伊藤 英明(いとう ひであき、1975年〈昭和50年〉8月3日 - )は、日本の俳優。長崎県佐世保市生まれ、岐阜県岐阜市出身。グランパパプロダクション所属。岐阜市立西郷小学校、岐阜市立岐阜西中学校、岐阜県立岐南工業高等学校電気工学科卒業。
いとう ひであき 伊藤 英明 | |||||||||||
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別名義 | 旧芸名:阿部 純大(あべ じゅんた) | ||||||||||
生年月日 | 1975年8月3日(48歳) | ||||||||||
出生地 | 日本 長崎県佐世保市 | ||||||||||
出身地 | 岐阜県岐阜市 | ||||||||||
身長 | 183 cm | ||||||||||
血液型 | O型 | ||||||||||
職業 | 俳優 | ||||||||||
ジャンル | テレビドラマ・映画・舞台・CM | ||||||||||
活動期間 | 1993年 - 1995年 1997年 - | ||||||||||
配偶者 | 既婚(2014年 - ) | ||||||||||
事務所 | A-team(1997年 - 2022年) グランパパプロダクション(2022年3月27日 - ) | ||||||||||
公式サイト | 伊藤英明オフィシャルウェブサイト | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
映画 『クロスファイア』 『陰陽師』シリーズ 『海猿』シリーズ 『この胸いっぱいの愛を』 『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』 『252 生存者あり』 『悪の教典』 『WOOD JOB! 〜神去なあなあ日常〜』 『22年目の告白 -私が殺人犯です-』 『劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』 『レジェンド&バタフライ』 テレビドラマ 『YASHA-夜叉-』 『天体観測』 『ぼくの魔法使い』 『白い巨塔』 『海猿 UMIZARU EVOLUTION』 『弁護士のくず』 『ダブルス〜二人の刑事』 『僕のヤバイ妻』 『病室で念仏を唱えないでください』 | |||||||||||
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元自衛官で物流会社勤務の父親(岐阜県出身)、元バスガイドの母親(長崎県出身)、1歳年下の妹の4人家族。長崎県佐世保市生まれ。母は女優になりたいという夢を持っていた。幼稚園のころに急性腎炎と診断され、入院生活を送るようになったという。入院先の病院の大部屋では、友達になった子が亡くなる出来事にも遭遇した。
小学校入学後も慢性腎炎のため入退院を繰り返したため、小学校には通算で3年間ほど通っただけである。運動会への参加は1回だけであり、林間学校には参加したことがなく、クラスにはあまり溶け込めなかった。給食は塩分を調節するためお湯で薄めて食べていた。
小学校の思い出はほとんどないが、母親がしばしば自分を抱きしめて泣いていたことははっきり覚えている。身体障害者手帳を手に、両親は「死」を覚悟したという。幼少期から死と向き合ってきたせいか、成人後も、自分が「もういいや」と諦めてしまったら、いつでも逝ってしまうという思いが強く、同時に、自分は生かされているという思いも人一倍強い。そのため、「後悔しないように今頑張らないと、楽しまないと、チャレンジしないと」といつも感じている。また、「人生、死ぬまで成功か失敗か分からない。何もしないで後悔するなら、チャレンジして後悔したほうがいい」という人生観をもっている。小学6年生の時に扁桃腺を摘出したところ完治し、その際に障害者手帳を返納した。
高校入学後は勉強をせずに大人を出し抜くことばかり考えており、中退まで思案した時期もあった。しかし、当時の担任教師から「電気が嫌いだってわかっただけでもよかったじゃないか」と言われ、何とか卒業したという。そのため後に同担任を「一番いい先生だった」と振り返っている。
デビュー以降は一貫して自然体・自由でいることを大切にしている。前出のインタビューによると、伊藤は1993年に雑誌のコンテストで準グランプリを獲得し、翌年19歳で岐阜から上京している。人気CMへの出演も決まったが、当時の所属事務所の方針でまず方言から直され、髪型や服装も決められ、キャラクターがつくられていくことに疑問を感じた。素の自分とはどんどんかけ離れていく窮屈さの中で、気づくと10kgも痩せていたという。結局、この事務所とは合わずに間もなく辞めたが、芸能界には再チャレンジをしようと思っていた。そのため東京に残りアルバイトを始めたが、とび職や解体工事などの肉体労働を選び、割のいい夜のアルバイトは「流されるのは嫌」と避けた。アルバイト生活がおよそ2年間続いた後、A-teamのスタッフに声をかけられ、1997年に俳優として再始動している。
