ズラタン・イブラヒモヴィッチ(Zlatan Ibrahimović, スウェーデン語発音: , ボスニア語発音: , 1981年10月3日 - )は、スウェーデン・マルメ出身の元サッカー選手。元スウェーデン代表。現役時代のポジションはFW。
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2018年のイブラヒモヴィッチ | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | King of God | |||||
ラテン文字 | Zlatan Ibrahimović | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スウェーデン ボスニア・ヘルツェゴビナ イタリア | |||||
生年月日 | 1981年10月3日(42歳) | |||||
出身地 | マルメ | |||||
身長 | 195 cm | |||||
体重 | 96 kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1989-1991 | マルメBI | |||||
1991-1995 | FBKバルカン | |||||
1995-1999 | マルメFF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999-2001 | マルメ | 40 | (16) | |||
2001-2004 | アヤックス | 74 | (35) | |||
2004-2006 | ユヴェントス | 70 | (23) | |||
2006-2009 | インテル | 88 | (57) | |||
2009-2011 | バルセロナ | 29 | (16) | |||
2010-2011 | → ミラン(loan) | 29 | (14) | |||
2011-2012 | ミラン | 32 | (28) | |||
2012-2016 | パリ・サンジェルマン | 122 | (113) | |||
2016-2018 | マンチェスター・ユナイテッド | 33 | (17) | |||
2018-2019 | LAギャラクシー | 58 | (53) | |||
2019-2023 | ミラン | 64 | (34) | |||
通算 | 637 | (405) | ||||
代表歴2 | ||||||
1999 | スウェーデン U-18 | 4 | (1) | |||
2001 | スウェーデン U-21 | 7 | (6) | |||
2001-2023 | スウェーデン | 122 | (62) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2023年6月5日現在。 2. 2023年6月5日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
エールディヴィジ、セリエA、ラ・リーガ、リーグ・アンと4か国でリーグ優勝を経験しており、通算5度の得点王を獲得したストライカーである。さらにスウェーデン代表の最多得点記録保持者(62得点)であり、セリエA最年長得点記録保持者(41歳5か月15日)でもある。また、2000年以降ではリオネル・メッシ、クリスティアーノ・ロナウドに次いで、キャリア通算500ゴールを達成した史上3人目の選手である。
「イブラヒモヴィッチ」の姓が示す通り、ルーツをバルカン半島に持っておりスウェーデン人の血は引いていない。現在のボスニア・ヘルツェゴビナのビイェリナ出身で、1977年にスウェーデンに移住したボシュニャク人の父シェフィク・イブラヒモヴィッチと、クロアチア人でザダル近郊のプルコス出身の母ユルカ・グラヴィッチとの間に生まれた。ふたりは移住先のスウェーデンで出会った。「イブラヒモヴィッチ」という姓は「イブラヒムの息子」という意味で、キリスト教徒が大半を占めるバルカン半島の中にあって、比較的ムスリムの比率が高いボスニアのボシュニャク人に多く見られる姓である。長男で兄弟には3人の姉と2人の弟がいる。マルメの移民コミュニティーがあるローセンゴード地区で育ち、6歳でサッカーを始めた。[要出典]
幼い頃からその得点能力は顕著で、6点ビハインドの試合で交代選手として投入され9得点を挙げた経験を持つ。1995年にマルメFFと契約し、1999年にトップチームデビューを果たす。しかしそのシーズン、マルメFFは2部リーグ降格となった。主力選手が移籍していく中、イブラヒモヴィッチはこれを「レギュラー獲りのチャンス」と考えて残留。その読み通りに翌シーズンはレギュラーとして活躍し、26試合12得点の成績を残してチームの1部リーグ復帰に貢献した。
