高知海軍航空隊(こうちかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。偵察専修搭乗員の教育を推進するため、偵察機に搭乗するまでの初歩練習を推進した。しかし決戦体制に移行した1945年(昭和20年)3月以降は、特攻実施部隊となって沖縄戦に参加した。
以後、高知空からの特攻隊派遣、出撃はなかった。菊水作戦終了後、高知空では約60機の白菊が残存していて、その半数を新設の窪川飛行場(高知第三基地とも。当時の幡多郡窪川町大字宮内)に派遣して、飛行訓練を行った。なお、飛行練習生たちは陣地構築や陸戦訓練を行った。
連合軍の施設接収はサンフランシスコ講和条約まで続く。以後、高知空港として民間に開放されている。「高知龍馬空港」の愛称で親しまれている一方、高知空時代の掩体壕が7基現存していることでも知られている(前浜掩体群)。
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