狭山市(さやまし)は、埼玉県の南西部に位置する市。
さやまし 狭山市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 埼玉県 | ||||
市町村コード | 11215-1 | ||||
法人番号 | 4000020112151 | ||||
面積 | 48.99km2 | ||||
総人口 | 147,417人 [編集] (推計人口、2024年2月1日) | ||||
人口密度 | 3,009人/km2 | ||||
隣接自治体 | 入間市、川越市、所沢市、飯能市、日高市 | ||||
市の木 | 茶の木 | ||||
市の花 | ツツジ | ||||
市の鳥 | オナガ | ||||
狭山市役所 | |||||
市長 | 小谷野剛 | ||||
所在地 | 〒350-1380 埼玉県狭山市入間川一丁目23番5号 北緯35度51分11秒 東経139度24分44秒 / 北緯35.85297度 東経139.41219度 東経139度24分44秒 / 北緯35.85297度 東経139.41219度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト (日本語) | ||||
特記事項 | 狭山市公式イメージキャラクター「七夕の妖精おりぴぃ」 | ||||
ウィキプロジェクト |
人口は約15万人で、久喜市に次ぐ県内12位。1954年(昭和29年)市制施行。
市域を西武鉄道の2路線が通る。1960年代以降東京郊外のベッドタウンとなり人口が急増した。近年では高度成長期に移り住んできた市民の高齢化(少子高齢化)が進む一方で、新規転入者は減少している。都心回帰現象の影響が大きい。2005年国勢調査では鳥取県を上回る社会人口減少率を記録した。2012年、西武新宿線狭山市駅西口地区再開発整備事業が完了した。航空自衛隊の入間基地は市役所の南に位置し、9割が狭山市域にある(1割は入間市域)。
市域の南西(入間・飯能方面)から北東(川越方面)にかけて一級河川の入間川が流れる。流域は沖積層の低地帯が広がっている。市の中心となる地域にも入間川という住所(旧入間川町の名残り)がついており、この川は街のシンボルにもなっている。
入間川両岸には河岸段丘が形成されており、右岸は武蔵野台地、左岸は入間台地と呼ばれる台地からなっており、狭山市はその2つの台地上に属する。どちらの台地も洪積層からなり、比較的平坦である。
市街地は、おもに国道16号と西武新宿線を軸として形成されている。市名の由来である「狭山茶」の茶畑は、入曽・堀兼地区に多い(なお、市名の由来ではあるものの、隣の入間市の方が生産量は多い)。また、奥富地区には田圃も多く見られる。
周りに遮蔽物が少ないようなところでは、北方に日光・那須、西方に秩父の各連山、西南方には、はるかに富士山を遠望することができる。
隣接している自治体は、入間市、川越市、所沢市、飯能市、日高市。
気候は温暖湿潤であるが、同じ県内西部の秩父や鳩山ほどではないものの県南東部(さいたま市など)よりも内陸性の特徴を持ち、最高気温は39.0℃、最低気温は-5.3℃と寒暖差が大きい。年間平均気温は15.2℃で、夏季は高温多湿、冬季は低温乾燥の傾向にある。また、年間総雨量は1260mmである。
狭山丘陵及び市内の特産物「狭山茶」に由来する。狭山市域に狭山丘陵は含まれていない。
江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』では、狭山は、狭山丘陵を指し、「狭山」という表現は山の名称の如く用いていた。国土地理院明治41年測図「青梅」には、狭山丘陵部に、別の狭山村(現在の東京都東大和市狭山町)もある。
この構想は、かつての入間川町と豊岡町の合併構想にまで遡るものである。戦中の1943年(昭和18年)には2町と入間村、堀兼村、奥富村、柏原村、水富村、藤沢村(現在は入間市)、東金子村(現在は入間市)の7村による合併が内定(新市名は「入間市」)したが3ヶ月で頓挫、戦後の昭和の大合併が進展していた時期には現在の狭山市・入間市域に所在した町村全部を一つの市にまとめるという合併構想があり、埼玉県も推進していた。またこれとは別に、江戸時代の武蔵野の新田開発によって開墾されたという共通の歴史を持ち、いずれも不老川流域にあたる入間村、堀兼村、宮寺村(現在は入間市)、藤沢村(現在は入間市)の4村が「農業都市」として合併し、将来的には共に境を接する所沢市(隣接地域は同じく共通の歴史を持つ三富新田にあたる)への編入をも計画するという動きも見られた。しかし西武鉄道路線やバス路線・道路など交通事情との関わりもあり、結局関係が最も深かった町村がまとまって現在の形に落ち着き、狭山市市政施行後は合併構想が提起されることは少なくなっていた。しかし平成の大合併の流れを受け、2000年頃から入間市との合併が協議され、2006年1月1日に合併の予定となった(新市名は「狭山市」)。しかし2005年1月30日に行われた住民投票で合併反対が多数となり、一方の入間市でも住民へのアンケートで合併反対が多数となったため、合併協議会は解散した。
