鳥越裕介: 日本のプロ野球選手

鳥越 裕介(とりごえ ゆうすけ、1971年7月1日 - )は、大分県臼杵市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、野球解説者。

鳥越 裕介
鳥越裕介: 経歴, 人物, 詳細情報
千葉ロッテマリーンズ一軍ヘッドコーチ時代
(2018年4月15日 鹿児島県立鴨池野球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県臼杵市
生年月日 (1971-07-01) 1971年7月1日(52歳)
身長
体重
189 cm
93 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手二塁手三塁手
プロ入り 1993年 ドラフト2位(逆指名)
初出場 1994年7月24日
最終出場 2006年7月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

愛称は「トリさん」「ゴエ」。2022年シーズンまで千葉ロッテマリーンズの二軍監督を務めていた。

経歴

プロ入り前

大分県立臼杵高等学校を経て明治大学に入学。野球部時代は「3番・遊撃手」として活躍し、1991年第20回日米大学野球選手権大会1993年の第22回日米大学野球選手権大会おいては小久保裕紀井口資仁らとともに全日本メンバーにも選ばれる。リーグ通算67試合出場、248打数68安打、打率.274、8本塁打、31打点。

中日時代

1993年ドラフトにおいて中日ドラゴンズ逆指名し、ドラフト2位で中日に入団。当初は大学全日本メンバーであり、身長189cmという大柄な体格から「大型内野手」として期待され、当時の監督の高木守道からは「長打が打てて守れる2番ショート」の方針を打ち出された。1994年10.8決戦でも立浪和義が負傷して途中退場し代走・ショートの守備に就いた。

身長を生かした守備では存在感を示し、若手時代には難があったスローイングも改善。1996年からは益田大介と1・2番を組んでレギュラーとして活躍した。1997年には遊撃手のポジションで守備率.997の日本記録を樹立している。同年11月に巨額の脱税が明らかになり在宅起訴され(プロ野球脱税事件)、翌年の1998年1月に有罪判決を受けた。

1998年はプロ野球脱税事件の出場停止処分のため、開幕から4週間は二軍を含めて試合に出られなかった。処分解除後も、内野には阪神から移籍してきた久慈照嘉や当時絶好調だった李鍾範ロッテから移籍の南渕時高がおり、控えにも復調した種田仁神野純一がいたことから、出場機会が激減した。

1999年には、遊撃手の福留孝介が入団し、他のポジションにも久慈やレオ・ゴメスらが付いていたため、シーズン途中に河野亮とのトレードで福岡ダイエーホークスに移籍した。

ダイエー・ソフトバンク時代

ダイエー移籍後は、守備が監督の王貞治から高く評価されて一軍に定着。移籍初年度である1999年の10月には、自身初の一試合2本塁打を放っている。

2000年シーズン開幕は控えで迎えたが、浜名千広の怪我や柳田聖人の不振により二塁手のポジションが空き、5月まで打率が3割を超えるなど打撃好調だった鳥越は二塁手の定位置を獲得した。遊撃手のレギュラーだった井口忠仁が夏場に故障で戦線離脱したため、以降は遊撃手のレギュラーとして出場し、同年9月1日の5連敗と優勝争い脱落の危機の中、迎えたオリックス戦では逆転本塁打を放ち連敗を止め、以降チームは9連勝した。また9月30日の近鉄戦ではサヨナラ安打を放つなど、優勝争いを繰り広げたチームの中で貴重な活躍を見せ、オフには球団から坊西浩嗣と共に表彰を受けた。

この年の日本シリーズでは、井口が復帰したため、再び二塁手に戻ってシリーズに全試合スタメン出場したが、シーズンオフの秋季キャンプで王は、遊撃手としては守備の正確性に欠けていた井口を二塁手にコンバートさせ、2001年からは鳥越を遊撃手のレギュラーとして起用すると明言し、レギュラー確約を手にする。この日本シリーズに際して、出場できなかった古巣中日に対して「拝啓、星野仙一様」(後述)とコメントした。

