松山ホステス殺害事件(まつやまホステスさつがいじけん)は、1982年8月に愛媛県松山市で発生した福田和子による殺人事件である。
1982年8月19日に愛媛県松山市のマンションでホステス(当時31歳)が元同僚のホステスであった福田和子(当時34歳)に殺害され、福田和子とその夫がマンションから家財道具を運び去って逃亡。家財一式が奪われたうえに、女性の遺体が松山市内の山中に遺棄された強盗殺人及び死体遺棄事件である。 福田和子と夫が松山に向かったのは、被害者の女性とは別の知人と会うためだったが知人は不在であった。
この事件で注目されたのが、犯人の福田和子が整形手術を受けたうえで当時の強盗殺人罪の公訴時効である15年(延長を経て、現在は無期限)直前まで逮捕されず逃亡したことであり、マスコミ報道を見た市民による通報で逮捕されるとの劇的な幕切れを迎えたことであった。
事件当時、和子には夫と4人の子がいた。
殺害後、夫は和子に自首を勧めたが和子はこれを拒み、被害者宅の家財道具は一式、和子が松山市内に借りたアパートに運び込まれ、この運び入れに際して多くの目撃証言があり、松山東警察署は強殺事件として捜査を開始した。
犯行4日後、和子は松山駅から急行列車と宇高連絡船で本州に逃亡、15年にも及ぶ当て所ない逃亡生活を始める。当初の逃走資金は60万円ほどであった。夫は死体遺棄の共犯で逮捕され、有罪判決を受けた。
和子は早速、金沢市内で求職するも34歳という年齢から飲食店関係に採用されなかったが、不採用であったスナックに飲みに行き情の深い経営者に採用された。採用2日後、整形手術を受けるため上京した後、店に戻り、そこで石川県内の和菓子屋の店主と知り合い交際し内縁関係となる。3代続く老舗和菓子店を切り盛りし、店の売り上げも相当に伸びたという、また親戚と偽り実子を呼び寄せ店で働かせている。
3年後、指名手配書が全国に貼られ、和菓子屋の家族も和子の素性を疑い始め通報、店の知人の通夜の手伝い中に金沢中警察署員が斎場に急行したが、それを察知した和子は自転車で逃走し、名古屋市に向かう。市内のラブホテルで住み込みの客室係として採用される。しかし、たまたま名古屋市の緑警察署に運転免許証の更新に行った同僚が指名手配写真を見て、和子に自首を勧めたため逃亡、市内の別のラブホテルの面接を受けたが、その際顔写真と雇用契約の拇印をとられたため、1988年5月13日名古屋市から離れ福井市に現れ、求職し住み込みでホステスをする。1992年大阪市内の売春宿に移るが、すぐに辞める。松山東警察署は公訴時効が迫っていることに焦り始め、手配写真入りのテレホンカードの配布、肉声の公開、懸賞金100万円という近代警察史上前例のない捜査手法を採用した。
公訴時効まで1年の頃には、再び福井市の福井駅前のビジネスホテルを定宿にしていた。 公訴時効直前の大々的なテレビの特別番組が、和子が行きつけにしていた福井市内のおでん屋の常連客の目に留まり、店に立ち寄った和子の指紋のついたビール瓶とグラスとマラカスが回収され、その後店を出たところで逮捕された。身柄は福井駅から岡山駅まで鉄道、岡山駅からは自動車で松山東警察署に移送された。
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