狭山市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 狭山市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 狭山市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
狭山市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
かつては郊外化やドーナツ化現象の影響で人口が増加傾向にあったが、都心回帰の影響を受けて1995年をピークに微減傾向にある。
狭山市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。住居表示実施前の町名等欄で下線がある町名はその全部、それ以外はその一部であり、町名の末尾に数字がある場合には丁目を表す。
入間川地区(17町丁) | |||||
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町名 | 町名の読み | 町区域設定年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 |
沢 | さわ | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字入間川 | |
狭山 | さやま | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字入間川 | |
入間川 | いるまがわ | 1954年7月1日 | 未実施 | ||
入間川一丁目 | いるまがわ | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字入間川 | |
入間川二丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字入間川 | ||
入間川三丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字入間川 | ||
入間川四丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字入間川 | ||
鵜ノ木 | うのき | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字入間川 | |
2001年11月3日 | 2001年11月3日 | 大字上広瀬、広瀬東2、入間川4 | |||
稲荷山一丁目 | いなりやま | 未実施 | |||
稲荷山二丁目 | 未実施 | ||||
祇園 | ぎおん | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字入間川 | |
2015年11月1日 | 祇園 | 一部区域の街区符号変更 | |||
中央一丁目 | ちゅうおう | 1996年11月2日 | 1996年11月2日 | 大字入間川 | |
中央二丁目 | 1996年11月2日 | 1996年11月2日 | 大字入間川 | ||
中央三丁目 | 1996年11月2日 | 1996年11月2日 | 大字入間川 | ||
中央四丁目 | 1996年11月2日 | 1996年11月2日 | 大字入間川 | ||
富士見一丁目 | ふじみ | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字入間川 | |
富士見二丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字入間川 | ||
入曽地区(3町丁) | |||||
町名 | 町名の読み | 町区域設定年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 |