レギュラーを確約された2001年オープン戦では12球団打撃ランキング4位という好成績を収めながら、シーズン開幕直後から打撃不振に陥り、6月からは浜名や野々垣武志らとの併用となった。結果、この年一度も猛打賞がなく、シーズン通じて一度も打率を2割台に乗せることなく打率.174と打撃成績が低迷した。2002年は、開幕レギュラーは獲得したものの、打撃不振で川﨑宗則や野々垣にポジションを譲ったが、夏場から打ち出して打率を6分近く上げ、王の信頼を再び取り戻す。

2003年は故障で出遅れ、5月に入っても無安打だったが、5月2日の対ロッテ戦で同年初安打をサヨナラ打で決めて、ヒーローインタビューで「あけましておめでとうございます」と発言した。その後はすぐにレギュラーに復帰した。チーム全体は日本記録の打率.297をマークする中、本人は打率.212と低迷し、「監督から、お前が.250打っていたらチーム打率が3割だったと言われていた」と本人もネタにしていた。しかし鳥越が打点をあげるとチームが負ける事は無く、不敗神話と言われた。日本シリーズでも全試合にスタメン出場し、打撃でも5打点を挙げるなど活躍した。オフのパ・リーグオールスター東西対抗では、吉崎勝からサヨナラホームランを放ち、MVPに選出された。シーズンオフに元レースクイーンの鈴木万美子と結婚した。

2004年シーズン以降、川﨑が正遊撃手として活躍したことから、控えに回ることが多くなったが、松中信彦や同い年で友人である種田仁の助言を受けて、種田のガニマタ風の打撃フォームに改造したことで、体が前に突っ込む癖が改善し、得点圏打率が大幅に上昇した。しかし本人はお立ち台で「種田みたいでカッコ悪い」と語っていた。その後ホルベルト・カブレラの外野手転向に伴い、対左投手に分が悪かった本間満に代わって相手投手が左腕の場合に二塁に使われることが多くなった。

2005年は内野の全ポジションを守った。

2006年は4月に二塁守備の際、サヨナラ負けにつながるエラーを犯してしまい、それ以降守備要員の座を森本学らに明け渡した。7月2日の試合でファーストを守り、2006年も内野の全守備位置に就いた。オールスター出場を果たした本間の活躍や新人の本多雄一の台頭もあり、夏場までは殆どベンチスタート、そして王監督が病気療養となり森脇浩司一軍チーフ兼内野守備・走塁コーチが監督代行として指揮を執った8月には二軍降格となり、34試合の出場に終わったこともあって10月に引退を表明した。

現役引退後

鳥越裕介: 経歴, 人物, 詳細情報 
福岡ソフトバンク一軍内野守備・走塁コーチ時代
(2013年9月1日、福岡ヤフオク!ドームにて)

2007年にソフトバンクの二軍内野守備・走塁コーチに就任し、2009年から2010年は二軍監督、2011年から2017年までは一軍内野守備・走塁コーチを務め、今宮健太を育て、4度のリーグ優勝、日本一に貢献した。内川聖一は影響を受けた指導者に鳥越を挙げており、「ホークス時代には鳥越さんにもたくさんの学びをもらいました。ファーストをやったきっかけも、鳥越さんでしたね。最初は躊躇しましたけど、結果的に初めてゴールデングラブ賞を獲ることができた。鳥越さんに教わったことも、僕のなかでは宝物ですね」と述べている。髙田知季は「守備で10年間生活ができたのは、鳥越さんの指導のおかげ。一番の土台になっている」と述べている。

2011年11月10日、レギュラーシーズン終了からクライマックスファイナルステージまで試合間隔の空くソフトバンクは、異例の紅白戦を行った。この紅白戦において紅組(控え主体)の三塁手として出場。一度の守備機会を無難にこなした。