この活躍を見たアヤックス・アムステルダムやアーセナルなどのビッグクラブがイブラヒモヴィッチ獲得に乗り出し、特にアーセナルはアーセン・ヴェンゲル監督が自ら背番号9番を保証するなど懸命に獲得を試みたが、2001年7月1日に10代の選手としては破格の、そしてチーム史上最高額の780万ユーロ(約10億2200万円)の移籍金を提示したアヤックスに移籍した。そのアヤックスでかつてマルコ・ファン・バステンやパトリック・クライファート、ヌワンコ・カヌなどが背負った背番号9を受け継いだ。2001-02シーズンのオランダカップ決勝で決勝ゴールを決めるなど徐々にチームの主力となった。2002-03シーズンもUEFAチャンピオンズリーグで5得点、エールディビジで13得点を挙げ、レギュラーの座を不動のものとした。翌シーズンは足の故障のため3ヵ月欠場するが、復帰後は16試合13得点を記録し、エールディビジ優勝に貢献。
2004年9月1日、移籍金1600万ユーロでユヴェントスFCに移籍した。当初は、アレッサンドロ・デル・ピエロ、ダビド・トレゼゲに次ぐ3番手のFWと目されていたが、2004-05シーズンのセリエA開幕戦ブレシア戦でデビューし、早速ゴールを挙げると、トレゼゲやデル・ピエロの故障もあって、カペッロ監督の信頼を得始める。彼らの復帰後もユヴェントスフォワード陣の柱となり、最終的に35試合16点の成績を挙げ、ACミランからのセリエA王座奪回(2006年のカルチョ・スキャンダルにより、優勝は剥奪されている)に貢献した。2005-06シーズンも2トップの一角として、ユヴェントスのセリエA首位独走に貢献した。2006-07シーズンからは、ユヴェントスの審判操作疑惑によるチームのセリエB降格の影響により、ACミランへの移籍も噂されたが、2006年8月10日に2480万ユーロ(約36億円)の移籍金でユヴェントスのライバルであるインテルナツィオナーレ・ミラノへの移籍が発表された。
2006-07シーズンはセリエA初年度の16ゴールには及ばなかったものの15ゴールを記録し、インテルの15度目のスクデットに貢献した。しかし、セリエAにおける活躍に対してチャンピオンズリーグでは無得点で、ベスト16で敗退した。
2007-08シーズンは右膝の怪我に悩まされたものの、セリエAで17ゴールを記録しインテルの16度目のスクデットに貢献した。特にセリエA最終節のパルマFC戦では後半途中から投入されると2ゴールを奪い、この活躍でインテルは勝利。スクデット獲得を決めた。チャンピオンズリーグのグループリーグでは5ゴールを記録するも決勝トーナメント1回戦のリヴァプールFC戦では無得点に終わり、チームはまたしてもベスト16で敗退した。
2008-09シーズンはチャンピオンズリーグではわずか1ゴールに終わりチームも3度ベスト16で敗退するも、セリエAでは得点を量産し、インテルのセリエA4連覇に貢献。25ゴールを記録し、セリエA得点王に輝いた。
2008-09シーズン終了後、「セリエAでやることはもうない」という発言から移籍が噂されたが、クラブや自身も残留を明言。新シーズンの背番号が10に決定するなどインテルに残留すると思われたが、2009年7月27日、サミュエル・エトー+移籍金4600万ユーロとのトレードでFCバルセロナへ移籍。5年契約で、背番号はエトオが付けていた9番。
2009-10シーズン、バルサのスタイルに馴染めるかどうかが不安視されていたが日を追うごとに周囲の選手との連係を高め、リーガ開幕戦のスポルティング・ヒホン戦では早速ゴールを決めた。その後も順調にゴールを重ね、移籍初年度選手の開幕から5戦連続ゴールというバルサのクラブ記録を打ち立て、自身初のエル・クラシコでは後半からアンリに代わって出場し、ダニエウ・アウヴェスからの絶妙なクロスに走り込み、ボレーシュートを放ち決勝点となった。しかし、シーズン後半は怪我によるコンディションの不調から徐々に調子を落とし、終盤にはベンチスタートも多くなった。最終的には29試合に出場し16ゴールをマークしたが、期待に100%応えたとは言い難い出来だった。のちにグアルディオラ監督との確執があったと語っている。
2010年8月28日にACミランへレンタル移籍。わずか1年でのセリエA復帰となった。なお、翌年には移籍金2400万ユーロで完全移籍となるオプションが付く。背番号は11番。2010-11シーズン、入団1年目のミランでも不動の存在となり、リーグ戦14得点を記録。インテルに5連覇を許すなど、長く不振に喘いでいたミランに7季ぶりとなるスクデットをもたらした。一方、チャンピオンズリーグでは決勝トーナメント1回戦にトッテナム・ホットスパーに敗れ、ベスト16敗退となった。
