佐川 宣寿(さがわ のぶひさ、1957年11月6日 - )は、日本の財務官僚。第48代国税庁長官。森友学園に関する決裁文書が改ざんされた当時の財務省理財局長を務めた。2018年3月2日に朝日新聞が公文書書き換えの疑いをスクープすると、その7日後に国税庁長官を辞任し、財務省を退官した。
佐川 宣寿 さがわ のぶひさ | |
---|---|
生年月日 | 1957年11月6日(66歳) |
出生地 | 日本 福島県平市(現・いわき市) |
出身校 | 東京大学経済学部卒業 |
前職 | 国税庁長官 |
称号 | 経済学士(東京大学・1982年) |
第48代 国税庁長官 | |
在任期間 | 2017年7月5日 - 2018年3月9日 |
在任期間 | 2016年6月17日 - 2017年7月5日 |
財務省関税局長 | |
在任期間 | 2015年7月7日 - 2016年6月17日 |
在任期間 | 2014年7月4日 - 2015年7月7日 |
在任期間 | 2013年6月28日 - 2014年7月7日 |
その他の職歴 | |
財務省主税局総務課長 (2008年7月4日 - 2010年3月3日) | |
財務省主税局税制第二課長 (2006年7月28日 - 2008年7月4日) |
福島県平市(現・いわき市)出身。平市立平第一小学校、いわき市立平第一中学校で学ぶ。同平第一中学校3年の時、父を亡くした。その後、東京都内の中学校に転校した。
1973年、日比谷、三田、九段高校の都立高校学校群第11群を受験。九段高校に進学した際には、3人の兄が学費を負担してくれた。1976年、同校卒業。2浪して東京大学文科二類に入学。専門課程では、経済学部に進学し、農業経済学を専攻する。
1982年3月、東京大学経済学部卒業。同年4月、大蔵省入省。入省同期に片山さつき(自民党参議院議員)、福田淳一(財務次官)、迫田英典(国税庁長官)、梶川幹夫(関税局長)、田中修(税務大学校長)、遠藤俊英(金融庁長官)、大蔵省接待汚職事件に関わった榊原隆や佐藤誠一郎らがいる。このうち、福田と佐川が将来の有力な次官候補と見做されていた。
1984年、大阪国税局調査部、1987年、名古屋国税局高山税務署長、1998年7月、近畿財務局理財部長、2001年、塩川正十郎財務大臣秘書官、2004年、財務省主計局主計官(外務、経済協力、経済産業係担当)、2008年、主税局総務課長、2010年、財務省大臣官房審議官(主税局担当)、2011年7月1日、内閣官房内閣官房副長官補付内閣審議官、東日本大震災復興対策本部事務局次長。2012年2月10日、復興庁統括官付審議官 を経て、2013年6月28日、大阪国税局長 となる。2014年7月、国税庁次長。2015年7月7日、関税局長。
2016年6月17日、理財局長に就任。2017年2月24日、豊中市の国有地の学校法人森友学園への売却問題をめぐり、衆議院予算委員会で「学園との交渉や面会の記録は速やかに廃棄した」と答弁した。同年7月5日、国税庁長官(第48代) の座に就いた。
2018年3月9日、財務省を依願退官した。退官後の一時期、出身地であるいわき市の「いわき応援大使」を務めた
2023年5月、赤木俊夫の妻の雅子による損害賠償請求訴訟控訴審において、佐川の代理人が、「意見書の提出を1ヵ月ぐらい前倒ししていただきたい。佐川は訴訟が継続して就職活動もできない状態になっており、長引くことがダメージになっております。急いでいただいて、日程を1ヵ月早めて欲しい」と発言していることから、同年同月現在、再就職への意欲は有しつつも、特定の役職にはついていないと考えられる。
2016年6月17日、佐川は理財局長に就任。同年6月20日、財務省近畿財務局は、学校法人森友学園との間で豊中市の国有地についての売買契約を締結した。売却金額は非公開とされた。
