生きるに値しない命(いきるにあたいしないいのち、レーベンスウンヴェアテスレーベン、英: Life unworthy of life、独: Lebensunwertes Leben)とは、劣等的な資質の持ち主とされた人々を安楽死させるというドイツ国の人種衛生学的な政策におけるフレーズである。1940年から始められたT4作戦は悪名の高い安楽死計画で、知的障害者(ダウン症含む)や精神障害者が特別病院のガス室で殺害された。人種主義的政策(英語版)の一環でもあるこの作戦の手法は、絶滅収容所でのユダヤ人などの殺害に受け継がれ、いわゆるホロコーストに帰結した。
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法学者の佐野誠が調べた限りでは、このフレーズは1920年に、法学者のカール・ビンディングと精神科医のアルフレート・ホッヘが、その著書のタイトル『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』(ドイツ語: Die Freigabe der Vernichtung Lebensunwerten Lebens)で初めて用いたものである。
彼らが使った用語「生きるに値しない命」の正確な定義は同書内ではっきりと書かれているわけではないが、ビンディングが「法益たる資格が甚だしく損なわれたがために、生を存続させることが、その担い手自身にとっても、社会にとっても一切の価値を持続的に失ってしまったような人の命」と書いたものが相当していると見て差し支えないようである。ホッヘも同書内の自分の担当パートでこのフレーズについて触れている。
ビンディングは、「生きるに値しない命」を3つのグループに分けて論じている。
ビンディング・ホッヘ両者とも、最も力を入れて論じたのが第2グループの知的障害者だった。両者には濃淡があるもののビンディング・ホッヘ共に「生きるに値しない命」は安楽死させる (実際上は殺害) べきだと主張しているのだが、その論拠は詰まるところ「経済効率性」である。
同書は、アドルフ・ヨストが1895年に出版した小著『死への権利』をベースとしてその論理を拡張した著作だと言えるが、既にヨストが『死への権利』のなかで「効率性」を根拠にして精神病患者の「安楽死」を肯定している。ヨストは、1000人の治療不能な患者に治療を施し、その中から1人の患者が回復したとしても、残りの999人への治療はまったくの無駄であり、食糧の消費量や介護労力の費用は社会にとっての多大な損失でしかない以上、1人の回復者を犠牲にしてもその損害は微々たるものでしかない、と論じた。同様の社会的経済効率を論拠にした安楽死の議論は、他にもエルンスト・ヘッケルの『生命の不可思議』(1904年) の中にもみられる。他国と比較して、特にドイツでは経済効率性と命の選別を結びつけて考える傾向が昔から強いことは特徴的である。
『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』が刊行されると、法学・医学・キリスト教界などから様々な反響があったが、少なくともワイマール共和国の時代までは概して否定的に見られていた。しかし、ナチス・ドイツの時代になると同書は直接的にも間接的にも利用され、障害者の安楽死計画に発展した。
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