ミランが買取オプションを行使し、完全移籍を果たす。2011-12シーズンはシーズンを通じて好調を維持し、エースとしてチームを牽引。チャンピオンズリーグでは準々決勝でバルセロナに敗れ、ベスト8で敗退となったが、リーグ戦では自己最多の28ゴールを記録して自身2度目のセリエA得点王を獲得した。またともに自己最多となる公式戦合計35得点、15アシストを記録した。しかし、チームはユヴェントスとの優勝争いに敗れ、スクデット連覇を逃す。これにより、アヤックス時代から続いていた自身の国内リーグ連続優勝記録が8年で途切れた。
2012年7月18日、パリ・サンジェルマンFCへ3年契約の移籍金2300万ユーロで移籍した。10月18日にはゴールデンフット賞を受賞した。入団当初は背番号は18番であったが、10番を着けていたMFネネがシーズン中に退団したこともあり、シーズン途中からは背番号を10番に変更。パリ・サンジェルマンでもゴールを量産し、30得点を挙げる活躍を見せリーグ・アン得点王に輝き最優秀選手賞も受賞するなど、パリ・サンジェルマンの19シーズンぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。
2015年3月15日のボルドー戦で判定に不満を持ち、「このクソみたいな国はPSGに相応しくない。」と発言した事が問題視され、クラブ公式サイトで謝罪したものの4試合の出場停止処分を受けた。その後、3試合の出場停止処分に軽減された。
2015年10月4日に行われたマルセイユ戦で自身が獲得した2本のPKを決め、クラブの通算得点記録を更新した。
2016年、5月13日に本人のTwitterで「オレは王としてやって来て、伝説として去る(I came like a king, left like a legend)」という言葉とともに今シーズン限りでパリ・サンジェルマンを退団することが発表された。
2016年6月30日、本人のTwitterでマンチェスター・ユナイテッド行きを発表。インテル時代の恩師、ジョゼ・モウリーニョと再会することになる。イブラヒモヴィッチ自身はこの移籍を、実現しないと言われていたが実現したという意味でフロイド・メイウェザー対マニー・パッキャオの「夢の対戦」と同じだと語った。背番号は、アヤックス、バルセロナ時代と同じ9番に決定した。2017年2月5日、プレミアリーグのレスター・シティ戦でシーズン15点目を決めて、リーグ最年長記録となる”35歳で15得点”を記録した。2月16日のヨーロッパリーグのラウンド32、サンティティエンヌ戦でマンチェスター・ユナイテッドでは初のハットトリックを達成した。しかし、4月20日のヨーロッパリーグ準々決勝のアンデルレヒト戦で膝を負傷し途中交代。診断の結果右膝前十字靭帯損傷と判明し手術を行った。負傷の影響で契約延長のオプションは消え、マンチェスター・ユナイテッドとの契約は満了した。
8月24日、マンチェスター・ユナイテッドは新たに1年契約を結んだことを発表した。また、10番のユニホームを着用することも併せて発表された。11月18日のリーグ戦第12節・ニューカッスル・ユナイテッド戦に途中出場し、7か月という早さで復帰を果たした。11月22日、UEFAチャンピオンズリーグのFCバーゼル戦に途中出場。この出場により史上最多となる7つ目のクラブでのCL出場を果たした。
2018年3月22日、マンチェスター・ユナイテッドはイブラヒモヴィッチの契約即時解除に合意したことを発表した。
2018年3月23日、ロサンゼルス・ギャラクシーに加入することが発表された。背番号は9番に決定。3月31日、ロサンゼルスFC戦に途中出場しMLSデビューを果たすと、ゴールから約35メートルの距離からロングシュートで移籍後初ゴールを挙げた。7月30日、オーランド・シティ戦でMLS移籍後初のハットトリックを達成した。移籍初年度の2018年シーズンは27試合で20得点を記録し、年間ベストイレブンに選出され、さらにMLS新人賞にも選出された。12月18日、LAギャラクシーと1年間の契約を締結した。
2019年6月にMLS所属選手の年俸額が公表され、イブラヒモヴィッチの年俸額はMLS史上最高額の720万ドルであった。9月15日、スポルティング・カンザスシティ戦でハットトリックを達成し、このシーズンのリーグ戦得点数を26得点とし、クラブのシーズン最多得点記録を更新した。
2019年12月27日、ACミランに加入することが発表された。背番号は21番。2019-20シーズン終了までの契約で、1年間の延長オプションが付随する。2020年1月6日、セリエA第18節のサンプドリア戦でベンチ入りすると、後半にクシシュトフ・ピョンテクとの交代で途中出場し、ミラン復帰後初出場を果たした。1月11日、カリアリ戦でミラン復帰後初ゴールを挙げた。1月19日、ウディネーゼ戦の勝利により、史上最速でセリエA通算150勝を達成した。2月9日、インテルとのミラノダービーではアンテ・レビッチのゴールをアシストすると共に自身もゴールを決め、ミラノダービー最年長得点者(38歳129日)となったが、試合は2-4と敗れた。8月1日第38節のカリアリ戦にてリーグ戦10ゴール目を決め、セリエA二桁ゴール史上最年長記録(38歳302日)を更新した。
