 埼玉スタジアム2002 | サウジアラビア | ○2-0 | 2022 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 |
18. | 2024年1月1日 | 新宿 | 国立競技場 | タイ | ○5-0 | TOYO TIRES CUP 2024 |
19. | 2024年1月14日 | ドーハ | アル・トゥマーマ・スタジアム | ベトナム | ○4-2 | AFCアジアカップ2023 |
20. |
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