2017年2月8日、豊中市議会議員の木村真は、国が森友学園に売却した国有地の代金が公開されないのは不当だとして、開示を求める訴えを大阪地裁に起こした。2月9日、朝日新聞が、払い下げの国有地に新設予定の安倍晋三記念小学校の名誉校長が安倍昭恵であること、森友学園側に契約違反があった場合、国が「1億3400万円」で買い戻す特約がついていたこと、森友学園の籠池泰典理事長が売却額が買い戻し特約と同額と認めたこと、売却額は同じ規模の近隣国有地の10分の1であること、籠池が日本会議大阪の役員を務めていることなどを報じた。2月10日、同紙の報道を受け、財務省は一転して売却価格は1億3400万円であると公表した。売却価格が格安になった理由については「地下に大量のごみがあったため」と説明した。
2017年2月15日の衆議院財務金融委員会を皮切りに野党の追及が始まる。日本共産党の宮本岳志は、国交省職員から土壌汚染除去費用の総額を聞き出し、佐川に対しても質問を行った。
同年2月17日、安倍晋三首相は衆議院予算委員会で民進党の福島伸享から追及を受けると「私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」と答弁した。2月23日午後、森友学園は「瑞穂の國記念小學院」の公式サイトから、安倍昭恵の写真と挨拶文を削除した。
同年2月22日、佐川と財務省大臣官房総括審議官の太田充は菅義偉官房長官に官邸に呼ばれ、国有地売却の経緯などについて説明した。
2月17日の衆議院予算委員会、2月24日の同予算委員会、同日の同財務金融委員会のいずれかの委員会において、安倍の秘書官の一人が十数メートル先に座る佐川に歩み寄り、「もっと強気で行け。PMより」と書かれた1枚のメモを手渡した。2月24日、佐川は衆議院予算委員会で「森友学園との交渉や面会の記録は速やかに廃棄した」と答弁した。同日午後、内閣官房長官長官記者会見で、記者は佐川の廃棄発言について菅に質問した。菅は「面会等の記録についてはその保存期間は1年未満とされている」と示したうえで、「契約書を含む国有財産の取得および処分に関する決裁文書については30年間の保存期間が定められており、そこにほとんどの部分が書かれてある」から問題はないと説明した。
同年2月26日、財務省は、国有地売却の決裁文書から安倍昭恵、鴻池祥肇の秘書、平沼赳夫の秘書、北川イッセイの副大臣秘書官らに関する記述を「できる限り早急に」削除するよう、近畿財務局の職員7人にメールで指示。近畿財務局は同日から文書の改竄を開始した。安倍首相と籠池の関係を指し示す記述も改竄が行われ、「籠池康博氏は、『日本会議大阪代表・運営委員』を始めとする諸団体に関与」「日本会議と連携する組織として、超党派による『日本会議国会議員懇談会』が平成9年5月に設立され、現在、会長に平沼赳夫議員、副会長に安倍晋三総理らが就任」などの文言が削除された。
同年3月20日、財務省国有財産審理室は、近畿財務局職員に「局長からの指示により、調書につきまして、現在までの国会答弁を踏まえた上で、作成するよう直接指示がありました」と記されたメールを送信した。当該メールは、元近畿財務局職員の赤木俊夫が改竄の経緯をまとめた文書(通称「赤木ファイル」)に保存されており、佐川の関与は、そののちファイルが公開されたことで明確なものになった。
同年4月3日、衆議院決算行政監視委員会で、「行政文書は紙もパソコン上のデータも同様に取り扱いにしている。データは短期間で自動的に消去され、復元できないようなシステムになっている」と答弁した。4月7日、部下の中尾睦理財局次長は衆議院内閣委員会で「自動消去という機能は基本的にない。データを削除した場合は14日間は復元可能だが、それを超えると復元できない。通常の職員はそういうことはできない仕組みになっている」と述べ、佐川の答弁を事実上訂正した。4月10日、財務省情報管理室の担当者は朝日新聞の取材に応じ、「復元は難しいが、できないとは断言できない」と復元の可能性を認めた。しかし佐川は4月12日の衆議院財務金融委員会で「電子データも文書管理規則にのっとり、紙と同様に削除している。その後、一定期間が経過すれば、自動的に削除される」「専門家においてもデータの復元ができないと聞いている」と主張し続けた。また、「財務省全体として大量のデータを日々追加、更新しており、サーバーの容量にほとんど余裕がない中で、(削除されたデータは)日々置き換わっている状況だ」と述べた。