2020年8月31日、クラブと1年間の新契約を締結したことを発表した。10月17日、インテルとのミラノダービーにおいて2ゴールを決め、自身の記録であるミラノダービー最年長得点者(39歳14日)を更新、試合はアウェーであったが2-1と勝利した。11月22日、ナポリ戦において2ゴールを決め、セリエA第8節までに10ゴールを奪った最年長選手(39歳)になった。2021年2月7日、クロトーネ戦において2ゴールを決め、クラブキャリア通算500ゴールを達成した。2021年4月22日、クラブとの契約を2022年6月30日まで延長した。
2021年10月31日、ローマ戦において1ゴールを決め、リーグ戦キャリア通算400ゴールを達成した。11月20日、フィオレンティーナ戦においてリーグ歴代最年長(40歳48日)ドッピエッタ(2得点)記録を塗り替えた。12月11日、ウディネーゼ戦において1ゴールを決め、欧州5大リーグ300ゴールを達成した。2022年4月25日、ラツィオ戦においてリーグ最年長アシスト(40歳6カ月21日)記録を更新した。5月23日、公約どおりACミランを頂点に導き、スクデットを獲得した。5月25日に手術(外側支持機構の補強と半月板の修繕とともに、前十字靭帯の再建を通して関節の不安定性を改善するための関節鏡術)を受け、7カ月から8カ月程度の長期離脱を強いられることを発表。
2022年7月18日、ACミランはイブラヒモヴィッチとの契約を2023年6月30日まで更新した。2023年2月26日に行われた第24節のアタランタ戦で後半から途中出場、約9ヶ月ぶりの復帰となった。また、この試合でミランのフィールドプレーヤーによるセリエA歴代最年長記録を更新(41歳4カ月23日)。OBのコスタクルタ氏が保持していた「41歳25日」を塗り替えた。チームは2-0で勝利を収めた。2023年3月18日、第27節ウディネーゼ戦においてスタメン出場、リーグ最年長ゴール(41歳5カ月15日)記録を更新した。
2023年6月4日、リーグ最終節エラス・ヴェローナ戦の試合後、自らの退団セレモニーのスピーチにて現役引退を表明、サポーターに挨拶をした。
代表デビューは2001年1月31日のフェロー諸島戦である。2002年日韓W杯の最終メンバーにも20歳の若さで選出されたが、グループリーグのアルゼンチン戦と決勝トーナメント1回戦のセネガル戦の2試合30分の出場にとどまった。
EURO2004の本大会からレギュラーに定着すると、グループステージ第1節のブルガリア戦でPKを決め、続く第2節のイタリア戦ではゴールに背を向けたままジャンプしながら踵でループシュートを決め、チームをグループステージ突破に導いた。準々決勝のオランダ戦、PK戦にもつれ込んだこの試合で3番目のキッカーとして登場するが、これを外し、オランダに敗れた。
2006年ドイツW杯欧州予選でも8試合8得点を記録し、スウェーデン代表として本大会への切符を手にした。しかし本大会では精彩を欠き、グループリーグ途中からベテランのマルクス・アルベックにスタメンの座を奪われるなど無得点に終わる。チームも開催国・ドイツに敗れベスト16にとどまった。2006年9月の欧州選手権予選期間中に「規律を守らなかった」としてクリスティアン・ヴィルヘルムソン、オロフ・メルベリらと共に同国代表を追放された。その後、二転三転あったものの、2007年3月の試合から代表復帰を果たした。
EURO2008ではグループリーグ第1戦のギリシャ戦で強烈なミドルシュートを決めた。このゴールはイブラヒモヴィッチの代表として実に2年8ヶ月ぶりのゴールとなった。試合はその後スウェーデンが追加点を決め2-0で前回大会王者であるギリシャを下した。第2戦のスペイン戦ではフェルナンド・トーレスに先制点を許すも自身の同点ゴールで試合を1-1とする。しかし後半ロスタイムにダビド・ビジャに決勝点を決められ、試合は1-2で敗れた。決勝トーナメント進出をかけて臨んだ第3戦のロシア戦ではフル出場するも不発に終わり、試合も0-2で敗れグループリーグ突破はならなかった。大会前からの自身の右膝の怪我もあり、不本意な結果で本大会を終えた。
2010年W杯欧州予選ではデンマークやポルトガルなどの強豪と同居したグループ1で3位に終わり、本大会出場はならなかった。2009年12月24日代表引退を表明。尚、「『しばらくの間』は代表でプレイしない」とも述べていた。2010 FIFAワールドカップ終了後に代表復帰を表明し、2010年8月11日のスコットランドとの親善試合に出場、決勝点を挙げた。
