藤木 直人(ふじき なおひと、1972年〈昭和47年〉7月19日 - )は、日本の俳優、歌手、ミュージシャン、タレント。
ふじき なおひと 藤木 直人 | |||||||||||
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生年月日 | 1972年7月19日(51歳) | ||||||||||
出生地 | 日本・岡山県倉敷市 | ||||||||||
身長 | 180 cm | ||||||||||
血液型 | A型 | ||||||||||
職業 | 俳優、歌手、ミュージシャン | ||||||||||
ジャンル | テレビドラマ、映画、舞台、タレント | ||||||||||
活動期間 | 1995年 - | ||||||||||
配偶者 | 既婚(2005年-) | ||||||||||
事務所 | キューブ | ||||||||||
公式サイト | 藤木直人オフィシャルWEBSITE | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
テレビドラマ 『ナースのお仕事』シリーズ 『泣かないと決めた日』 『徳川慶喜』 『GTO』 『あすか』 『アンティーク 〜西洋骨董洋菓子店〜』 『ラブ・レボリューション』 『高校教師』第2シリーズ 『ギャルサー』 『プロポーズ大作戦』 『ホタルノヒカリ』シリーズ 『Around40〜注文の多いオンナたち〜』 『イケ麺そば屋探偵〜いいんだぜ!〜』シリーズ 『ラスト♡シンデレラ』 『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』 『グッド・ドクター』 『なつぞら』 映画 『花より男子』 『g@me.』 『花より男子F』 『映画 ホタルノヒカリ』 舞台 『海辺のカフカ』/『尺には尺を』 『魔都夜曲』 テレビ番組 『おしゃれイズム』 ラジオ番組 『TOYOTA Athlete Beat』 | |||||||||||
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千葉県佐倉市出身。所属事務所はキューブ、所属レコード会社はポニーキャニオン。早稲田大学理工学部情報学科卒業。二卵性双生児の弟。愛称は「フジッキー」「オジキ」。既婚。
岡山県倉敷市にて二卵性双生児の弟として生まれ、父親の転勤に伴い、10歳までの間に神戸、横浜、千葉と移り住む。幼少期は、スポーツ万能で勉強もでき社交的な双子の兄に少なからずコンプレックスを持っていた。また常に周囲から兄と比べられたため、かなりの負けず嫌いという一面を持つようになり、努力家である。二卵性の双子なので、兄と顔は似ていない。座右の銘は、「継続は力なり」である。
千葉県立佐倉高等学校を経て、1年浪人後の1992年(平成4年)、早稲田大学理工学部情報学科に入学。高校2年の時に「ミスター佐倉高校」全校1位に思いがけず選ばれたこと、また同2年の17歳でギターに出会ったことが、俳優・音楽業を目指す広い意味でのきっかけになる。
大学2年に在学中の1993年(平成5年)、ファッション雑誌『メンズノンノ』(集英社)のモデルに自薦応募した。最終審査で落選したものの、芸能事務所の目に留まり、同4年在学中の1995年(平成7年)、映画 『花より男子』(東映版)の花沢類役で俳優デビュー。デビュー後、大学を辞めることを考えたこともあったが、1年留年し、1997年(平成9年)に卒業した。数理情報科学専攻に進み、卒業研究は広田良吾の研究室で行った。卒業論文のタイトルは「ヴォルテラ方程式の超差分化」であった。
大学卒業後、本格的に芸能活動を開始。1999年7月7日にシングル「世界の果て〜the end of the world〜」でCDデビューした。
1998年、NHK大河ドラマ『徳川慶喜』で慶喜の側近・村田新三郎役に抜擢される。また同年、『GTO』の警官役で1クールの連続ドラマに初めてレギュラー出演した。
以後、1998年『なにさまっ!』(TBSテレビ)、1999年『P.S.元気です、俊平』(TBSテレビ)などのドラマに次々と出演する。
2000年にはNHKドラマDモード『喪服のランデヴー』で連続ドラマ初主演を果たす。
1999年度下半期のNHK連続テレビ小説『あすか』で、ヒロイン・竹内結子の相手役をつとめて注目を浴びる。
2000年のドラマ『ナースのお仕事3』(フジテレビ)でヒロイン・観月ありさの恋人となる研修医役を演じ、注目され、人気を博す。
2001年に月9ドラマ『ラブ・レボリューション』(フジテレビ)で演じた政治記者役でブレイクした。
2003年、『高校教師』(TBSテレビ)で民放連続ドラマ初主演。同年、公開の初主演映画『g@me.』では狂言誘拐の人質にとった広告主の娘と恋に落ちるエリート広告マンを演じて、第27回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。
2004年、『愛し君へ』(フジテレビ)で月9ドラマに初主演(W主演)し、病に侵されるカメラマン役を演じるにあたり、減量して役に臨んだ。
2005年4月から、トーク番組『おしゃれカンケイ』(日本テレビ)の後継番組である『おしゃれイズム』のパーソナリティ(司会)を務め、番組テーマ曲の作曲も担当した。司会なども好評を得ている。
2005年12月27日、9年の交際を経て、所属していた大学のサークルで知り合った6歳年下の一般女性と結婚した。2006年12月に第1子、2010年5月に第2子、2016年6月に第3子が誕生。
2006年の土9ドラマ『ギャルサー』(フジテレビ)に出演、2009年4月クールのドラマ『夜光の階段』と『イケ麺そば屋探偵〜いいんだぜ!〜』で主演を務め、主題歌も担当した。主演級の活躍が途切れることなく続く。
2007年に『ホタルノヒカリ』(日本テレビ)に出演し、2010年にパート2が放送、2012年に映画版が公開されるほどのヒット作となる。
