浜田 稔(はまだ みのる、1902年(明治35年)3月 - 1974年(昭和49年)12月)は、日本の建築材料学者、建築防災学者。東京大学名誉教授。大阪生まれ。
東京大学、東京理科大学教授として、コンクリート草創期のJIS制定や、日本コンクリート会議の設立をはかった。また科学的防火・避雅の問題に取り組み、都市の防火体制の確立とともに内装材制限の法制化に尽力。
仕事が速く実行も結論をまとめることも速かったという。大学院時代も初め暫くは文献の調査などに当たり、やがて設備が整ったとはいえない実験室で休むことのないコンクリートの試験体作りを開始。これが後に「コンクリートの浜田」といわれるようになった第一歩であり、「コンクリートの浜田」はその後「火災の浜田」「都市防災の浜田」となり、死の直前までその方面の第一人者として活躍。
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