北入曽 | きたいりそ | 1954年7月1日 | 未実施 | ||
南入曽 | みなみいりそ | 1954年7月1日 | 未実施 | ||
水野 | みずの | 1954年7月1日 | 未実施 | ||
堀兼地区(6町丁) | |||||
町名 | 町名の読み | 町区域設定年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 |
堀兼 | ほりがね(ほりかね) | 1954年7月1日 | 未実施 | ||
上赤坂 | かみあかさか | 1954年7月1日 | 未実施 | ||
中新田 | なかしんでん | 1954年7月1日 | 未実施 | ||
青柳 | あおやぎ | 1954年7月1日 | 未実施 | ||
加佐志 | かざし | 1954年7月1日 | 未実施 | ||
東三ツ木 | ひがしみつぎ | 1954年7月1日 | 未実施 | ||
奥富地区(3町丁) | |||||
町名 | 町名の読み | 町区域設定年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 |
上奥富 | かみおくどみ(かみおくとみ) | 1954年7月1日 | 未実施 | ||
下奥富 | しもおくどみ(しもおくとみ) | 1954年7月1日 | 未実施 | ||
柏原新田 | かしわばらしんでん | 1954年7月1日 | 未実施 | ||
柏原地区(1町丁) | |||||
町名 | 町名の読み | 町区域設定年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 |
柏原 | かしわばら | 1954年7月1日 | 未実施 | ||
水富地区(20町丁) | |||||
町名 | 町名の読み | 町区域設定年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 |
上広瀬 | かみひろせ | 1954年7月1日 | 未実施 | ||
広瀬台一丁目 | ひろせだい | 2003年11月1日 | 2003年11月1日 | 大字上広瀬 | |
2009年7月4日 | 2008年11月1日 | 大字上広瀬 | |||
広瀬台二丁目 | 2003年11月1日 | 2003年11月1日 | 大字上広瀬、大字下広瀬 | ||
2009年7月4日 | 2008年11月1日 | 大字上広瀬、大字下広瀬 | |||
広瀬台三丁目 | 2003年11月1日 | 2003年11月1日 | 大字上広瀬、大字下広瀬 | ||
2009年7月4日 | 2008年11月1日 | 大字上広瀬、大字下広瀬 | |||
下広瀬 | しもひろせ | 1954年7月1日 | 未実施 | ||
広瀬一丁目 | ひろせ | 2001年11月3日 | 2001年11月3日 | 大字上広瀬、大字下広瀬、大字根岸 | |
広瀬二丁目 | 2001年11月3日 | 2001年11月3日 | 大字上広瀬、大字下広瀬、大字根岸 | ||
広瀬三丁目 | 2001年11月3日 | 2001年11月3日 | 大字上広瀬、大字下広瀬、大字根岸、大字笹井 | ||
2009年7月4日 | 2008年11月1日 | 大字上広瀬 | |||
広瀬東一丁目 | ひろせひがし | 2000年11月3日 | 2000年11月3日 | 大字上広瀬 | |
広瀬東二丁目 | 2000年11月3日 | 2000年11月3日 | 大字上広瀬、大字下広瀬 | ||
広瀬東三丁目 | 2000年11月3日 | 2000年11月3日 | 大字上広瀬、大字下広瀬 | ||
広瀬東四丁目 | 2000年11月3日 | 2000年11月3日 | 大字上広瀬 | ||
2009年7月4日 | 2008年11月1日 | 大字上広瀬 | |||
つつじ野 | つつじの | 2000年11月3日 | 2000年11月3日 | 大字上広瀬、大字下広瀬 | |
根岸 | ねぎし | 1954年7月1日 | 未実施 | ||
根岸一丁目 | ねぎし | 2002年11月2日 | 2002年11月2日 | 大字根岸、大字上広瀬 | |
根岸二丁目 | 2002年11月2日 | 2002年11月2日 | 大字根岸、大字上広瀬、大字笹井 | ||
笹井 | ささい | 1954年7月1日 | 未実施 | ||
笹井一丁目 | ささい | 2002年11月2日 | 2002年11月2日 | 大字笹井、大字根岸 | |