ヘンリク・ラーションの引退後は代表キャプテンに任命される。EURO2012予選では、フィンランド戦でハットトリックを達成するなどチーム最多の5ゴールを決め、スウェーデンの4大会連続となるEURO本戦出場に貢献した。迎えたEURO2012本戦、グループリーグ第1戦の開催国ウクライナ戦では先制ゴールをマークしたが、アンドリー・シェフチェンコに立て続けにゴールを許し、チームは1-2で敗戦。第2戦のイングランド戦でも2-3で敗れ、2戦連続で逆転負けを喫した。すでにスウェーデンのグループリーグ敗退が決定した中で迎えた第3戦のフランス戦であったが、この試合で先制点となる豪快なボレーシュートを叩き込み、2-0でのスウェーデンの大会初勝利に貢献した。こうした活躍もあり、イブラヒモヴィッチはUEFA選定の大会優秀選手23名に選ばれた。
チームの早期敗退に落胆した様子であったが、2014 FIFAワールドカップを目指して代表でのプレー続行を明言。2012年11月14日のイングランドとの親善試合では先制点を挙げフレンズ・アレーナの初ゴールを挙げると、4得点を挙げる活躍で勝利に貢献。特に4点目のゴールから25~30mの位置からのバイシクル・キックはイブラヒモヴィッチ自身がキャリアベストゴールと認めるだけでなく、チームメイトや相手チームからも賞賛を集め、2014年1月には年間最優秀ゴールを決めるFIFAプスカシュ賞を受賞した。
2014年9月4日のエストニアとの親善試合で2得点を挙げ、代表通算50得点を達成。これによりスウェーデン代表の通算得点記録を82年ぶりに更新し、歴代単独トップとなった。9月8日のUEFA EURO 2016予選、オーストリア戦で代表通算100試合出場を達成した。
2015年11月14日、デンマークをホームに迎えたUEFA EURO 2016予選プレーオフ第1戦ではPKから決勝点をあげた。2015年11月17日に行われたプレーオフ第2戦では2得点でチームを本大会出場へ導いた。
UEFA EURO 2016大会期間中に、同大会を最後にスウェーデン代表から引退することを表明。EURO後にリオデジャネイロオリンピックにオーバーエイジ枠で出場する噂についても否定した。2016年6月22日のUEFA EURO 2016グループリーグ第3戦のベルギー戦に敗れたことでスウェーデン代表の敗退が決定、同試合が代表最終戦となった。
2021年3月16日、月末のインターナショナルウィークに向けてスウェーデン代表から招集の事前通知が届いたとの報道後、招集メンバー発表に5年ぶりに名を連ね、スウェーデン代表に復帰した。3月25日ワールドカップ欧州予選グルジア戦に先発すると、この試合唯一のゴールをアシストするなどのインパクトを残した。試合は1-0で勝利した。しかしその後の怪我によりEURO 2020のメンバー入りを逃した。
2023年3月にEURO2024に向けた代表に召集された。昨年3月以来の約1年ぶりの復帰となった。
右利きであるが、左利き又は両利きと見間違えるほど、左右両足でペナルティエリアの内外からゴールを狙う強力な得点力かつ正確なボールコントロールを持つストライカーである。ペナルティキックやセットプレーの状況からもその正確さは群を抜いており、足元のテクニックと抜群のフィジカルを兼ね備えている。195cmと身長を活かした空中戦に強いうえに、足元のボールコントロールも正確で、堅実なポストプレーもできる万能型アタッカーである。
身体能力が高いことと幼少期から習っているテコンドーの影響からアクロバティックなシュートも得意としており、2012年に行われたイングランドとスウェーデンの親善試合でイブラはゴールから約34m離れたところからバイシクルキックでゴールを決めた。このゴールは2013年FIFAプスカシュ賞に選ばれた。
自ら点を取るだけでなくアシスト役もこなすことが可能で、ゴール前では抜群の視野を持ち合わせている。
国籍はスウェーデンだが、両親は旧ユーゴスラビアからの移民で、メンタリティーとテクニックにバルカン系の特徴が色濃く表れている。
クラブ | シーズン | リーグ | カップ | リーグカップ | 国際大会 | その他 | 通算 | |||||||
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ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
マルメ | 1999 | アルスヴェンスカン | 6 | 1 | — | — | — | — | 6 | 1 | ||||
2000 | スーペルエッタン | 26 | 12 | 3 | 2 | — | — | — | 29 | 14 | ||||
2001 | アルスヴェンスカン | 8 | 3 | 4 | 0 | — | — | — | 12 | 3 | ||||
通算 | 40 | 16 | 7 | 2 | — | — | — | 47 | 18 | |||||