同年5月15日、市民団体「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」(代表:八木啓代)は、財務省が森友学園との交渉記録を廃棄したとして、佐川、迫田英典、田中一穂、中尾睦、武内良樹、田村嘉啓、池田靖ら7人に対する公用文書等毀棄容疑での告発状を東京地方検察庁に提出した(東京地検はのちに被疑事件を大阪地方検察庁特別捜査部に移送した)。
同年7月4日、財務省は、佐川を7月5日付で国税庁長官とする人事を発表した。自由党の森裕子は「あからさまな論功行賞の人事だ。首相を守るため、『ありえない』答弁を平然と繰り返して栄転された」と反発。与党の閣僚経験者も「事実に背を向けてでも、官邸の意向に従っていれば出世できるというあしき前例になる」と述べ、起用した政府の姿勢を疑問視した。これらの声に対し麻生財務相と菅義偉官房長官は「適材適所」と口をそろえた。
大阪地検特捜部は豊中市議会議員の木村真らが3月に行った刑事告発を一旦は受理したものの、背任容疑の捜査に手間取っていた。そこで近畿財務局のコンピュータから押収したデータをもとに、先に公文書の変造容疑を固めることにした。同年夏から秋にかけてDF(デジタルフォレンジック)センター準備室がデータの復元および解析を行い、決済文書改ざんの痕跡を突き止めた。
2018年3月2日、朝日新聞が一面トップで、国有地取引をめぐる決裁文書が書き換えられている疑いを初めて報じた。同年3月7日、赤木俊夫が神戸市内の自宅で自殺した。翌8日、近畿財務局管財部長の楠敏志が赤木の家を弔問した。
同年3月9日、佐川は麻生太郎財務大臣に、国税庁長官の職を辞し、退職したい旨を申し出た。政府は持ち回り閣議で佐川の辞任を認める人事を決定した。赤木の死について記者から問われると、佐川は「今日のニュースで知った」と答えた。
同日夜、麻生は記者会見し、「国有財産行政に対する信頼を損なったことを踏まえ、減給20%3ヶ月分の懲戒処分を実施する」と述べ、同時に処分を科したことを明らかにした。辞任を申し出た理由は「(1)理財局長当時の国会対応が丁寧さを欠いており、混乱をもたらした。(2)行政文書の管理について指摘を受けた。(3)書き換え疑惑のある決裁文書について、担当局長であった」の三点とされた。矢野康治財務省大臣官房長の財務金融委答弁によると、額にすると約66万円の減給となり、退職金4999万円から差し引かれた。
同年3月12日、財務省は「14件の決裁文書を書き換えた」ことを認め、「決裁文書の書き換えの状況」と題する書き換え前と書き換え後の対照表を公表した。3月13日付の読売新聞夕刊は、自殺した職員(赤木)の遺書に「本省の指示で文書を書き換えさせられた」との記述があると報じた。
同年3月27日、佐川は衆参両院の予算委員会で証人喚問を受けた。文書改ざんの指示などに関する質問に対して「刑事訴追の恐れがある」との理由により証言を拒否した答弁は40回以上に及んだ。ただし、自民党の丸川珠代から「安倍総理からの指示はありませんでしたね」「安倍総理夫人からの指示もありませんでしたね」と聞かれると、それぞれ「ございませんでした」と明確に答えた。丸川は「官邸の官房長官、官房副長官、総理秘書官、安倍総理の秘書官、麻生財務大臣、麻生財務大臣の秘書官、財務省の事務次官、官房長などの大臣官房、他の局の幹部」からの指示はあったかと繰り返し尋ね、佐川はそのたびに立ち上がり「ございませんでした」と答えた。
同年5月31日、大阪地検特捜部は、佐川ら財務省幹部38人全員を不起訴処分とした。同年6月4日、財務省は「森友学園案件に係る決裁文書の改ざん等に関する調査報告書」を公表するとともに、退職者2人を含む幹部ら20人の処分を発表した。佐川は停職3ヶ月の懲戒処分を受けた。
2019年3月15日、大阪第一検察審査会は、不起訴処分とした38人のうち、有印公文書変造・同行使容疑などで佐川ら6人、背任容疑などで管財部次長の小西眞ら4人について「不起訴不当」と議決した。しかし同年8月9日、大阪地検特捜部は佐川ら10人を再び不起訴処分とした。
2020年3月18日発売の『週刊文春』3月26日号が、総計15ページにわたる森友学園問題の特集記事を組み、赤木が死の直前に書いた手記全文を掲載した。手記には「元は、すべて、佐川理財局長の指示です」「佐川理財局長の指示を受けた、財務本省理財局幹部、杉田補佐が過剰に修正箇所を決め、杉田氏の修正した文書を近畿局で差し替えしました」と記されていた。