笹井二丁目 | 2002年11月2日 | 2002年11月2日 | 大字笹井 | ||
笹井三丁目 | 2002年11月2日 | 2002年11月2日 | 大字笹井 | ||
新狭山地区(3町丁) | |||||
町名 | 町名の読み | 町区域設定年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 |
新狭山一丁目 | しんさやま | 1966年2月1日 | 未実施 | ||
新狭山二丁目 | 1966年2月1日 | 未実施 | |||
新狭山三丁目 | 1966年2月1日 | 未実施 | |||
狭山台地区(4町丁) | |||||
町名 | 町名の読み | 町区域設定年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 |
狭山台一丁目 | さやまだい | 1974年4月3日 | 未実施 | ||
狭山台二丁目 | 1974年4月3日 | 未実施 | |||
狭山台三丁目 | 1974年4月3日 | 未実施 | |||
狭山台四丁目 | 1974年4月3日 | 未実施 |
2009年4月1日、合併前の旧村名「入間村」に由来する名称「入間地区」より改めた。入間市との混同を避けるとともに、駅名とあわせ分かりやすくするため。以前から仲川市長が改称を提起しており、2008年には狭山市入間地区自治会連合会から要望書の提出もあった。市側の改称を受け、民間でも改称の動きが広がり、JAいるま野農業協同組合入間支店が2009年12月、村政時代以来の「入間農協」に由来する支店名を改め、「入曽支店」に名称変更している。2011年3月には狭山市立入間小学校が閉校となり、以後入曽地区内で村政以来の「入間」の呼称を残す公共施設・機関名は狭山市立入間中学校のみとなっていたが、同中学校も2015年3月に閉校した。また民間では入曽駅近くの旧入間村役場跡地に店舗を構えるAコープが現在も「入間店」(2016年4月より「JAファーマーズ入間」)を称している。同店舗駐車場脇には入間村政を記念する「入間村の碑」が狭山市史編纂委員会と住民有志によって建立されているほか、1915年11月の大正天皇即位礼を祝して村民により植えられたイチョウの木が大木となって記念碑「銀杏の碑」とともに現存しており、その歴史を伝えている。
郵便番号
郵便局
市外局番等
長らく地方交付税交付金不交付団体であり、市財政には余裕がある。高齢化と人口減少の影響による市税収入の減少から2010年代以降は近隣の川越市・入間市・所沢市等の自治体とともに地方交付税交付金交付団体に移行しているものの、なおも健全財政を維持している。市内に進出した本田技研工業を始めとする企業の工場・事業所から納入される固定資産税収入と、敷地の9割が狭山市域にある航空自衛隊入間基地が置かれていることによる国有提供施設等所在市町村助成交付金(基地交付金)及び特定防衛施設周辺整備調整交付金(防衛省補助金)が主要な財源である。
本田技研工業の企業城下町として知られ、1987年4月以来、市議会には同社労働組合の組織内議員1名がいる。ただ業種の異なるロッテ、コーセーなど別の大企業の工場も進出しており、航空自衛隊入間基地勤務の自衛官も多数在住していることから、本田技研工業一社が市の命運を握るほどの影響力を有しているわけではなく、茨城県日立市や愛知県豊田市のように市民の相当数が一企業グループに関わっているといった状況にはない。また市議会においても、本田技研工業労働組合に先立つ1975年4月からコーセー労働組合推薦の市議会議員1名が議席を維持していた。また他の首都圏ベッドタウン同様、農業は衰退傾向にあるものの、農産物に特産物があるため農業関係者の存在も大きく、前市長は「狭山茶」の製造販売業を営む人物であった。
市役所、市民会館や総合体育館などは立派な造りとなっており、また市内には所沢市や川越市等にあるドッグラン等のペット共生施設公園等は無いが、動物園や体育館併設の多目的公園の智光山公園や狭山稲荷山公園をはじめとするたくさんの公園が整備されている。入間川河川敷には川越市とともに川越狭山自転車道路(サイクリングロード)と広大な公園が整備されており、多くの市民にとって憩いの場となっている。