アヤックス | 2001-02 | エールディヴィジ | 24 | 6 | 3 | 1 | — | 6 | 2 | — | 33 | 9 | ||
2002-03 | エールディヴィジ | 25 | 13 | 3 | 3 | — | 13 | 5 | 1 | 0 | 42 | 21 | ||
2003-04 | エールディヴィジ | 22 | 13 | 1 | 0 | — | 8 | 2 | — | 31 | 15 | |||
2004-05 | エールディヴィジ | 3 | 3 | — | — | — | 1 | 0 | 4 | 3 | ||||
通算 | 74 | 35 | 7 | 4 | 0 | 0 | 27 | 9 | 2 | 0 | 110 | 48 | ||
ユヴェントス | 2004-05 | セリエA | 35 | 16 | 0 | 0 | — | 10 | 0 | — | 45 | 16 | ||
2005-06 | セリエA | 35 | 7 | 2 | 0 | — | 9 | 3 | 1 | 0 | 47 | 10 | ||
通算 | 70 | 23 | 2 | 0 | 0 | 0 | 19 | 3 | 1 | 0 | 92 | 26 | ||
インテル | 2006-07 | セリエA | 27 | 15 | 1 | 0 | — | 7 | 0 | 1 | 0 | 36 | 5 | |
2007-08 | セリエA | 26 | 17 | 0 | 0 | — | 7 | 5 | 1 | 0 | 34 | 22 | ||
2008-09 | セリエA | 35 | 25 | 3 | 3 | — | 8 | 1 | 1 | 0 | 47 | 29 | ||
通算 | 88 | 57 | 4 | 3 | 0 | 0 | 22 | 6 | 3 | 0 | 117 | 66 | ||
バルセロナ | 2009-10 | プリメーラ | 29 | 16 | 2 | 1 | — | 10 | 4 | 4 | 0 | 45 | 21 | |
2010-11 | プリメーラ | — | — | — | — | 1 | 1 | 1 | 1 | |||||
通算 | 29 | 16 | 2 | 1 | 0 | 0 | 10 | 4 | 5 | 1 | 46 | 22 | ||
ミラン (loan) | 2010-11 | セリエA | 29 | 14 | 4 | 3 | — | 8 | 4 | — | 41 | 21 | ||
ミラン | 2011-12 | セリエA | 32 | 28 | 3 | 1 | — | 8 | 5 | 1 | 1 | 44 | 35 | |
通算 | 61 | 42 | 7 | 4 | 0 | 0 | 16 | 9 | 1 | 1 | 85 | 56 | ||
パリ・サンジェルマン | 2012-13 | リーグ・アン | 34 | 30 | 2 | 2 | 1 | 0 | 9 | 3 | — | 46 | 35 | |
2013-14 | リーグ・アン | 33 | 26 | 2 | 3 | 2 | 2 | 8 | 10 | 1 | 0 | 46 | 41 | |
2014-15 | リーグ・アン | 24 | 19 | 3 | 4 | 3 | 3 | 6 | 2 | 1 | 2 | 37 | 30 | |
2015-16 | リーグ・アン | 31 | 38 | 6 | 7 | 3 | 0 | 10 | 5 | 1 | 0 | 51 | 50 | |
通算 | 122 | 113 | 13 | 16 | 9 | 5 | 33 | 20 | 3 | 2 | 180 | 156 | ||
マンチェスター・ユナイテッド | 2016-17 | プレミアリーグ | 28 | 17 | 1 | 1 | 5 | 4 | 11 | 5 | 1 | 1 | 46 | 28 |
2017-18 | プレミアリーグ | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | — | 7 | 1 | ||
通算 | 33 | 17 | 1 | 1 | 6 | 5 | 12 | 5 | 1 | 1 | 53 | 29 | ||
ロサンゼルス・ギャラクシー | 2018 | MLS | 27 | 22 | 0 | 0 | — | — | — | 27 | 22 | |||
2019 | MLS | 29 | 30 | 0 | 0 | — | — | 2 | 1 | 31 | 31 | |||
通算 | 56 | 52 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 58 | 53 | ||
ミラン | 2019-20 | セリエA | 18 | 10 | 2 | 1 | — | — | — | 20 | 11 | |||