同年3月18日、赤木の妻の赤木雅子は、国に約1億700万円、佐川に約550万円の損害賠償を求め、大阪地裁に訴えを提起した。雅子の弁護団は同日、手記全文を公表した。
2021年12月15日、国は、自殺と森友学園問題に関する決裁文書改竄作業との因果関係を認め「請求認諾」を行ない、訴訟を終結させた。
2022年2月9日、大阪地裁で口頭弁論が開かれ、赤木雅子は、佐川側が賠償請求を認めて「認諾」をすることを避け、尋問などで改ざんの経緯を明らかにするため、賠償請求額を550万円から1650万円に増やした。
同年9月16日、赤木雅子、川内博史、辻恵らは、情報開示請求に「不存在」と虚偽の理由で不開示決定をされたとして、佐川、元理財局総務課長の中村稔、元同局国有財産審理室長の田村嘉啓の3人に対する虚偽有印公文書作成・同行使容疑の告発状を東京地検特捜部に提出した。
同年11月25日、大阪地裁は、佐川に対する1650万円の損害賠償を求める裁判で、「公務員の個人責任を認める法的根拠は見いだしがたい」として請求を棄却した。佐川は裁判中は公の場所へはいっさい出ず、当該裁判においては代理弁護士まで出廷しなかった。同年12月2日、赤木雅子は控訴した。
同年12月27日、東京地検特捜部は、虚偽有印公文書作成・同行使容疑の刑事告発についていずれも嫌疑不十分で不起訴とした。
2023年5月1日、佐川に損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、赤木雅子は、一審で認められなかった佐川への本人尋問を実施するよう大阪高裁に申請した。またそのほかに、中村稔、田村嘉啓、近畿財務局の赤木俊夫の上司ら計4人の証人尋問も求めた。同年9月13日に控訴審第1回口頭弁論が大阪高裁で行われ、黒野功久裁判長は「尋問を実施する必要がない」として佐川の尋問を認めず、結審した。同年12月19日、大阪高裁は1審判決を支持し、赤木雅子の控訴を棄却した。判決理由で黒野裁判長は、赤木雅子が佐川に経緯の説明や謝罪を求めていることについて、「誠意を尽くした説明や謝罪があってしかるべきとも考えられるが、法的義務を課すことは困難」と言及した。27日、赤木雅子側は判決を不服として上告した。
官職 | ||
---|---|---|
先代 迫田英典 | 国税庁長官 2017年 - 2018年 | 次代 藤井健志 |
先代 迫田英典 | 財務省理財局長 第50代:2016年 - 2017年 | 次代 太田充 |
先代 宮内豊 | 財務省関税局長 2015年 - 2016年 | 次代 梶川幹夫 |
先代 藤田利彦 | 国税庁次長 2014年 - 2015年 | 次代 星野次彦 |
先代 富屋誠一郎 | 大阪国税局長 2013年 - 2014年 | 次代 岡田則之 |
先代 宮内豊 | 財務省主税局総務課長 2008年 - 2010年 | 次代 中江元哉 |
先代 石原一彦 | 近畿財務局理財部長 1998年 - 1999年 | 次代 大森泰人 |
This article uses material from the Wikipedia 日本語 article 佐川宣寿, which is released under the Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 license ("CC BY-SA 3.0"); additional terms may apply (view authors). コンテンツは、特に記載されていない限り、CC BY-SA 4.0のもとで利用可能です。 Images, videos and audio are available under their respective licenses.
®Wikipedia is a registered trademark of the Wiki Foundation, Inc. Wiki 日本語 (DUHOCTRUNGQUOC.VN) is an independent company and has no affiliation with Wiki Foundation.