以後、2008年の『Around40〜注文の多いオンナたち〜』に出演。
2013年の『ラスト♡シンデレラ』に出演し、話題になる。同年、『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』(第2シリーズ)に出演。
舞台作品では、2008年12月から年を跨いで上演された時代劇『冬の絵空』で初舞台を踏む。2014年、2015年の両年、蜷川幸雄演出の舞台『海辺のカフカ』で図書館の司書・大島役を演じ、2015年に蜷川幸雄生誕80周年を記念して行われたロンドン、ニューヨークなどを巡る海外公演に参加した。2016年、蜷川幸雄の遺作となった彩の国シェイクスピア・シリーズ第32弾『尺には尺を』で主演を務めた。
2014年7月から始まったTOKYO FMのスポーツドキュメント番組『TOYOTA Athlete Beat』でラジオパーソナリティを務める。
2018年、第90回アカデミー賞で長編アニメーション賞と主題歌賞をW受賞したディズニー・ピクサーのアニメ映画『リメンバー・ミー』の日本語吹き替え版で主人公の相棒となるヘクター役を担当した。
元プロ野球選手のイチロー(元シアトル・マリナーズ)を敬愛し、イチローの野球に対するそのストイックな姿勢は憧れであり、オリックス・ブルーウェーブ時代からイチローの打率をチェックするのが日課となっていた。フェルナンデス製作の藤木モデルのオリジナルギターには、イチローのオリックス・ブルーウェーブ、シアトル・マリナーズ時代の背番号51のロゴが入っていて、藤木にとって51はラッキーナンバーになっている。
ルービックキューブ、ペンシルパズルのひとつである数独が大好きである。小学生時代にルービックキューブが発売されるが、この時には揃える事が出来なかった。大人になってからファンにルービックキューブをプレゼントしてもらった事を切っ掛けに徐々に熱心になっていく。ルービックキューブは自作のノートを作っており6面を20秒台で揃えることができる。2015年に『アナザースカイ』で訪れたロンドン・カムデンマーケットにある玩具店でルービックキューブ目隠し世界記録保持者オリー・フロストに挑戦、3×3ルービックキューブを28秒で6面完成させた2019年の自身CDデビュー20周年の記念ライブ(Naohito Fujiki Live Tour ver12.0 ~20th-Grown Boy-みんなで叫ぼう!LOVE!! tour~)では『レゾナンス・レジスタンス』の間奏中、約30秒の間でルービックキューブソロを行った。その様子は2019年10月14日(月)のテレビ東京系列『ありえへん∞世界』のVTRにてルービックキューブ愛が強すぎる故に出たありえへん暴挙として放送された。2019年には「藤木直人モデル」のルービックキューブを発売している。
中学生の時に親にPC-8800シリーズを買ってもらい『信長の野望シリーズ』や『三國志シリーズ』で遊ぶようになった。
釣りに行くのが好きで、『おしゃれイズム』でゲストと一緒、またはひとりでロケに楽しんで行く姿が見られた。釣りに関する情報をYouTubeで探している中で釣りいろはという佐賀県鹿島市を中心に活動するYouTuberと出会い自らコラボを依頼、以降定期的に彼らの動画に出演している。
女優の板谷由夏とは家族ぐるみで付き合いが有り、お互い"姐さん""直ちゃん"と呼び合う仲である。
高校時代にBOØWYの布袋寅泰に憧れてギターを始める。高校2年の時、初めて手にしたギターはANTHEMの福田洋也モデルだった。高校3年でバンド活動を経験し、その頃にエクストリームやエアロスミスなどのハードロックを聴くようになる。布袋寅康以外に好きなギタリストはヌーノ・ベッテンコートとレブ・ビーチ。
初期の作品1stシングルから4thシングルまでと1stアルバムは、寺岡呼人がプロデュース、2ndアルバムからミニアルバム『夏歌ウ者ハ冬泣ク』までは、シライシ紗トリがプロデュース、5thアルバムからは、井手コウジら、新たなプロデューサーも参加して楽曲制作が行われている。自身も作詞、作曲、プロデュースを手がけ、6thアルバム以降は楽曲制作により深く携わっている。
ライブではギターだけでなく、ピアノやトランペット、スチールパンを演奏することもある。また、ダンサーと共にダンスを披露することもある。ライブツアーver6.0から、自らツアーのプロデュースを手がけている。
1999年7月7日のCDデビューに先立って、同年6月3日、業界関係者へのお披露目でもあるコンベンションライブが新宿ロフト(ライブハウス)で行われた。プロ初ライブは、同年10月24日前橋工科大学の学園祭ライブである。初のライブツアーver0.0は、2000年2月21日、大阪・心斎橋ミューズホール(ライブハウス)からスタート、その頃は持ち歌が少なく、寺岡呼人の曲をカバーさせてもらったり、まだリリースしていない自作曲を演奏していた。ホールツアーは、2001年のライブツアーver3.0から始まる。ライブツアーver7.0とver8.0のファイナル公演は日本武道館だった。2009年7月7日にCDデビュー10周年を迎え、この年、10周年の記念であり、10年ひと区切りの集大成ともなる10回目のライブツアーver9.0を行った。このツアー中、6月26日広島アステールプラザでの公演が、ライブツアーを始めてから通算200回目の公演となる(学園祭ライブ23公演やライブイベントは含まれていない)。2009年9月12日には、幕張メッセイベントホールで開催された音楽雑誌『PATi PATi』(ソニー・マガジンズ)の創刊25周年記念ライブイベントに出演した。
2017年、原点回帰と銘打った約16年ぶりのライブハウスツアーver11.1を開催、国内、アジア合わせて18公演を行った。
2018年10月6日 - 7日に開催された『長岡米俵フェス』の初日に出演。フェスに出演するのはこれが初めてである。
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