2020-21 | セリエA | 19 | 15 | 2 | 1 | — | 6 | 1 | — | 27 | 17 | |||
2021-22 | セリエA | 23 | 8 | 0 | 0 | — | 4 | 0 | — | 27 | 8 | |||
2022-23 | セリエA | 4 | 1 | 0 | 0 | — | 0 | 0 | — | 4 | 1 | |||
通算 | 64 | 34 | 4 | 2 | 0 | 0 | 10 | 1 | 0 | 0 | 78 | 37 | ||
総通算 | 637 | 405 | 47 | 33 | 15 | 10 | 149 | 57 | 18 | 6 | 866 | 511 |
スウェーデン代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2001 | 5 | 1 |
2002 | 10 | 2 |
2003 | 4 | 3 |
2004 | 12 | 8 |
2005 | 5 | 4 |
2006 | 6 | 0 |
2007 | 7 | 0 |
2008 | 7 | 2 |
2009 | 6 | 2 |
2010 | 4 | 3 |
2011 | 8 | 3 |
2012 | 11 | 11 |
2013 | 11 | 9 |
2014 | 5 | 3 |
2015 | 10 | 11 |
2016 | 5 | 0 |
2021 | 4 | 0 |
2022 | 1 | 0 |
2023 | 1 | 0 |
通算 | 122 | 62 |
# | 開催日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2001年10月7日 | ソルナ、ロースンダ・スタディオン | アゼルバイジャン | 3–0 | 3–0 | 2002 FIFAワールドカップ予選 |
2 | 2002年8月21日 | モスクワ、ロコモティフ・スタジアム | ロシア | 1–1 | 1–1 | 親善試合 |
3 | 2002年10月12日 | ソルナ、ロースンダ・スタディオン | ハンガリー | 1–1 | 1–1 | UEFA EURO 2004予選 |
4 | 2003年4月30日 | クロアチア | 1–1 | 1–2 | 親善試合 | |
5 | 2003年9月6日 | ヨーテボリ、ウッレヴィ | サンマリノ | 3–0 | 5–0 | UEFA EURO 2004予選 |
6 | 5–0 | |||||
7 | 2004年3月31日 | イングランド | 1–0 | 1–0 | 親善試合 | |
8 | 2004年6月14日 | リスボン、エスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデ | ブルガリア | 4–0 | 5–0 | UEFA EURO 2004 |
9 | 2004年6月18日 | ポルト、エスタディオ・ド・ドラゴン | イタリア | 1–1 | 1–1 | |
10 | 2004年8月18日 | ソルナ、ロースンダ・スタディオン | オランダ | 2–2 | 2–2 | 親善試合 |
11 | 2004年9月4日 | タカリ、タァリ・ナショナル・スタジアム | マルタ | 0–1 | 0–7 | 2006 FIFAワールドカップ予選 |
12 | 0–2 | |||||
13 | 0–3 | |||||
14 | 0–5 | |||||
15 | 2005年6月4日 | ヨーテボリ、ウッレヴィ | 4–0 | 6–0 | ||
16 | 2005年9月4日 | ソルナ、ロースンダ・スタディオン | ブルガリア | 3–0 | 3–0 | |
17 | 2004年9月7日 | ブダペスト、プシュカーシュ・フェレンツ・シュタディオン | ハンガリー | 0–1 | 0–1 | |
18 | 2005年10月12日 | ソルナ、ロースンダ・スタディオン | アイスランド | 1–1 | 3–1 | |
19 | 2008年6月10日 | ザルツブルク、レッドブル・アレーナ | ギリシャ | 0–1 | 0–2 | UEFA EURO 2008 |
20 | 2008年6月14日 | インスブルック、ティヴォリ・シュターディオン | スペイン | 1–1 | 1–2 | |
21 | 2009年6月10日 | ヨーテボリ、ウッレヴィ | マルタ | 3–0 | 4–0 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
22 | 2009年9月5日 | ブダペスト、プシュカーシュ・フェレンツ・シュタディオン | ハンガリー | 1–2 | 1–2 | |