2012年3月4日に行われた、柴原洋の引退セレモニーでは遊撃のポジションに就いた。この日はロッテとのオープン戦だったこともあり、元チームメイトの井口が二塁に就いた。そのため内野陣は、一塁松中、二塁井口、三塁小久保、遊撃鳥越というダイエー黄金期のメンバーで、打席に立つ柴原の最後の花道を飾った。シーズンでは、一軍内野守備・走塁コーチコーチとして一軍帯同し、2015年までは一塁ベースコーチを務めていたが、2016年シーズンは一塁ベースコーチを大道典良打撃コーチと交代し、工藤公康監督を作戦面で支えるべくベンチに配置転換された。2017年には再び一塁ベースコーチを務めた。同年は143試合でのチームの総失策38は130試合制の1991年西武に並ぶプロ野球記録、守備率9割9分3厘は同年の西武を1厘上回るプロ野球新記録を記録した。

2018年シーズンより、井口が新たに監督に就任した千葉ロッテマリーンズの一軍ヘッドコーチ兼内野守備・走塁コーチに就任。井口からは連日のように電話でコーチ就任を頼まれたと言う。ソフトバンク時代同様一塁ベースコーチを務めていたが、井口の要望により、ベンチで井口を支えるため5月11日からはヘッドコーチに専念した。2020年からは、一軍ヘッドコーチ兼内野守備コーチに配置転換されたが、伊志嶺翔大が走塁コーチに就任したため、一塁ベースコーチは務めなかった。2021年からは、育成力を期待され、二軍監督へ配置転換された。同年、イースタン・リーグ優勝した。強打が売りの一方で、三塁守備に難があった安田尚憲を徹底的に鍛え上げ、今季ブレークした髙部瑛斗山口航輝茶谷健太らを1軍に送り出していた。鳥越より退団の申し出があり、2022年10月5日に受理された。

2023年は、春季キャンプよりテレビ西日本九州朝日放送RKB毎日放送・ソフトバンク球団制作中継(スポーツライブ+などで放送)·MXテレビTBSチャンネルなどで野球解説者としての活動を開始する。毎週火曜日にはTVQ九州放送の夕方ニュース「川上政行You刊ふくおか」のスポーツコーナー「Youスポ」に出演。

人物

    幅広い交流

すぐに周囲に溶け込むタイプであり、ダイエー移籍直後から藤井将雄とも非常に仲良くなっていた。藤井の葬儀では出棺の際、藤井の兄貴分であった工藤公康、主力の小久保裕紀若田部健一らと一緒に棺を担いだ。同い年である田之上慶三郎大越基種田仁大西崇之らと親交が深く、予定が合えば他チームの選手ともゴルフをする。チーム一のガッツマンで、引退した田口昌徳らと共にムードメーカーとしても大きく貢献した。日本プロ野球選手会ウェブページの伝言コーナーでは、後輩である井端弘和に「尊敬している先輩」と言われたり、門倉健に先輩の威厳をぶつけたりもした。

    拝啓、星野仙一様

1999年シーズン中に移籍したダイエーで、古巣の中日を下して日本一を経験する。慣れ親しんだナゴヤドームでの日本一決定直後、鳥越は一人だけ中日ベンチの方を向いてガッツポーズをし、その瞬間の写真が週刊ベースボールでの引退記念インタビューの冒頭に掲載された[要ページ番号]。翌2000年、ダイエーはV2を達成したが、祝勝会でインタビュアーの王理恵に「これ、名古屋も映りますか?」と確認したうえで、「私、2年連続で優勝することができました。ありがとうございました。拝啓、星野仙一様!イェーイ!」と発言し、『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』などでも取り上げられた。

本人は週刊ベースボールの引退記念インタビューにて、「ホークスでは『星野監督にトレードに出された』という反骨心で頑張ろうと決めていた」と語っており、星野に対する悪い印象は一切無いと語っており[要ページ番号]、2017年には星野の「野球殿堂入りを祝う会」にも出席している。