映画『海猿』の役づくりは合宿生活から開始されている。インタビュー(2004年)によれば、『海猿』では、広島県呉市で2ヵ月間ほど合宿生活を送り、海上保安官が実際に行う訓練も体験している。キャスト同士が役名で呼び合い、使用する潜水用具も自分たちで管理したため、役を離れる必要がなかったという。そのため俳優として仙崎大輔という役柄を演じるのみならず、一個の人間としての経験や感動をスクリーンのなかで体現した部分も多い。特に訓練シーンでは、体力や気力の限界点の「極限の表情」が出るまで、監督の羽住英一郎の「カット」の声がかからなかったこともある。撮影自体は非常に厳しいものであったが、自らの当たり役ともいえる役柄に出会えたことを誇りに思っており、また、常に危険と隣り合わせの状況にいる海上保安官を尊敬するようになっている。
30代中盤までの代表作は、2004年の映画『海猿 ウミザル』から始まった合計4作品の映画、および2005年のテレビドラマ『海猿 UMIZARU EVOLUTION』によって構成された『海猿』シリーズである。撮影期間も含めると、伊藤はこのシリーズに10年にわたってかかわっている。映画はいずれもヒットしており、日本歴代興行成績上位の映画一覧を確認すると、1976年から2014年までに日本で公開されたすべての邦画・洋画のなかで、『THE LAST MESSAGE 海猿』は60位に、『BRAVE HEARTS 海猿』は71位に、『LIMIT OF LOVE 海猿』は75位にランクインしている。言い換えると、シリーズ4作品のうち3作品までが過去40年近くにわたる日本の映画興行成績上位100位以内に入っている。
『海猿』シリーズの3作目以降の映画はファンの要望によって製作されている。インタビュー(2010年)によると、『海猿』シリーズについては監督の羽住も伊藤も、2作目で映画を終了と考えていた。2本の映画はいずれもヒットしており、伊藤にはブレイクした役にいつまでもすがりたくないとの意地もあった。しかしファンの署名運動によって3作目が制作されることになり、「色々な意味で前作を超えられるように努力すればいい」と覚悟を決めて撮影に臨んだという。伊藤は、現場では職人気質の志の高いプロたちが死に物狂いで、また周囲を気遣いながら作品づくりに取り組んでいると語っている。伊藤はその中で仕事ができることに幸せを感じている。同時に、自分の出演作を心待ちにしてくれるファンのありがたさをも痛感している。伊藤は再デビュー後も、芸能界は努力がすぐ報われる世界ではないと考えており、過剰な期待感はもたなかったという。だが、上述の点に気づいてからは、それまで以上に仕事に対して強い責任感を抱くようになったという。伊藤は自身のことを「やる時はやる、相当頑張ってしまう性格」と評しているが、20代のころと比較すると、見栄を張らずに、できないことはできないと認めつつ、最大限に努力すればいいと思えるようになっている。
映画『252 生存者あり』の主人公のキャラクターは、伊藤が演じることを前提とした当て書きでつくられている。インタビュー(2008年)によると、『海猿』シリーズの原案者の小森陽一が、『LIMIT OF LOVE 海猿』の撮影現場に、原稿用紙10枚ほどの『252』のプロットを持って訪ねてきたという。リアルに人間ドラマを描きだす小森の手腕を伊藤は尊敬しており、また自分を想定して書いてくれたということに感動したという。そこでこの話を旧知の監督水田伸生に持ち込み、映画化が実現した。伊藤は役作りをするために、実際のハイパーレスキュー隊員に話を聞いたり、東京消防庁で訓練を受けたりしている。ハイパーレスキューの仕事には、『海猿』で演じた海上保安官同様に敬意を表している。