23 | 2010年8月11日 | ソルナ、ロースンダ・スタディオン | スコットランド | 1–0 | 3–0 | 親善試合 |
24 | 2010年9月7日 | マルメ、スウェドバンク・スタディオン | サンマリノ | 1–0 | 6–0 | UEFA EURO 2012予選 |
25 | 5–0 | |||||
26 | 2011年6月7日 | ソルナ、ロースンダ・スタディオン | フィンランド | 2–0 | 5–0 | |
27 | 3–0 | |||||
28 | 4–0 | |||||
29 | 2012年2月29日 | ザグレブ、スタディオン・マクシミール | クロアチア | 0–1 | 1–3 | 親善試合 |
30 | 2012年5月30日 | ヨーテボリ、ウッレヴィ | アイスランド | 1–0 | 3–2 | |
31 | 2012年6月5日 | ソルナ、ロースンダ・スタディオン | セルビア | 2–1 | 2–1 | |
32 | 2012年6月11日 | キエフ、オリンピスキ・スタジアム | ウクライナ | 0–1 | 2–1 | UEFA EURO 2012 |
33 | 2012年6月19日 | フランス | 1–0 | 2–0 | ||
34 | 2012年10月12日 | トースハウン、トースヴェリュール | フェロー諸島 | 1–2 | 1–2 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
35 | 2012年10月16日 | ベルリン、ベルリン・オリンピアシュタディオン | ドイツ | 4–1 | 4–4 | |
36 | 2012年11月14日 | ソルナ、フレンズ・アレーナ | イングランド | 1–0 | 4–2 | 親善試合 |
37 | 2–2 | |||||
38 | 3–2 | |||||
39 | 4–2 | |||||
40 | 2013年6月11日 | フェロー諸島 | 1–0 | 2–0 | 2014 FIFAワールドカップ予選 | |
41 | 2–0 | |||||
42 | 2013年8月14日 | ソルナ、ロースンダ・スタディオン | ノルウェー | 1–0 | 4–2 | 親善試合 |
43 | 2–0 | |||||
44 | 3–2 | |||||
45 | 2013年9月10日 | アスタナ、アスタナ・アリーナ | カザフスタン | 0–1 | 0–1 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
46 | 2013年10月11日 | ソルナ、フレンズ・アレーナ | 2–1 | 2–1 | ||
47 | 2013年11月19日 | ポルトガル | 1–1 | 2–3 | 2014 FIFAワールドカップ予選プレーオフ | |
48 | 2–1 | |||||
49 | 2014年9月4日 | エストニア | 1–0 | 2–0 | 親善試合 | |
50 | 2–0 | |||||
51 | 2014年11月15日 | ポドゴリツァ、スタディオン・ポド・ゴリツォム | モンテネグロ | 0–1 | 1–1 | UEFA EURO 2016予選 |
52 | 2015年3月27日 | キシナウ、スタディオヌル・モルドバ | モルドバ | 0–1 | 0–2 | |
53 | 0–2 | |||||
54 | 2015年3月31日 | ソルナ、フレンズ・アレーナ | イラン | 1–0 | 3–1 | 親善試合 |
55 | 2015年6月14日 | モンテネグロ | 2–0 | 3–1 | UEFA EURO 2016予選 | |
56 | 3–0 | |||||
57 | 2015年9月7日 | オーストリア | 1–4 | 1–4 | ||
58 | 2015年10月9日 | ファドゥーツ、ラインパーク・シュタディオン | リヒテンシュタイン | 0–2 | 0–2 | |
59 | 2015年10月12日 | ソルナ、フレンズ・アレーナ | モルドバ | 1–0 | 2–0 | |
60 | 2015年11月13日 | デンマーク | 2–0 | 2–1 | UEFA EURO 2016予選プレーオフ | |
61 | 2015年11月17日 | コペンハーゲン、パルケン・スタディオン | 0–1 | 2–2 | ||
62 | 0–2 |
映像外部リンク | |
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FIFAプスカシュ賞を受賞した2012年11月14日のイングランド代表との親善試合の4ゴール目(国際サッカー連盟による動画) |
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