    その他

2008年に妻を乳癌で亡くしピンクリボン運動に賛同、球団と話し合い毎年5月に行われる「鷹ガールデー」を発案し乳癌の早期発見を呼びかけている。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1994 中日 30 73 67 8 15 2 1 0 19 3 2 1 1 0 4 0 1 17 1 .224 .278 .284 .561
1995 75 178 159 16 31 2 0 2 39 8 1 2 5 0 13 4 1 48 2 .195 .260 .245 .505
1996 77 238 203 30 56 7 3 3 78 17 8 3 21 0 14 0 0 38 2 .276 .323 .384 .707
1997 124 308 269 35 56 6 2 2 72 16 10 3 14 2 20 1 3 63 2 .208 .269 .268 .536
1998 44 29 27 5 2 0 0 0 2 1 4 0 0 1 0 0 1 7 0 .074 .103 .074 .178
1999 ダイエー
ソフトバンク
40 51 45 7 15 1 0 2 22 6 0 0 2 1 1 0 2 13 1 .333 .367 .489 .856
2000 115 340 305 38 74 11 0 4 97 25 3 3 12 1 22 0 0 69 2 .243 .293 .318 .611
2001 122 358 304 34 53 9 3 2 74 16 6 4 26 1 26 0 1 85 2 .174 .241 .243 .484
2002 129 385 331 34 83 10 3 4 111 25 7 5 25 0 29 1 0 68 3 .251 .311 .335 .646
2003 115 316 264 31 56 7 0 1 66 25 5 4 18 1 28 0 5 87 5 .212 .299 .250 .549
2004 42 85 81 6 21 3 0 1 27 5 1 0 1 0 3 0 0 16 0 .259 .286 .333 .619
2005 110 158 139 16 33 3 2 0 40 17 2 1 9 0 10 0 0 31 5 .237 .289 .288 .576
2006 34 43 37 6 9 1 0 0 10 0 0 0 3 0 3 0 0 5 0 .243 .300 .270 .570
通算:13年 1057 2562 2231 266 504 62 14 21 657 164 49 26 137 7 173 6 14 547 25 .226 .285 .294 .579
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

年度別守備成績



遊撃 二塁 三塁




































1994 中日 30 23 62 4 14 .955 - -
1995 64 79 146 5 31 .978 - 2 0 0 0 0 ----
1996 71 84 183 11 34 .960 - -
1997 109 132 214 1 56 .997 - -
1998 15 8 18 0 2 1.000 1 1 0 0 0 1.000 18 3 6 0 0 1.000
1999 ダイエー
ソフトバンク
10 7 16 1 6 .958 2 1 0 0 0 1.000 23 5 6 0 0 1.000
2000 78 108 218 8 34 .976 35 67 84 2 10 .987 10 2 7 1 1 .900
2001 122 193 322 12 79 .977 - -
2002 128 208 271 13 70 .974 - -
2003 96 135 217 9 49 .975 2 4 10 0 2 1.000 14 3 10 1 1 .929
2004 11 7 14 0 4 1.000 1 0 0 0 0 ---- 28 9 33 3 0 .933
2005 28 25 37 2 8 .969 73 73 92 0 18 1.000 2 0 1 0 0 1.000
2006 12 15 25 0 5 1.000 7 1 7 1 0 .889 9 1 1 0 0 1.000
通算 774 1024 1743 66 392 .977 121 147 193 3 30 .991 106 23 64 5 2 .946


一塁 外野
























1995 中日 3 9 0 0 3 1.000 6 4 0 0 0 1.000
1996 - 7 2 0 1 0 .667
1997 - 19 6 1 0 0 1.000
1998 - 6 0 0 0 0 ----
1999 ダイエー
ソフトバンク
- 1 1 0 0 0 1.000
2003 - 1 0 0 0 0 ----
2005 1 0 0 0 0 ---- -
2006 4 6 0 0 2 1.000 -
通算 8 15 0 0 2 1.000 40 13 1 1 .933

記録

    初記録
    節目の記録

背番号

  • 41(1994年 - 1999年途中)
  • 35(1999年途中 - 2000年)
  • 6(2001年 - 2006年)
  • 71(2007年 - 2010年)
  • 88(2011年 - 2022年)

代表歴

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク

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