市役所の公式サイトとしては異例の公式モバイル版サイトを全国市町村に先駆け開設し、その取り組みが新聞などにも取り上げられた。2006年、狭山市は「携帯電話を活用した情報配信の取り組み」により、「平成18年度地域づくり総務大臣表彰」(情報化部門)を受賞した。狭山市では既に2001年から市消防本部が地元消防団員を対象に市内の災害情報を携帯電話のメールで伝達していたが、2007年2月からはこのシステムを全市民に拡大し、希望者に対し携帯メールで市内の災害情報を配信する新規事業を開始した。市の公式Twitterも早期に開設しており、2014年8月から公式ツイッターに大雨・洪水・地震などの気象情報を自動更新して配信する機能を追加、24時間運用を開始した。熊谷地方気象台から出された警報等の最新情報を自動的にツイッター用の短文に変換し、配信する。公式ツイッターにこうした機能を付加した地方公共団体は西日本では数例見られるが、東日本の自治体では初めてとなる。
2008年2月、新たな人口増及び少子化対策・子育て支援の一環として、市はこれまで未就学児童を対象に行っていた所得制限・費用上限無しの医療費助成の対象年齢を中学校3年生まで引き上げる方針を明らかにした。まず2008年10月に小学校3年生までに適用範囲を広げた後、2011年度までに中学校3年生へと段階的に拡大する。これにより今後狭山市では中学卒業時まで入院・通院とも保険診療の医療費は無料となった。また2008年10月から医療機関での窓口払いも廃止された。この施策は比較的余裕がある市の財源を市民に還元する目的もある。またこの施策は埼玉県内の他の市町村にも影響を及ぼし、現在県内32自治体が同様ないしは類似の政策を実施・計画するに至っている。
明治時代に開業した狭山市駅・入曽駅周辺の再開発について、1980年代より構想は存在していたが、1990年代に至っても事業は具体化せず、入間市・所沢市・飯能市など周辺各都市に遅れをとっていた。狭山市駅西口地区については2000年代に事業者・専門家・市民らの議論を経て事業化され、一時政治的困難が発生したものの、変更は一切なく当初の事業計画が貫徹され、総合的な調整により計画から設計施工まで一貫したデザインコンセプトを保ったまま2012年に完成に至った。狭山市駅東口地区については老朽化した駅ビルが改築されたほか、道路整備が継続して行われている。一方入曽駅周辺については開業後101年を経た1996年に西口を開設したものの、2013年、東口地区の大規模再開発を断念。規模を縮小の上改めて入曽駅周辺の再整備計画が立案されることになった。
一部事務組合
協議会
2023年4月10日現在
西4区。定数は2人。近年選出の議員は以下のとおり。
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
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当 | 大塚拓 | 48 | 自由民主党 | 前 | 117,002票 | ○ |
杉村慎治 | 45 | 立憲民主党 | 新 | 80,756票 | ○ | |
神田三春 | 67 | 日本共産党 | 新 | 21,464票 |
川越狭山と狭山の2つの工業団地があり、オデッセイやレジェンドなどを製造する本田技研工業 (ホンダ)の埼玉製作所(2021年閉鎖)を筆頭に、製造品出荷額県下1位と埼玉県一の工業都市となっている。
市制施行時は特産物「狭山茶」により農業都市というイメージが強かったが、市政施行後の1955年(昭和30年)12月「狭山市工場誘致条例」を制定し、積極的に企業誘致を行った。翌年9月には工場誘致第1号として日本クロス工業(現在のダイニック)が進出。以後工場誘致は順調に進み、市内各地に大企業の大型工場が進出した。1966年(昭和41年)に川越狭山工業団地、1973年(昭和48年)には狭山工業団地が相次いで完成。2つの大型工業団地を有する工業都市へと変貌した。1982年(昭和57年)以降現在まで製造品出荷額埼玉県内第1位となっており、県内最大の工業都市となっている。企業誘致は現在も行っている。首都圏中央連絡自動車道狭山日高インターチェンジの開設と埼玉県道126号所沢堀兼狭山線の全線開通を受け、2015年、狭山工業団地の2地区(東地区(柏原北)と西地区(上広瀬))の拡張と土地区画整理事業実施が決まった。
JA・いるま野農業協同組合管内である。地物の野菜が市内のスーパーの店頭に並んでいることも多いが農業は衰退している。
入曽駅近くに埼玉県内の狭山茶生産地域全域を管内とする狭山茶業農業協同組合があり、生産者約280名が加盟している。
商業圏では、国道16号線にそよら武蔵狭山(イオンスタイル武蔵狭山)・ヤマダ電機テックライフセレクト狭山店(イオンスタイル狭山)が存在する。
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