『海猿』はフジテレビによって映画が四度も制作され、同局系で『海猿 UMIZARU EVOLUTION』と題したドラマが放映されたほどの大ヒット作だ。しかし、原作者である佐藤秀峰氏 は’12年、Xで《映画『海猿』関連書籍が契約書なしに販売されていた》《フジテレビさんは信頼に値しない企業であると判断したため、今後は一切新規のお取り引きはしないことにしました》として、《例えば映画『海猿』の続編などは絶対にありません》と絶縁を宣言していた。 佐藤氏は映像化に気が進まなかったことや、映像化しても原作者にメリットが少ないことを明かし、《映画はDVD化されてから観ました。クソ映画でした。僕が漫画で描きたかったこととはまったく違いました》と心情を赤裸々に綴っている。 さらに佐藤氏は《映画は第4弾まで作られ大ヒットしました》といい、こう続けた。 《一度、映画の撮影を見学に行きました。たくさんのスタッフが働いていました。プロデューサーが主演俳優 を紹介すると言うので挨拶に行きました。撮影前だったらしく、その俳優はピリピリしていました。プロデューサーが話しかけると「原作者?しゃべんなきゃダメ!?」と吐き捨てました。嫌なヤツだと思いました》 『海猿』はNHKとフジテレビで映像化がされているが、映画が制作されているのはフジテレビ版『海猿』のみ。フジテレビ版で主演を務めたのは、伊藤英明だ。伊藤は2024年2月2日に自身のインスタグラムにて「記事を読みました。『海猿』は僕にとって一生の財産です。いまだにありがたいことに『海猿』が大好きでした、と声を掛けて下さる方、手紙を下さる方、インスタグラムにメッセージを下さる方が沢山いらっしゃいます」とし、佐藤から贈られた原画の画像をアップ。原画には「伊藤英明さんへ ドラマおもしろかったです。カッコイイ大輔に期待しています」と佐藤からの直筆メッセージが書かれている。「約20年前、現場に出向いて下さり佐藤先生に頂いた原画を今も大切にしています。撮影に携わった全員で過ごした時間も作品も自分の宝物です」と記した。
2012年は、人命救助を使命とするヒーローを演じた主演映画『BRAVE HEARTS 海猿』と、残忍極まりない殺人鬼を演じた主演映画『悪の教典』が公開されている。『悪の教典』でサイコパスの大量殺人犯を演じたことは伊藤にとって大きな意味があり、この映画以降演じる役柄の幅を広げている。しかし、伊藤はこの映画の舞台挨拶ではファンを気遣い、それまでたくさんの映画のなかで人を救ってきたが、初めて悪役を演じたと述べたうえで、タレントで女優の前田敦子が以前所属していたアイドルグループ・AKB48の選抜総選挙のときに語った言葉をもじって、「伊藤英明は嫌いになっても、『海猿』のことは嫌いにならないでください」とユーモアたっぷりに発言している。
2014年の映画『WOOD JOB! 〜神去なあなあ日常〜』では杣人(林業家)を演じて第38回日本アカデミー賞優秀助演男優賞、および第69回毎日映画コンクール男優助演賞を受賞し、演技派の俳優として認められている。監督の矢口史靖はインタビュー(2014年)で、映画『海猿』を観たときに感じた身体能力と筋肉の美しさに着目して、伊藤を森と同化した杣人の飯田与喜役に指名したと述べている。また矢口は、最初に伊藤を指名したもののスケジュールが合わず、一旦はキャスティングを断念したが、やはり諦めきれずに撮影スケジュールの方を調整したと説明している。実際に会ってみて役者としての伊藤に一目惚れしたことも明かしている。別のインタビュー(2014年)では、『海猿』から『山猿』へと転じた伊藤が実は高所が苦手で、現場で「深く潜るのはいいけれど、高いのは大変だね」と語っていたエピソードを披露している。さらに矢口は、伊藤は身体能力と演技力の高さゆえに、高所でもびくついた感じは一切見せずに撮影を終え、それ以外の場面でも監督の示した演技面の繊細なリクエストをさらっとやってのけたと述べている。
三池崇史監督の作品には繰り返し出演している(『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』『悪の教典』『喰女-クイメ-』『テラフォーマーズ』)。2012年の『悪の教典』のインタビューで三池は、主人公の蓮実聖司役に伊藤を抜擢した理由について、ただ自分らしく生きたいだけなのにその場所が見つからないという孤独感があり、「何のために存在するのか」という問いかけをもっている点が、蓮実のイメージと重なったと述べている。さらに三池は伊藤について、役者としての魅力ももちろんあるが、それよりも本能的な動物としての強さをもっており、言いようのない不思議な魅力があるとしている。2015年の映画『テラフォーマーズ』のインタビューでは三池は、主人公の小町小吉役のキャスティングの際には、小町のヤンチャな青年のイメージに合う俳優を探したと述べている。スタッフとともに、それまで一緒に仕事をしてきたなかで一番ヤンチャな役者は誰かについて話し合ったところ、全員が伊藤の名前を挙げたため、声をかけたと語っている。この映画の上映会では三池は、伊藤について「すごく不思議で魅力的な存在。演技派でもないんだけど……ほかにいないでしょ?」「明日どうなるかわからない、というスタントマンに通ずるフェロモンが出ている。現場でも撮っていて気持ちがいい役者」と絶賛している。
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